不登校のわが子を責めてしまう
ブログをお読みいただきありがとうございます。MIKURU・MIRU代表の山下です。
今回は、「不登校中のわが子をつい責めてしまう」ということをテーマに記事を書いてみたいと思います。
「不登校を認めてあげるべきでは」という外部の意見
不登校中のわが子についつい嫌味をいったり、責めてしまう。
なんでこんなことを言ってしまうのだろう。言ってもプラスになるどころか、マイナスにしかならないのに。
わかっているのに、やめられない。気が付けば責めてしまう…
そういう方はすくなくないはずです。
「それなら不登校を認めてあげればよいのでは」という意見が世の中にはあふれていますが、不登校が長期化することで、親には「将来ひきこもりになったらどうしよう」という悩みのほかに、親子で対話が不可能になっていったり、子どもが昼夜逆転していて何日も顔を合わせていなかったり、キレやすい子になってしまったり、赤ちゃんのように幼くなったりと、学校を休んでいること以外の悩みや不安も多いため、不登校を認めることにはかなりの勇気や考え方の変化などが求められます。
最近の親御さんのお悩みとして多いのは「世の中が変わっていき、自分が学生だった頃と比べて不登校への理解などが進んできた今、不登校を認めるのもひとつということは何となくそう思えるようになったけど、もし、親子会話すらままならない関係性のまま、子どもが成人していったらと不安」ということです。
対話どころか会話がままならない
それもそうですよね。
心が形成されていく大事な学齢期に、親として教えてあげたいことや見せてあげたい世界を見せられないのはかなりつらいことです。
それなのに、子どもは親に対し反発心や拒絶などを示してこられると、親としても、どうすることもできなくなります。
声をかけようにもイラッとしながら「うるせーな!しゃべりかけんな!」なんて言われたら、それ以上はなにもできません。
親としてなんとかしたいのに、出来ない。
現状を変えたい。
家族の不和などを解決したいと思うのに、出来ない。
下手をすれば状態が好転しないまま学齢期を終えることも珍しくはありません。
不登校の予備軍的な「付き添い登校」
実は、不登校には、予備軍的なものがあります。
それは、母子登校(付き添い登校)です。
母子登校は学校には行けているので、学校側もそこまで課題視しないことも多く、それ以外のサポートを必要としている子への対応のほうにどうしても力を割きがちです。
親が明らかに学校の下駄箱で子どもと離れられなくてこまっているのに先生に素通りされたり、教室に行けてない時点で「もしかして今日も下駄箱でお母さんと離れられないのかも」と考え様子を見に来ることもない…というように、親がひとりでなんとかしないといけない状況で困っているご家庭はかなり多いです。
そういう状況になればなるほど、親は孤立化していきます。
学校に助けてもらえないことで、「これ以上どうすればいいの。何で助けてくれないの。何でうちだけなの。どうしたらいいの」という親の不安や不満は膨らんでいき、子どもがいずれ自立してひとりで行けるようになるのが先か、親が精神を病んで母子登校すらできなくなるかの根比べになっているケースは多いです。
見放したい親。見放されたくない子ども。
また、母子登校は周りが思っているよりも親の精神を削り、それが親子関係や夫婦関係の不和につながりやすいです。
親のストレスが限界に達していて、毎日ギリギリの状態では、とてもじゃないですが親子で笑顔で遊んだり、勉強を教えたりはできません。
つい出来ないことやひとりで居られないことを責めて、嫌みを言って、傷つけてしまうこともあります。
子どもにとって親は絶対的な存在で、見放されては生きていけないので、親の顔色を伺って生活したり、母子登校以外では「いい子」であろうとしたり、親の愛を確かめるためにわがままになったり、最悪こころにふたをして感情が鈍感になる子もいます。
親は頑張りすぎた結果、心が折れて「もう学校に行かなくていいや」となり、子どもは親に見放されることが怖くなって分離不安状態になったり、精神的に不安定になる。
そして母子登校から不登校になってしまう…ということが実は多いのです。
不登校中の家庭あるあるなやりとり
登校が不安定ですと、親子関係が悪化しやすく、親子関係が悪化すると、母子登校や不登校などは長期化しやすいです。
親はよかれと思って、子どものためを思って、
「学校に行きなさい」
「将来仕事に行く練習なのよ、学校は!これくらい耐えられなくてどうするの!」
「…(無視)」
「学校行かなかったらゲーム捨てるから」
「学校行ったらご褒美にゲームソフト買ってあげる。行かなかったら1ヶ月ゲーム禁止ね」
「学校行かないならおやつなしだから」
…などと言って、無理矢理学校に行かせようとしてしまう。
一度は「もう学校とかどうでもいいわ」と登校を諦めようとしたけれど、子どもの様子を見たら揺れてしまって、「やっぱり行かせなきゃ」と思って焦ってしまって、↑のようなことを言ってしまう。
まだ子どもが小さい頃に、「ついてこないと置いてくよ」「ゲーム捨てちゃうよ」と恐怖や脅しを与えることで言うことを聞いてくれたというような成功経験を思い出し(成功経験に依存し)、つい力業でなんとかしようとしてしまう。
親からすれば、学校に行くことが子どもにとってよいと思っているので、無理矢理行けばなんとかなるかもという期待をもって、ついそのようなことをよかれと思ってやりがちです。
かみ合わない親子
しかし、子どもたちにはその「よかれ」は「絶望」として受け取られてしまいやすいです。
不登校になったことには、子どもなりの理由がある…にも関わらず、脅しなどでなんとか行かせようとされたら、子どもは、
「なんで話や理由を聴こうとしてくれないの?」と悲しい気持ちになります。
また、学校の話を聞き出そうとするときは優しくするのに、それ以外の時は嫌みを言ってくる。冷たくされる。無視される。という状況ですと、とてもじゃないですが「勇気を出して学校行ってみようかな」とはなりません。
むしろ「うらんでやる。学校行かせることしか考えてない。自分なんてどうでもいいんだ」と絶望し、自分が嫌になり、どんどんひきこもりの状態になっていって重傷化しがちです 😥
親子関係はズタボロ。
会話すらなく、子どもの髪は伸び放題で、最後に子どもがお風呂入ったのっていつだった?となったり、リスカなどの自傷行為や、抑鬱状態になったり、たまに子どもがお出かけしたと思ったら万引きで捕まったり、たばこを吸ったり、家の中で大暴れして警察や児相に通報される…ということも…。
不登校の要因のひとつとされる「無気力」
不登校相談などを受けていると、もともとは活発だったというお話をよくうかがいます。
そういった話を聞いたり、支援をしていて思うのは、もともと「無気力にさせてしまう何かがあるのでは」ということです。
親あるいは学校や習い事などの場で、なにかしら「本人にとって重要だと思っているコミュニティー」の中で居場所をなくしたり、絶望を経験することで、なにもかもどうでもよくなって、がんばることをやめてしまう場合もあります。
ですので、逆をいえば、子どもが無気力になった大元を見つけだしてそこを修復できれば、自然に子どもは元の…いえ、それ以上の活発さや行動をするようになっていくかもしれません。
実際に、私は過去の支援で親子関係が断裂している状態から、親御さんのお子さんへの関わりがかわり、親子の関係性が修復し、さらに絆が深まった瞬間を数え切れないほどみてきました。
そういったご家庭は、無理矢理親が子どもを動かそうとしなくても、子どもが自ら自分の人生を考え動き出していきましたし、親御さんも「いい親であろう」「心ではそうは思っていないけれど、寄り添うふりをしなきゃ」と演じることなく、自然体になり、親子関係のみならず夫婦関係もよくなり、家族で家族を支えあえるようになっていきました。
学校環境がお子さんに合わない場合は、学校との連携をどうとっていくか。
学校以外の選択肢が必要な場合は、どれを選んでいくのか。
親子関係が課題である場合は、どこから手をつけていくべきか。
なかなか答えはでないとは思いますが、状況を冷静に見て、できるところから取り組んでいくことが大切だと私は思います。
また、今回のブログで一番書きたかったことは、「お母さんがわが子を責めてしまうのには理由がある」ということです。
どうか、「私のせいで」とご自身を責めすぎないでほしいなと思います。
それでは、今回はこれで終わりたいと思います。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!
まいどん先生(公認心理師)
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