怒りのやました
ブログをお読みいただきありがとうございます!
ただいま1歳の娘を育てるのに毎日振り回されて、反省・嬉しさ・喜び・落ち込み・イライラ…などなど、子どもがいなかったときに感じたことがない体験を日々させてもらっています。
私はいま結婚13年目。支援者としてスタートした年と結婚した年が一緒です。
結婚12年目に娘が誕生したのですが、それまでは、ずっとこういうふうに振り回される毎日を想像し続けていました。
「しんどい日もあるかもしれないけど、それもまたいつか自分の人生の幕が下りた時に、ああ、幸せだった。ああ、あの頃に戻りたい。数分だけでいいから…って、きっと思うんだろうな。私もそんな体験がしてみたい」
「いつか、なかなかやってこない未来のわが子を抱く日がくるだろう。うっすら信じながら、待とう。今はつらいけど、いつかこの毎日を懐かしく思える日がやってくるはずだから…」
と、自分を励まし続けていました。
もちろんダークサイドに落ちかけて(落ちて?)、心の中はそれはもうドロドロしました。
でも、振り返れば、あの経験が支援にいかされていると思います。
頑張っても報われないしんどさを長く経験してきたからこそ、なんとなく、お母さん方の気持ちがわかる…そう思っていて、
人生に起きること・降りかかることには意味があるんだと思いたいなと考える今日この頃です。
さて、今回はXで投稿した内容を掲載します。熱がこもってると、どうやら関西弁が強くなる私のようです。
とりあえず思ったことを書いてく。
とにかく、自分の身の回りが「不登校」「お子さんのしつけにお悩みのあなた」「お子さんを天才に」「子育てのネガティブ、それ、○○が原因」で埋め尽くされている。
一度「どれどれ」と読んでしまったが最後、娘の冬服探そうとChrome開いたら不登校の広告がでるし、
いい幼児食レシピないかな~とインスタ開いたら何ちゃら子育て論とかいう広告がでるし、
夫に味噌買ってきてってLINEしようとしたら発達障害がなんちゃらって広告がでる。どこまでも追いかけてきて、うぜぇ。
なにが嫌って、自分の世界にチラチラ広告が出てきて
「ほら…困ってるんでしょ?これみなよ。あんたのための広告用意したよぉ…」
と言わんばかりにあっちこっちで広告が追いかけてくる。
私は広告見てもああ…、としか思わない。
だけど、これ、悩んでるお母さんたちにはキツい。
今は不登校のこと考えんとこうって思ってスマホスワイプしてたらチラチラでてくんの。
嫌でも考えさせられる。んで、自分のスマホに出てくる広告の質がひくいのなんのって。まじでうざい。
私ですら不登校の解決策はひとつしかない気がしてくるし、子育てで言われてることはみんな同じって思いそうになるもん。
そもそも子どもみんな性格違うのに子育て論はひとつしかないってのはおかしいってことを忘れないようにせなあかん。
子どもを愛しましょうとか、愛着形成をしましょうとか、そういうのはいいよ。
それはみんな共通。話を聞きましょうってのも、まあそうだ。共通でいい。
だけど、テクニックでカバーしようとしたらだめなんよ。
子どものことを心でみようとしてないのにテクニックばっかりみがいちゃったら、子どもの心はどんどん離れてく。
親が宗教やってたって話最近よく聞くけど、それと同じやと思う。
「誰か」の思想やことばを真似て言っても、そこに魂は込められないわけ。思いや熱なんてないわけ。
ずっと冷たいご飯、ずっとレトルト、ずっとインスタントを食べさせられてるようなもん。
おふくろのあたたかい味、愛のこもったあの味ってのは、母親が自分が喜ぶかなと思って買い物にいって、料理して、アツアツの料理を食卓に運んで、「うめー!」とほおばる自分を嬉しそうに眺めるところまでが全部ふくまれてこそなんよ。
誰かが作ったご飯をつめたいまま出されてもなんの感動もないわけ。
子どもは常に成長してるし、心は常にゆらぎ動き続けてるもの。
なのに多くの人は、子どものその一瞬を切り取って判断してる。美容室に行ってめちゃくちゃ綺麗に巻いてもらったとしても再現できないのと同じ。あれを自分でデフォルトにしようとしたらそのうち髪の毛コテでいじくり倒してチリチリなってまう。
検査結果を見て、「この子はこういうとこある」学校での様子を見て「この子はこういうとこある」で終わったらあかん。
常にその子を見続けなあかん。
なのに、カウンセラーたちは一瞬を切り取って、理解した気になってる。
決めつけたらあかん。
あまりにも多くのカウンセラーは断言しすぎてる。判断しすぎてる。
んで、精神科医とか、簡単に学校行かんでいいって言い過ぎ。
学校が全てじゃないっていうけどさ、それ、お医者さんに言われたぁないんよ。
あんたはそう思うかもしらんけどな、多くの保護者は医者に言われてもああそうですよねとはならん。
あんたは成功してる「そっち側」の人。
かんたんに言われても、そうやな、そやそやとはならん。
親の不安は子どもが将来ひきこもりなるんちゃうかとか、ちゃんと人と関わって恋愛したり、友情を育んだり、誰かを愛したり支えるような経験が積めるんかなとか、この子だけ周りにおいてかれたらどうしようってことなんよ。
学校行かへんのもそりゃひとつやけど、じゃあ勉強はどうしたらええねんっていう。
カウンセラーたちもそう。所詮は他人事よねって思うのが多すぎる。
学術的に、臨床経験的に、裏打ちされたことをはなしてはるとは思う。だけど、そこに越えられない壁がある。
一緒に乗り越えていこうという想い。
全力で支えますという覚悟。
これがない。
カウンセリングを学ぶ人たちは、まず、クライエントに飲み込まれてはならないから一線ひけということを最初に教わる。
だから私みたいなのはご法度。
だけどさ、自分が家族の一員やと本気で思って心から入り込まんと、誰かの苦しみって取り除けないと思う。
結果がすぐにでなくても、道中どんなに苦しくても、よこで一緒に顔くしゃくしゃして一緒に耐えたり、雨に打たれて凍えたり、環境にキレそうになったりしてくれる人がいたら、「この人がいるうちに頑張ろう。私、まだ頑張れるって思える」って私は思う。
だから、私は陣痛の合間もクライエントから助けてってLINEきたら返事してた。
うまれて間もない子どものお世話で寝不足なってても、夜中私が起きてるときに子どもが暴れて家飛び出してった相談がきたら半分寝ながら返事してた。ほぼ記憶がなかったけど、後で読み返したらちゃんとしたこと返してた。よかった。
もう、支援中、私はその家庭の一員のつもりでいる。3人かぞくなら、一時的に3.5人家族になる感じ。
時々お母さんたちが「うちの子の親は3人いるとおもってます。私。主人。そして山下先生」って言います。
私は、支援をした家庭の子たちが将来親になり、幸せな子育てをすることを夢見てる。
「ああ、自分はこんなふうに親に愛されてたんだ」ってことをかみしめながら、幸せに子育てしてくれる日を本気で夢見てる。そういう未来を見ていることに共感して、頼んでみたいと思う家庭しか、私は支援はできない。
親が復学だけをみていたとするならば、私が目指す目標とは違いすぎるからできない。
私は、魔王を倒すことを目的にするんじゃなくて、その後世界が平和になり、人々がいつまでも幸せことを目的にしたい人間。
復学したら終わり…にしちゃうと、下手したら魔王倒す手前の中ボス倒して終わりみたいなことになってるかも。それでは消化不良すぎる。
自分を削ってやってる支援なので、さあここからというところで終わる物語をスタートできない。
普段とんでもなくナマケモノだけど、支援については完璧主義のわたしが、全力でやりきりたいと思う家庭との出会いだけを大切にしたい。
あのさぁ…
いやいや、あのね、「母子登校はね、お母さんと一緒に行けるんだからいいじゃない」じゃないのよ。
普通に考えて、朝から夕方まで拘束されて、帰ってきてクッタクタやのにたまりまくった家事やって、兄弟いたら習い事の送り迎えもあるし、ほかの兄弟のケアもキツいよ。
「何で弟はママと学校行くの?ズルい!じゃあ僕明日学校休む」!とか言われてさ、「そんなの私が聞きたいわ…」となるし、
パートでも社員でも、社会と接点もって働く自分をうばわれてしまってるわけ。
そんで、「お母さんが自分で決めて母子登校してるんでしょ?」って絶対言っちゃダメ。
そら自分で決断したよ?したけど、心から納得してない人がほとんど。
楽しめてる人はいいよ。 でも、楽しめないよ。
どんな我が子も愛したいけどさ、嫌でも見せつけられんのよ。違いを。 ほかの子、親と来てないんだから。
学校の先生とかも、お母さんと先生が同じ感覚で学校来てると思ってるんか?とおもうことがある。
いやいや、出勤してる先生と一緒にしたらあかんよ。そっちは仕事でしょ。
子どもたちは素直だから、親に「なんでママときてるの」って言うんよ。
先生には「なんで仕事しにきてるんですか」とは言わないよ。
求められてる場に、籍がある学校に出勤するのと母子登校はちがう。 母子登校は、お母さんが配属されてるわけじゃない。
そんな場に、ずっと笑って行けるか?無理やろ。
親だって働きたい。
自己実現したい。
感謝されたい。
そういう気持ちをわからなあかん。
振り返ると
書いてみて、読み返してみて思うのは、こうやって怒っているのはきっと、
娘を授かる前に傷ついたり、感じていた気持ちと、お母さんたちが母子登校や不登校で傷ついたり、感じている気持ちとを重ねているからなんだろうなということ。
私もいろんな本を読んだし、色々試した。SNSで仲間も作ってみた。
色んな情報に振り回され続けた。
スマホの広告がすごく嫌だった。あっちこっちで、「買わせよう」とする感じ。
こっちの痛いところをついてくる感じ。
これ、画面の向こう側の人、どう思ってんの?金?金だよね。
誰かを助けたいんです!みたいなこと言ってるけどさ、この広告の出し方、金目的だよね???って思ってしまい。(ひねくれている)
そういうのにうんざりしていました。
結局は自分が信じることを、ずっとあきらめずに貫き通すことだなというのが私の場合の結論でした。
あっちこっちいってフラフラしても、一瞬夢は見るけど、現実はそうは変わりませんでした。
周りも興味本位で聞いてくるけど、詳しく話すと親身になって聞いてくれるか?というとそうじゃなかったり。傷つく。
そういう経験が、こうやって怒りとなって、自分とお母さんがたを重ねて文章を書いていたんだな…と思ったというお話でした。
それでは、今回はこれで終わりたいと思います。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!
まいどん先生(公認心理師)
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