森田療法の考えをふまえて不登校児童生徒との向き合い方を考える
ブログをお読みいただきありがとうございます!
あたたかくなり、お外に出たいな…気持ちいいな…と思う反面、目が痒い…鼻が出る…。
花粉の季節ですね…。
私はこれまで花粉症になったことがなかったのですが、年々、この時期鼻がズルズル…目が痒い…赤い…となってきていまして、そろそろ病院でお薬をもらいながら乗り越えなければならない気がしています。(秋もアレルギー症状が出やすく…)
春が来るのはいいけれど、花粉だけは…つらいですね…ズルズル…。
さて、今回は、心理学と不登校をテーマに記事を書いてみたいと思います。
森田療法の考えをふまえて不登校児童生徒との向き合いかたを考えてみる
強迫性障害や社会不安障害やパニック障害といった神経症を発症する人は、
・内向的
・完璧主義
・自責傾向
・神経質な性格
…と、こういった傾向にあるといわれます。
ちょっとしたことでパニックになったり、不安が強くなったり、心配なことを繰り返し考え不安を膨らませてしまったり…。
不登校や母子登校などで不安が強い子たちもまた、こういう状態に陥りやすくなっています。
森田療法のよいところは、そういう心の不安を異常なものとして取り除くのではなく、誰にでもある自然な感情として受け入れるという考え方をしているところでして、
よく、「どうすればこどもの不安はなくなるんでしょうか」とお悩み相談をいただくんですけど、
そもそもその子の性格であるとか、今の環境においてそういうことを考えちゃうんだから、それを親が否定的に見ていては、『ネガティブなあなたは受け入れられない』と言っているのと同じになってしまうので、まずは不安を感じやすい状態・体質であることを受け止めていくことが大切やと私は思っていますし、親御さんにもそう言います。
不安と「生の欲望」
森田療法は、病気の不安の裏では健康でありたいという欲求が存在していて、不安と生の欲望は表裏一体である。
本来の欲求をもってなすべきことをなしていくという自分らしい生き方をめざしましょうねというものてす。
たとえば森田療法の考えをもって不登校中の子たちとの関わりを考えるならば、仮に本人が『学校に行くことへの不安』がある場合、
『安心して所属できる場には行きたい』だとか、『不安を感じなくなったらどこかに所属したい』という欲求があるとも考えることもできなくもない。
だけど、不登校中の子たちは無気力になって、おうちの中での生活でもういいやと思っていることもあります。
ご飯は食べられるし、寝られるし、時間を潰すものもあるし、
最低限自分が崩壊しない環境が整ってるから、わざわざその環境を越えて自己実現だとか復学だとか、そういった『欲求がない』ともいえます。
復学したいとか、フリスクに行きたいとか、勉強したいとか、何かに夢中になりたいとか、自分を見つけたいとか、そういう『うちからわき出てくるような欲求がない』から引きこもる状態が長期化しているパターンもある。
入院療法と外来療法
森田療法は、入院療法と外来療法があって、4つの過程をふんで社会復帰を目指します。
ざっくりと説明すると、
①食事や洗面やトイレ以外の時間は横になって過ごす。不安な気持ちや症状を「あるがままのもの」として受け入れる。
②自発的に軽い仕事を行う。(本当にかんたんな単純作業のみ)
③他の患者さんとの共同作業をする。(料理や動物のお世話やガーデニングなど)
④社会復帰に向けて外泊をしたり、リハビリ期間を経て退院・復帰。
…と、こんな流れを辿るんですが、不登校の場合、当たり前ですが①を体験しない子は多いです。
①は絶対臥褥(がじよく)期といって、7日間は食事や洗面やトイレ以外は気晴らしを含め禁じています。
これを子供にやろうとするのはむちゃくちゃハードルが高い。
大人だから、入院してもいるから、本人が納得の上取り組めるのであって、いきなり親が「あんたは今日から7日間臥褥期ね」と言って一切の気晴らしを取り上げたら…まあ、揉めたり病んだりします。
ただ、森田療法の考えを当てはめて考えてみたら、目的は自分を見つめることなので、暇な時間が本人の内省を促し、『欲求』がわきでてくる可能性はなくはない。少しずつ制限がなくなり、やれることが増えていった先に『自分はなにがしたいのか』ということが浮かんでくるということもあり得るかもしれない。
私も経験がありますが、ほんまになにもせずに過ごさないといけない期間が長くなればなるほど、『もう、いいかげん動き出したい。動き出さなきゃ』という気持ちがうちからわき出てくる場合があって、きっと不登校の子を持つ親御さんはそれを『待ってる』のだと思う。
無理に引き出したり恐怖で支配するんじゃなくて、待ってるんだと思う。
あとは外来療法では、日記指導による治療が中心で、毎日の行動を記録してもらいます。
記録を読みながら、その時の感情や気分に流されないようにねと指導してもらうということを繰り返すことにより、自らを見つめる機会を増やし、不安や感情を受け止める姿勢づくりをします。
これを家でやろうと思ったら、親子の対話がポイントになってきて、そもそも親御さんが自己コントロールができてないといけないとか、こどもの話に耳を傾ける姿勢をもてているとか、そういうことが必要になってくるように思う。
少し前の不登校と今の不登校
あくまでも理屈の話で、実際やったほうがいいということでは全然ないんだけど(素人がやっても失敗しやすいので)、今の世の中ってほんと充実してるし、昔の不登校とは全然違うなと思っていまして。
昔の不登校の子たちって、基本暇だった。
何周したかわからない漫画を何度も読んだり、家にあるドミノを極めようとしたり。
マインドフルネスやってるのと同じよねって言われたらそうかもって思う。
でも今はスマホ・パソコン・ゲームがあたりまえにあって、自分をみつめるだとか、何かひとつのことだけに集中するとかってのを過ごすことがほとんどない。
もちろんひとつのゲームに集中しまくってる子もいるけど、昔より今の子たちってマルチタスクで生きていて。
脳を使いまくってて、無気力で、その状態で自分とは?自分はどうしたいの?どうありたいの?てのをひとりで答えを出すんってかなり難しいと思う。
さらに親子の会話がまったくなかったり、親の子への会話がうまくいってなくて支配的・嫌みが多い・攻撃的…だったりすると、こどもは対話の中から自分を見つめることがなくなるし、自己コントロールをしようということも考えにくくなる。
親子ともに負のループでぐるぐるしまくる日々に疲弊して、親子の距離感が遠くなり…。そういうケースって多いんじゃないかなぁと思う。
じゃあ、なにからやってったらいいの?と言われたら、私は家族療法推しの人間なので、家庭全体を俯瞰で捉えてよいコミュニケーションパターンをあたり前にしませんかっていう答えになります。
親子会話を変えていくということは、親御さんが自分の思考癖・認知のゆがみに気づいて変化させていくということであり、自己コントロールができるようになった親御さんとの会話がお子さんによい影響を与える。
ほんまか?と言われれば、ほんまですという答えになります。
それは13年支援やってきて、親子会話の変化から復学や居場所を見つけていった家庭をたくさんみてきたからなのですが…。
この内容については色んな意見があるでしょうし、森田療法と不登校について考えたら…という私の考えでして、これが正しい!というわけではないのですが、考えたことを書いてみた…記事でした。
それでは、今回はこれで終わりたいと思います。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!
まいどん先生(公認心理師)
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