小3年Aくん:一年の付き添い登校後、WISCをきっかけにがんばり方を変えた話

一年の付き添い登校後、WISCをきっかけにがんばり方を変えた話

今回は、約15年分の不登校支援の中でも、中学年の母子登校でよく見られる、複数合わせた事例を書かせていただきたいと思います。

(個人情報の問題があるため、一部ダミーがふくまれます)

 

小学3年生の春、Aくんは毎朝、お母さんと一緒でなければ学校に入れなくなっていました。

最初は、よくある登校しぶりのように見えました。

「お腹が痛い」
「今日だけ休みたい」
「教室がうるさい」
「先生に見られるのがいや」
「みんながこっちを見る気がする」

そう言って、玄関や寝室でランドセルを背負って固まります。
お母さんは最初、本人の不安が強いのだと思い、叱らないようにして、無理に引っ張らないようにして、
「大丈夫だよ。途中まで一緒に行こう。校門近くの角の電柱あたりまで」と言い、登校班は先に出発してしまったけれど、ギリギリ遅刻しない時間に登校しました。

そのうち、付き添いは校門までになり、下駄箱までになり、教室の入口までになりました。

お母さんが帰ろうとすると、Aくんは急に表情をなくし、目が泳ぎ、口数が減り、母の袖をつかみながら、
「まだいて。帰らないで。お願い、今日だけ。…無理」と言います。Aくんは、教室から少し離れた廊下で、お母さんとうまく離れられずにいました。

お母さんは、最初の半年は「安心が足りないのかも」と考え、安心できるまで付き添いをしていました。
けれど、一年近く経つころ。

「これは本当に安心の問題だけなのだろうか」と疑問を持ち始めます。こんなに長く付き添うのに、変わらない。

…あんしんって、何?

 

家では、Aくんはよくしゃべります。
ゲームの話や好きな動画の説明もうまいし、妹に文句も言えるし、父に反抗もするし。

だから周囲からは、「家では元気なんですよね?じゃあ、学校だけ甘えているのかな。お母さんが付き添うから離れられないのでは?そろそろ一人で行かせないと」と言います。お母さんもそのように思わなかったわけではありません。

けれど、朝のAくんは、甘えているというだけでは説明ができない違和感がありました。

行きたい気持ちがないわけではないし、先生が嫌いなわけでもないし、友達とまったく関わりたくないわけでもないのに、でも、朝になると動けない。

「どうしていけないんだろう。」この正体が、お母さんにはずっとわかりませんでした。

WISCを受けて見えたこと

そこでお母さんは、MIKURUMIRUをみつけてくださり、支援を受講されます。最初は母子登校の経過を細かく整理しました。

いつ止まるんだろう。朝ご飯を食べたあとにスイッチが入るように固まるな。
どの場面で表情が変わるのだろう。家を出ると、いつも無表情になっているな。
どんな声かけで崩れるんだろう。「あと10分で家出るよ」というお母さんの発言に不安定になりやすい。
どんな日は少しましなんだろう。授業っぽい時間割が少ない日や短縮授業の日や週末は割と行き渋りがマシだな。…など。

そこで見えてきたのは、Aくんの母子登校が単なる「母への依存」ではなさそうだということをかんがえます。

お母さんがいると、Aくんは次に何をすればよいかをお母さんの顔で確認していました。
先生に何か言われたとき、お母さんが横にいると意味を補足してもらえた。
予定が変わったとき、お母さんが「今日はこういう流れみたい」と翻訳してくれた。
教室に入る前も、お母さんが周囲の空気を読んで「今なら入れそう」と判断してくれていた。

お母さんは、Aくんにとって「安心材料」であると同時に、外付けの見通しであり、外付けの整理役であり、外付けの処理装置のような役割をしていました。

このケースでは、支援を受ける前に学校から提案され、WISC検査を受けたばかりで、支援を受けはじめて1か月程度で結果をみさせていただくことに。

 

検査時年齢:8歳9か月
学年:小学3年生

全検査IQ:87
言語理解:94
視空間:99
流動性推理:86
ワーキングメモリ:79
処理速度:74

「知的には大きな遅れとは言いにくいけれど、学校の集団テンポではしんどくかんじやすい」ような結果です。

検査上は、全体として平均よりやや低めではあるものの、著しい知的な遅れというより、学校生活の中で求められる「同時に聞く」「覚えて動く」「時間内に処理する」といったところに負荷がかかりやすいようで、所見には、こうありました。

「課題の意味が理解できていないというより、複数の指示が重なったときに処理が追いつかなくなる様子が見られた。時間制限がある課題では焦りやすく、手が止まる場面が多い。視覚的手がかりがあると取り組みやすいが、口頭のみの説明では保持が難しい。学校生活では、一斉指示、予定変更、板書、提出物管理、移動、集団の中での切り替えなどに大きな負荷がかかっている可能性がある」

お母さんは、その結果を読んだとき、泣いたと話されます。

「この子は、わかっていてやらないんじゃなかったんですね。Aがわかっているのに動かないのかもって思っていました。どこかで境界域なのかな、なんて考えつつ、いやでもこの子は怠けてるのかもって思って、きつい言い方、たくさんしてました…」と言います。

Aくんは、みんなが普通にできることが、自分にはできない。
でも、なぜできないのか説明できない。
説明できないから、「無理」としか言えない。
「無理」と言うと、周囲は「また逃げている」と感じる。
すると本人は、ますます何も言えなくなる。

そのような中で、苦しんでいたのです。

「何が嫌なの?」と聞いても、Aくんは答えられませんでした。嫌なことが一つではなかったからです。

「学校が嫌」なのではなく、学校に入った瞬間に処理しなければならない情報量が多すぎたから、しんどかった。嫌だった。

 

支援で最初に変えたこと

MIKURUMIRUの支援で最初に行ったのは、「お母さんが付き添うか、付き添わないか」を決めることではありませんでした。

これまでお母さんは、朝のAくんを見るたびに、「また不安になっている。また甘えが出ている。今日も離れられない。いつまで続くんだろう。私の対応が悪いのかな」と苦しんでいました。

でも、「今、この子は情報が多くてパンクしてるのかも。言葉にできないのは、やる気がないからではなく、訓練不足かも。」こういうふうに捉えられるようになると、Aくんに向けられやすかったとげとげした視線は送られにくくなっていきます。

母子登校を乗り越えようとするとき、ときどき「お母さんが離れること」が目標になりすぎるように私は思います。

もちろん、最終的に一人で登校できるようになることは大事なのですが、Aくんの場合、はやくお母さんと離れさせようというだけではうまくいきません。

なぜなら、お母さんがいなくなると「安心」がなくなるだけでなく、学校内において、「見通し」「翻訳」「切り替え」「判断」のサポートまで一気になくなってしまうからです。

だから、まずはお母さんが担っていたことを、少しずつ分散させていきました。

例えば、朝の予定は、言葉で伝えずホワイトボードに書いて、みながら進めるなどです。

また、以前は、お母さんは何とか安心させようとして、たくさん話していました。

「大丈夫だよ。昨日も行けたじゃん。今日も少しだけでいいから」
「先生も待ってくれてるよ。無理だったら帰ってきてもいいから」
「どうしたの?何が不安?」

これらは一見、優しい声かけなのですが、Aくんにとっては、その一つひとつが追加情報になって、情報量が多くて、よけいにフリーズしやすかったため、できるかぎりホワイトボードを見ながら「次はこれだね」という程度にとどめてみることにしました。

学校との連携

検査結果を受けて、学校との連携の仕方も変わっていきました。

これまでは、学校側も「お母さんと離れる練習をしましょう」という方向で対応をしてくださって、何とか教室に入れようとしてくれていました。

ただ、それは彼にとって苦痛であったということで、学校内でお母さんがいなくても安心して過ごせるようになってから分離をすすめようということで、

 

朝は通常級ではなく、まずは別室(支援級ではない避難場所)に入る。
先生は長い説明をしないようにして、予定変更がある日は、朝の時点で知らせる。
別室から通常級に行く時間は、本人と相談して一時間単位で決める。
教室移動の前には、先生が声掛けする。
困ったときに出せるカードを作る。…などです。

こういったことをやっていきながら、安心して過ごせるようにしていこうとなりました。

だけどAくんは最初、「そんなの出したら変に思われる」と言い、このカードを使うのを嫌がりました。

お母さんは、以前なら「変じゃないよ」と励ましていたかもしれません。でも、

「たしかに、最初は変に思うかもしれないね。でも、今まで無理しか言えなかったところを、先生にわかる形にするカードだからね。」と伝えると、Aくんは黙って聞いていました。

 

翌週、初めてカードを使いました。

一時間目の前、予定変更で体育が音楽に変わった日に、Aくんは教室の机で固まり、先生に「どうしたの?」と聞かれました。

以前なら、そこで黙るか、泣くか、帰ると言っていましたが、その日は、カードを出し、先生に助けてもらいます。

その日、Aくんは早退はしませんでした。

 

お母さんはその日の夜、Aくんに、「今日、カード出せたんだってね。あれ、すごくよかったと思う」というと、Aくんは、少し照れたように、「別に。先生が書いてって言ったから」と言いました。その日からAくんは、カードをランドセルの横ポケットに入れるようになりました。

 

家庭内で起きた変化

支援前、家庭ではお父さんとお母さんの見方がずれていました。

お母さんは、Aくんの不安を何とか受け止めようとしていました。
お父さんは、Aくんが母に甘えているように見えていました。

お父さんは怒鳴るタイプではありませんでしたが、言葉の端々に嫌味がふくまれがちで、「いつまでお母さんについてきてもらうんだ。もう3年生だろ。みんな行ってるんだから。嫌なことがあっても行くのが学校だろ」といったことを言いがちです。Aくんはそう言われると、いつも黙りました。

お父さんから見ると、Aくんは都合が悪くなると黙る子でした。
でも実際には、Aくんは言い返す言葉を組み立てられず、唇をかむしかできなかったのです。

WISCの結果を見たあと、最初は数値を見てもピンと来なかったそうで、「でも、ゲームはできるんですよ。好きなことなら集中できるんです。だったら、やっぱり気持ちの問題もあるんじゃないですか」と私に質問をしてくださいました。私からは、

「好きなことに集中できることと、学校生活の複雑な情報処理ができることは別です。
ゲームは画面の中に情報が見えていて、ルールも繰り返しで、失敗してもすぐやり直せるけど、学校は人の表情、先生の指示、時間、音、移動、提出物、暗黙のルールが同時に発生します。Aくんが苦手なのは「やる気」ではなく、「同時に処理すること」「急かされること」「見えない予定を頭に置いて動くこと」なのだと思います」とお伝えすると、お父さんは納得されたご様子でした。

 

それ以降、お父さんは、朝の登校を説得する役割ではなく、夜の準備を一緒に確認する役割を担ってもらうことにしました。

お父さんは最初、「これは持っていくのか?なんで書いてないんだ?おい、ちゃんと見ろよと、つい詰問になってしまうところがありましたが、徐々に「明日の朝、迷いそうなものはどれ?これは今決める?朝決める?わからないものは、先生に聞こう」と伝えられるようになります。

お父さんが変わると、Aくんのお父さんへの反応も少し変わっていき、以前はお父さんが部屋に来るだけで、Aくんは身構えていたのですが、数か月後には、お父さんに「明日、図工があるから一緒にいるものさがしてほしい」と言えるようになります。

 

 

変化は「急に一人で行けた」ではなかった

支援を受けたからといって、Aくんは突然、通常級に毎日通えるようになったわけではありません。

むしろ、最初の一か月は、登校の形だけを見ると大きな変化はありませんでした。

母は変わらず付き添っていましたし、教室にも入れない日がありましたし、早退もありました。

けれど、朝、Aくんは泣き続ける時間が短くなり、「無理」と言ったあと、少し待つと動ける日が出てきて、お母さんが十個説明しなくても、紙を見れば次の行動に移れることが増えました。帰宅後の荒れ方が減り、夜に「明日どうするか」を少し話せるようになっっていきます。

二か月目、お母さんは校門まで付き添い、そこから先生に引き継ぐ日が週に一回できました。

三か月目、お母さんは下駄箱で別れ、Aくんは別室まで一人で歩く日が出てきました。

四か月目、朝だけ支援級で過ごし、二時間目から通常級に入る日ができました。

五か月目、お母さんが学校の中に入らず、校門の外で見送る日が週に二回になりました。

雨の日。担任が出張の日。席替えの翌日。前日に宿題が終わっていない日。学校行事の前後。

そういう日は、また「無理」が出ましたが、時々行ったり来たりしながらも、少しずつ変化がみられていきます。

 

支援級に入ることへの抵抗

Aくんが4年生になろうという年度末。支援級の利用をしてみようということになり、Aくんは一度、強く嫌がりました。

「支援級って、できない子が行くところでしょ。みんなにバレたら終わる。普通じゃないってことじゃないか」と。

お母さんは胸が痛みつつ、でもここで「そんなことないよ」とだけ言っても、Aくんには届かないことを知ってもいて、

「Aは、考える力がないわけじゃない。目で見て考えることはむしろ得意なところがある。でも、いっぺんに言われたり、急に予定が変わったり、時間で急かされたりすると、頭が止まりやすいんだと思う。支援級は、Aができないから行く場所じゃなくて、ひとりで学校に行けるように練習する場なんだと思うよ。」と伝えると、Aくんは、「でも、普通級に行けないってことでしょ」と言います。

「普通級に行くために、支援級を使うという考え方はどうかな。いきなり全部は無理だから、まず支援級でできることをふやして、行ける授業に行く。全部行ける子がえらいんじゃなくて、学校で誰かを頼ったり、困った時にどうやって乗り越えようかと考えながらやっていけることが大事なんだと思うよ」と伝えると、Aくんは完全に納得はしなかっただろうけれど、時間をかけてお母さんの言葉を受けいれていったようすでした。

 

次の学年で支援級に入ったAくん、朝一番に先生と今日の予定を一緒に確認します。
通常級に行く授業を選び、苦手な時間は無理に行かず、支援級でプリントをします。
提出物は先生と確認します。終わっていない宿題は、「ここまでできています」と出すようにしました。

支援級に在籍しているからといって通常級との交流がないわけではなく、「結構大丈夫だったわ」とAくんはいいました。

 

Aくん自身の言葉が変わる

支援前、Aくんの発言は単語が多く、

「無理」
「いや」
「わからん」
「別に」
「だるい」

ほとんどこれだけでした。

お母さんは、それを「本音を話してくれない」と捉えていたのですが、実際には、Aくん自身も自分の状態がわかっていませんでした。

支援の中で、お母さんはAくんに気持ちを無理に言語化させるのをまずはやめてみて、

「何が嫌なの?」と聞く代わりに、選択肢を出しました。

「音がしんどい?」
「予定がわからない?」
「先生に何か聞かれるのが嫌?」
「宿題のことが気になってる?」
「教室に入るタイミングがわからない?」
など。自分の状態を伝えるには、語彙力・表現力も必要です。どうやって伝えればいいかがわからない状態だったので、お手本を示すように伝えていくことにしました。

Aくんは最初、「知らん」と言っていましたが、数か月後には、

「今日は教室の声が無理。昨日休んだから、何言われるかわからん」
「一時間目から行くのは無理。二時間目なら行ける」
「先生が怒ってなくても、早くしてって感じがすると無理」

などと話せるようになっていきました。

 

2年後の姿

支援開始から2年後、Aくんは小学5年生になっていました。

登校は、週4〜5日。
朝は基本的に一人で校門を入り、まず支援級に向かい、支援級の先生と話をして、教室にいきます。
通常級には、国語、図工、理科の実験、好きな単元の社会など、行ける授業を選んで参加しました。
算数は支援級で個別に進めました。体育は種目によって参加。
行事は全部参加ではなく、事前に流れを確認し、負荷の高い場面は部分参加にしました。

Aくんはひとりで学校に行けるようになりました。

支援級を基地にして、通常級と行き来する。
自分の状態を先生に伝える。
無理な日は、全部を投げ出すのではなく、支援級で整える。
できないことをごまかすのではなく、やり方を変える。

とはいえお母さんの付き添いも、完全になくなったわけではありません。

大きな行事の朝、担任が変わった直後、体調が悪い日などは、途中まで送ることもありました。

ただ、それは以前のような「母がいないと学校が成立しない付き添い」ではなくなっていきました。そしてAくんは、6年生にあがり、通常級で頑張ることになり、6年生の夏休み明けに支援を卒業されます。

お母さんは、「最初は、一人で学校に行けるようにしたいと思っていました。でも今は、一人で行くことだけが目標ではなかったんだなと思います。この子が、自分の苦手さを少しわかって、周りに伝えられるようになったこと。私が、この子の無理という言葉をを甘えと見なくなったこと。夫が、追い立てるのではなく、がんばりを認められるようにいなったこと。学校に行く行かないで子どもをいい子かどうかと見なくなったこと。それが一番大きかったです。支援を受ける前、この子を嫌いだと思ってしまう自分でしたが、今はかわいいと思える自分に戻っていて、うれしいです」とお話して下さいました。

Aくんはある日、お母さんが「支援級、どう?」と聞くと、「普通級だけだったら、たぶん無理。でも支援級あるなら、まあ行ける」と言いました。

この言葉を聞いたとき、お母さんは「ああ、学校内で安心して過ごせるようになったんだ」と思ったそうです。

「学校は無理」ではなく、「こういう形なら行ける」。

ここまで来たことが、Aくんの大きな、大きな成長でした。

 

このケースで大事だったこと

この事例は、WISCの結果が出たから急にすべてが解決した、という話ではありません。

数値が出ても、支援が雑であれば何も変わりません。

ただ、Aくんの場合、検査によって、母から離れられない。不安が強い。甘えがある。親子分離が課題…といった見え方が変わったことが大きいです。

いきなりお母さんなしで学校で過ごせるようにするのではなく、お母さんが担っていた機能を分解・分散したこと。
ホワイトボード、カード、支援級、先生、父との準備時間。
本人に「がんばれ」と言うのではなく、がんばり方を本人の脳の特性に合わせること。

こういったことをコツコツ取り組んだからこそ、Aくんは学校内でお母さんというサポーターがいなくてもひとりで行けるようになりました。

このように、一年付き添っても変化が見られないケースでは、親の対応だけを見直しても限界がある場合があります。

必要なのは「もっと安心させること」だけではありません。「もっと突き放すこと」でもありません。

その子がどのようにつらいのか、苦しいのかを、具体的に見ることだと思います。

ここを見誤ると、支援はうまくいきません。

Aくんに必要だったのは、根性論ではなく、ただ優しく待つことだけでもなく、Aくんが頑張れるよう環境デザインをしつつ、Aくん自身の成長も促すという2つを同時進行でとりくむことでした。

付き添いが長引いているとき、親子分離の問題があることもありますが、WISCなどの検査を通して、子どもの認知の地図を一度見てみることには、意味があるのかもしれません。

どのようにつまずいているのかを知るため。その子に合ったかかわりをみつけるために。

 

 

それでは、今回はこれで終わりたいと思います。

さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!

まいどん先生(公認心理師)

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