母子登校からの卒業まで。小1の息子と歩んだ18か月の記録
ブログをお読みいただきありがとうございます。
支援を受けた親御さんが、支援中、ずっと記録を残されていたとのことで、
『わが家の体験したことを記事に載せてもらいたい』と言ってくださり、親御さんと相談し、ストーリー仕立てにしてみました。
その内容を、許可を得て掲載させていただきます。
※本文はプライバシー保護のため、親御さんによる実録手記を一部内容を改変しています。
「もう行きたくない」と言った朝。わが家に突然やってきた「登校ストップ」
あの朝、私の右手は、6歳の息子(仮名・カイ、以下すべて仮名です)の手をぎゅうぎゅうに握りしめていた。
「行くよ。ほら、門はすぐそこ」
カイは首を横に振る。ぎゅっと引く。
入学式の日には誇らしげに背負っていたあの真新しいランドセルが、いまは見るたびに私を責める拷問具のようにみえた。
門の奥で、一年一組担任の先生が気まずそうに立っている。私は笑顔を貼り付け、声だけ明るくした。
「すみません、今日もよろしくお願いします」
担任の先生は受け取った息子の手をそっと包みながら、「お母さん、無理なさらないで」と言った。
無理していない親なんて、いるのだろうか。
私は会釈だけして踵を返した。
カイの足音が門の向こうに消えた瞬間、私は大きく深呼吸した。
家へ戻る途中、スマホの通知が鳴る。夫からだ。
「今日の午後から、会議。帰りは遅くなると思う」
私と主人は同じ職場だ。
「私だって仕事行けるならいきたい。変わってよ」と打ち返しかけて、やめた。文字にした瞬間、怒りが何倍にも膨れあがると分かっていたから。
私は思った。
「こんな朝が、あと何日続くのだろう。」
学校を休んでしまった
最初の欠席はゴールデンウィーク明けだった。
前夜、カイは宿題の音読を何度も噛み、消しゴムで教科書をこすり、やがて泣き出した。
「明日、学校いやだ」
そのとき私は、「甘えてる」と思った。
翌朝の腹痛も嘘、涙も嘘。
ぜーんぶ、嘘。甘えてるんだ。
そう信じ込んだ私は体温計を握らせ、数字が平熱であることを証明して見せつけた。
けれどカイは、訴えをやめなかった。
「ママのせいで死にそう」
私は怒りと無力感が一気に喉に詰まり、吐き気がした。
は?誰のせいだって?私だって、毎日自分を押し殺してやってんだよ!!!!
欠席はぽつぽつと増えていく。
無理に連れて行こうとして玄関のドアノブを掴むと、カイは泣き叫び、爪を立てて私の腕を引っかいた。
カイを見てくれる母に無理やりバトンタッチして、私はマスクで顔を覆い、弟を保育園に連れていくために外に飛び出て、買い物にも行った。
「家に帰りたくない…」
そんなことを、ずっと、ずっと考えていた。
夜、弟のオト(仮名)が積み木を重ねはじめると、カイは無言でやって来て壊した。
「お兄ちゃんやぁー!やなの!いやいやいやーーーーっ!」
オトの泣き声が高く割れる。
私は台所で包丁を握り、無言でまな板を叩き続けた。
『いい加減にして!私のほうが泣きたい!!』
だが声に出せば、その刃は子どもではなく私自身に突き刺さる気がした。私は黙っていた。
スクールカウンセラーの言葉
6月後半 担任の先生の勧めでスクールカウンセラー(SC)と面談した。
私は座るなり、言い訳をした。
「欠席は12日ですけど、私もやれることは…」
SCは、「お母さん、息子さんは痛みを受け取り過ぎる子です」
その言葉に、目の奥がジンと…いや、鼻の奥がツンと…?熱くなった。痛かった。
「過敏なお子さんが長く動けなくなるとき、
いちばん大切なのは回復するまで待つ覚悟です。
登校より前に、
お家が完全なセーフティーネットになっているか。
そこを整えましょう」
私は凍りついた。
…回復するまで待つ?
私の仕事はどうなる?収入は?世間は?
頭の中で「悪い母親」というスタンプが何十回も押された気分だった。
私だって、こんなに、やってるのに?うちはこの子の安全地帯になってないって?
こんなに、愛してるのに?
不登校。復学。そんなの簡単じゃない。
リビングには、次月の職場のシフト表。
いつ、おばあちゃんにカイを見てもらうか?夫はいつ有給とれるか?私はいつ出勤なのか…そんなことを話していた夜だった。
夫は冷えた麦茶を一口飲み、こう言った。
「…あのさ。無理にでも学校行かせろよ。俺は子どもの頃、ちょっとくらいの熱があっても歩いて行ったぞ」
テーブルを挟んで、私たちは睨みあった。
湿度の高い夜、扇風機がかすかに軋む音だけが響く。
私は声を低くした。
「あなたはカイに弱音を吐くなって言う。でもね、あの子は一日じゅう雑音を拾って、帰宅してからも私が泣くのを感じ取ってるの」
「じゃあ泣くなよ」
その瞬間、プラスチックのコップを掴んで夫に投げつけたい衝動が胸に湧いた。けど黙った。
『だめだ、こいつ。話になんない…』
私は夫に、そんなことを思っていた。話したって、無駄なんだわ。って。
藁をもつかむ思いでカウンセリングを受ける
私はSNSで山下先生を見つけ、ありとあらゆる先生の文章を読んだ。本も買った。(夫に渡したら鼻で笑われた)
支援を受けるかどうかわからないけど、とりあえず相談してみよう…と思って相談をしたら、何とその日のうちにお返事をいただき、私が言葉にできなかった・書き切れなかった想いを全部救ってくれて、言葉にしてくれました。
私は、『この先生なら…』と思いながら、先生からいただいたお返事を読んで、泣いてしまいました。
支援を受けてみたいと思い、思い切って電話相談。
先生、うちの家、ずっとのぞいてたの?と言うくらい、的確に言い当てられた。びっくりした。
びっくりしながら、電話を切るまえに、「先生、もう私のこころは決まりました。支援を受けたいです」と言っていました。
繊細なわが子
その日は早退した日だった。
私はカイと手をつなぎ、人影のまばらな通学路を歩いていた。
カイは言う。
「ママ、ぼく、今日泣かなかったよ」
「すごいね。怖くなかった?」
「うん、でもね、先生が○○さんを注意する声がちょっと痛かった」
痛かった…その言い回しに、私はハッとした。
先生の声が大きかったという「音量」ではなく、「痛み」として届く子ども。カイは、繊細なんだ。と改めて思った。
「痛かったね」と返すと、カイはふっと笑った。
決めた。夏休みも、頑張らなきゃ。
夏休みこそ、頑張らなきゃ。
この子がこれからも「学校には行きたくないけど行きたい」と言うなら、応援したい。
繊細ながらに、本人なりに成長してほしい。
そう思いながらも、本当に大丈夫なのか。
これからどんどん学校が嫌になって、完全不登校になるんじゃないか。
それか、ズルズル母子登校が続くのかも…
そんなことを考えたら、なみだが止まらなかった。
お風呂に上がれば、夫は子どもたちとテレビを見て笑っていた。
私は孤独だと思った。
「なにテレビみてんだよ…」
夏休みが成長のチャンスだと思った
先生がセミナー動画を発信してくれた。夏休みのかかわりが2学期の登校を安定させやすくなるよという内容だった。
夏休みが始まり、その動画の内容を参考にしながら、私たちはゆるいルールを作った。
午前はドリル30分。そのあとは自由。
決めたことができたらシール。10枚貯まれば近所のコンビニでアイス1個。
最初は乗り気ではなかったカイが、3枚目を貼ったあたりから目を輝かせはじめた。
「あと7枚? すぐやな!」
シール台紙を抱えて踊る姿に、私まで笑った。
学校がないと、カイのことかわいいって思えてる…よかった。
最初にシール10枚がたまったとき、コンビニの冷凍ケースの前で、カイは真剣な表情で迷った。
バニラ? チョコ? カップアイス?
「決まらない……」と呟いたあと、彼は私に「ママが一番好きなの、どれ?」と言う。
「え?ママは、これ」と言うと、「じゃあ、これにする」と言う。
正直私は、『自分で食べるアイスすら自分で決められないの?』と思ってイライラした。
でも、帰ってきたら、「ママにひとくちあげるー!」と。
嬉しくて、一口もらって、抱きしめたら、「あつい~やめて~」と嫌がられてしまった。
夜、アイスの棒を洗って乾かし、台紙の横にマスキングテープで貼ったカイ。
がんばってるね。カイなりに、ね。
夫婦の衝突
あっという間に夏休みは終わり、2学期に突入。
遅刻・早退・欠席・別室登校…そんなオンパレードから、ちょっとずつ、じわじわと『毎日学校に行く』ようになっていったカイ。
時々遅刻はするけど、早退はなくなった。
調子がわるいと「ママもうすこし…」と言って、2人で別室で過ごすこともあった。
つらい時は山下先生にLINEをして、心を落ち着け、なんとか職場や自分や義理の親に頭を下げながらも、回ってる。
運動会の練習に張り切っていたのもあるのかも。完全不登校になるのではという不安からは脱した。
11月。カイの母子登校は続いていたけど、教室前でお別れができるようになってきていた。
私も遅出出勤に固定にしてもらうことで対応ができた。
そんなある日、Switchが我が家に届いた。
決められたのは「宿題が終わったら30分」というルールだけだったが、取り合いの地獄がやってきた。
あの時、先生には「クリスマスまでまったほうがいいかも。冬休みに解禁にしませんか」と言われたのに、私は先生のアドバイスをスルーしてswitchを買ってしまった。取り扱いの地獄がやってきてから、後悔した。
「兄ちゃんのくせに貸してくれない!」
「うるさい! ぶっ殺す!」
驚いた私はすぐに電源を切った。
リビングに戻った夫が、荒い声で言う。
「貸せないなら没収だ」
「待って、言い方が…」
「甘やかすなよ。結果が出てないじゃないか」
「結果? 何の?」
「登校だよ。カウンセリング受けてんだろ!?いつまでかかってんだよ!」
脳が真っ白になる。私は叫んだ。
「短期で結果なんて出るわけない! あなたはたった5ヶ月で昇進できたの?!」
子どもたちは大泣きだった。
(その後先生に何とか助けてもらい、switchのルールを明確にして、子どもたちへのかかわりかたもハッキリとわかり、この問題は落ち着いた…。)
父性・母性の境界線
次のカウンセリングで私は全てをぶちまけた。
夫婦喧嘩のことを、全部。夫の愚痴を、延々。
山下先生は笑わず、驚かず、ただ、聴いてくださった。
そして、こんなことを説明してくれた。
父性=境界線を示す人。
母性=安心を満たす人。
お互いの領域を侵さない。
うちのいえは、いったんこの考え方でやっていってはどうか、と。
私は夜、夫に説明した。
「役割分担をしよう。」
「ゲーム時間を守らせるのはあなた」「子どもたちの愚痴を聴くのは私」。
夫に説明したとき、さすがに子どもたちの前で喧嘩したことを反省したのか、ちゃんときいてくれた。
説明を聞いて、「会社みたいだな」と言った。ちょっと意味がわからなかったけど、「そうやね」と言っておいた。
「ママ、今日はここでバイバイね」
12月最初の平日。
門の前でカイが立ち止まる。
「ママ、今日はここでバイバイね」
ハイタッチ。手のひらが離れた瞬間、私はくるりと背を向けた。
急いで離れないと、いつカイの気持ちがかわって追いかけてくるかがわからなかったから。
三歩、四歩、五歩。
下駄箱に向かうカイのうしろ姿を見たくてたまらないのに、私は見ない。
やった。校舎のなかに入らなくても、別れられた。それだけで、うれしかった。
甘やかすから、不登校になる
ある日、義母からのLINEがあった。
「クリスマスにカイくんへ百科事典を贈りたいの」
百科事典? 読むかな…一応、カイに確認したけど、そんなのいらないと言う。
その後、義実家で「クリスマスプレゼントの件、ありがとうございます。でも本人は図鑑よりゲーム機の周辺機器を…」と言おうとすると、
「甘やかすから学校休むんや! 辞典くらい読ませろ!」と言う義父。
私は咄嗟に笑った。
私は返事ができなかった。
その日のことはあまり覚えてないけど、『親族なんて、しょせん外野だろ。私と子どもの間に入ってくんな!!!』と頭の中ではキレ散らかしていた。
夫婦喧嘩2回目
宿題を渋るカイに弟のオトが「やれよ!」と、Switchのジョイコンを奪った。
カイが「殺すぞ」と低く呟き、私はswitchの電源をオフにした。
きょうだい、大泣き、大荒れ、カオス。
そこへタイミング悪く帰宅した夫がコートを投げ捨てる勢いで怒鳴った。
「ゲーム没収だ。半年禁止!」
「待って、長すぎるやろ!!」
「甘ったれを治すって言ったのは誰やねん!」
「だからって半年とかおかしいやろ!」
「だいたいなんであんなタイミングでswitchなんか買うんだよ!!!まだ自分のことだって何もできないのに!学校だって一人でいけてないのに、なんでswitch買うんだよ!!だからこうなるんだろーが!!!」
カイが耳を塞ぐ。ああ、やってしまった…。夫婦喧嘩を、見せてしまった。
翌日。
山下先生とのカウンセリングでまたもや愚痴りたおした。
そして最後に先生は、「夫婦のすり合わせ不足もあるかな…夫婦で目的を共有することも大事です」と言った。
私はハッとしました。「子を叱ることがゴールではなく、子が感情を言葉で扱えるようになる」ことだったはずだ。
「自分で自分をコントロールするためのルール」だったのに。
その後、夫婦で謝罪し合い、なんとか修復…。
復学まで、あとちょっと
年が明け、三学期。
門前バイバイは成功し続けているけど、なかなかそこから離れられない。
土曜日の朝、仕事が休みの夫は息子とドリルを開いていた。
「できないところは月曜日学校で先生に聞こ。ここまで頑張って、えらいな」
夫だって、カイのことが心配なんだよね。ずっと敵だって思ってたけど、関わってくれた姿がうれしかった。
…が、続けて夫はこういった。
「なあ、カイ。もうそろそろ、玄関からひとりで行かへんか」
えっ、ちょっとまって…と言いかけたら、カイはこういった。
「うん…。ぼくも、それ思ってた」
え、え、そうなの…?!
何やらカイと主人が相談し合って、そして月曜日から、じわじわと通学路の途中でおわかれができるようになり…
1月17日。
カイはなんとひとりで登校していった。
あとから振り返ってみると、きっと先生の支援を受ける前に夫が「ひとりで行っては」と言っても、カイは「うん」とはならなかっただろうと思う。
何度も衝突したけど、夫は夫なりに、一生懸命カイに寄り添ってくれたし、頑張ってくれた。
カイなりに、学校でおきる嫌なことも、ひとつひとつ乗り越えていった。
だからこその復学だったんだなって思う。
その後も本当にいろんなことがあったけど、私たち親子は、先生に頼りながら、変わっていきました。
まだまだ支援を受けたいと思いつつ、私が社員として再び働くことになったので、一度卒業という流れになりました。
復学から…その後。
先生、息子はすっかり学校生活に慣れ、毎日元気に通っています。今では、登校班の下の子たちを引っ張っています。
(泣いている1年生に声をかけているそうです)
元気に「いってきます!」と家をでていく姿を見送ることができ、本当に嬉しく思っています。
それと、あの時繊細さんかな?と思って気にしていたことはすっかり気にならなくなったんです。
先生の叱る声に怯えることもなくなり、こだわりの強さみたいなのも感じません。
振り返ってみれば、息子が学校に行きたくないと言い出したあの時期は、私たち家族にとって、本当に苦しい時間でした。
ですが、その苦労があったからこそ、私たち親も変わることができたのだと思います。
「やらせなきゃ」と思うのがなくなりました。
山下先生との出会いと支援のおかげで、私も親として大きく成長できたと感じています。
以前は「平均的に何でもできるように」とガチガチに考えていましたが、今は「この子の得意なこと、好きなことを伸ばしてあげたい」と、より柔軟に考えられるようになりました。
「どこかで通らないと行けない道だったかなと思えば色々学べたきっかけになった」「苦労の先取りと思ったほうがいい」「先延ばしにしなくてよかったな」と思っています。
先生、どうかお身体にはお気をつけください。そして、これからも時々、近況を報告させてください。
それでは、今回はこれで終わりたいと思います。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!
まいどん先生(公認心理師)
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