こどもの気持ちに「寄り添う」とは
ブログをお読みいただきありがとうございます!山下です 🙂
こどもの気持ちに寄り添うということをテーマに記事を書いてみたいと思います。
観察力が大事
例えば、子育てで悩んだ時、「10人の子を育てたお母さん」と「1人の子を育てたお母さん」どちらに相談するかと聞かれると、「10人子育てをされたお母さん」と答えるという方が多いかなと思います。
しかし、10人子育てをされてきていても、会話があまりない家庭だったり、子どもをじっくり観察できていない家庭だった場合、「こどもは勝手に育つわよ」「愛よ、愛」「見てるよ~というのが伝わればいい。抱きしめて、愛を伝えればよい」という感じのふわっとした回答が返ってくるかもしれません。
反対に、もう1人のお母さんからは、「子どもが頭の中で何を考えてみているのかをじっくり観察することだと思う。親はつい子どもが乳幼児の頃のように、こう考えているに違いないと決めつけて子どもをみるけれど、子どもは常に成長している。時に大人でもびっくりするようなことを考えていたり、鋭い視点を持っている。それをうまく言葉にできないだけで、実はめちゃくちゃ考えている子もいる。そういうことを理解して、観察して、ていねいに話を聴くことだと思う。親は共感力や洞察力や自制力を駆使して親子関係を築くべき。『大丈夫よ』『そのうち平気になるよ』『じきによくなるわ』と通りいっぺんのことを言うだけではだめになっていく」と具体的な回答が返ってくるかもしれません。
悩みがあった時に相談するか、こころの中に隠してしまうか
あまり普段から悩んだり、親を頼るようなことがないタイプのお子さんは、「手がかかりにくい」ことからそこまで気を配らなくていい。手をかけなくてもいい。と思われがちなのですが、実はそう思っているのは親だけで、お子さんは本当は助けを求めたいのに、「助けて」ということを申し訳なく思い、自力で解決しようとしている場合があります。
(一生懸命自分で解決しようと抱え込んだ結果、キャパオーバーで不登校や母子登校になる子もいます。)
そういうタイプのお子さんは一見しっかりしているので、「この子は自分の面倒がみられる」と思って、早い段階で自活・自立させようとする親御さんは多いです。
例えば、ご兄弟の中で手がかかる子もいれば、しっかりしているお姉ちゃん・お兄ちゃんであるとか、妹・弟がいる場合、どうしても親は手がかかる子のほうに目がいきがちで、手がかからない子のことを「助かった…この子だけでも自分で自分のことをやってくれて」と思うことがあるかもしれません。
結果こどもは自立してやっていけるけれど、子どもはずっと親とのつながりを求めているし、関心を持ってもらいたいと願い続けていて、内なる経験を分かち合いたいと考えていることもあります。
こんなことをなぜ書けるのかというと、支援中の親御さんが「私はそうだった」と語ってくださることが多いからです。
「あの頃の自分は、一生懸命だった。親を悲しませないようにと必死だった。だけど、大人になって子育てをしていると、色んなことを思い出してしまうんです」と。
心の傷が癒えないどころかえぐられる
ある意味トラウマのような、こころの傷を負ったひとは、いろんなことを先回りして考えることが当たり前になっていることが多いです。
お子さんの感情や考えを過度に忖度して、ちょっとした表情を読み取り、子どもが怒らないか・気分を害さないか…と考えてしまって、疲れてしまう。母子登校や不登校のお子さんに関わる親御さんは特にそうなることがあります。
しかし、本当の意味でお子さんの気持ちを汲めているかというとそうではない場合が多く、むしろお子さんの意識下の不全感(十分に機能・活動していない、 状態が不完全であること)への忖度をし、巻き込まれてしまうこともしばしばあります。
先回りし、子どもの気持ちを察しようと下手に出てしまって、結果軽んじられたり、暴言をはかれたり…。
過剰適応の背景には罪悪感や自信のなさが潜んでおり、「すみません」「ごめんなさい」が口癖になるケースもあります。
母子登校や不登校の親御さんは「私のせいで」と思われていることが非常に多く、「わたしの育て方が悪くてこの子を不登校にさせてしまった」と思い、昔のような自然なやりとりができなくなることが多いです。
また、子どもの怒りなど、負の感情への恐れももちやすくなり、子どもの気持ちがわからなくなり、子どもが「得体のしれない理不尽な存在」として捉えられてしまうということもあります。
そうしたなかで、自分を守る手段が「過剰に子どもに気を遣う」という行為になりやすく、子どもに合わせることを最優先するために、自分の気持ちや考えがわからなくなってしまい、自分をしっかり保てなくなってしまいます。
ご自身が子どもの頃に悩んで傷ついていたことを、子育てをしながら再び同じような悩みをもち、傷ついてしまうかたもいます。
「感情を見ないようにしたほうが楽」
そういうかたは、「とにかく母子登校や不登校さえ解消されれば…」と、目の前のつらさをなんとかしたいと考えることがあります。
親のかかわりを変えてみた結果、お子さんが母子登校や不登校でなくなったとき、
「ああ、よかった。これでこの子と自然なかかわりができる」とホッとするというより、
「母子登校が解決した。成長した。親はやっと自由になれる」と思って、解放されたんだという嬉しさを持つかたもいます。
「とにかく、気を遣うかかわりから抜け出したかった」
「私が私で居られなくなることから脱出したかった」
「やっとだ。やっと、じゆうだ…」
そして、その後、関わりが雑になるというより、観察が雑になることが多いように感じています。
お子さんのことも、ご自身のことも。
じっくり見つめて、自分を知る・こどもを知る…ということを意識するより、とにかくこれまでの反動で、自分の気持ちも、子どもの気持ちも考えなくていい時間を堪能したい!と。
だってこれまでずっと抑圧されてきていたのですから、当然のことだと思います。
こどもと向き合うということ
私は、母子登校や不登校に悩むご家庭の支援をするとき、復学は通過点でしかなく、過程でしかなく、一生親子のかかわりが幸せで、よい思い出で包まれることが大事なんだということを親御さんにお話ししています。
「自分を理解してくれる分かり合える人と心でつながりたい」という欲望を、支援(カウンセリング)を通じて持っていただきたいし、カウンセリングのなかで体験してもらいたいと思っています。
感受性が豊かで、敏感性が強くて、心配性なお母さんほど、子どもの「感情」を恐れてしまいやすく、子どもの話にあまり耳を傾けられないという場合があります。
その理由は「自分ではうまく対処できないかもしれない」という自信のなさからきていることが多いです。
こういったご家庭を見ていると、親子の相性というか、実はお子さんは心のつながりを求めて感情をいっぱい話して共有したいのだけれども、お母さんがそれが苦手で避けてしまいやすい(その背景には不登校になることへの恐れがあったり)ということに親御さんが気づけていなかったり、薄々気づいてはいるけれども怖い・しんどいと感じていたということが分かる場合があります。
でも、実は、親御さんが話を聴くのが苦手というよりも、それ以前に、「自分に興味がない」「自分のこころの中(精神的な世界の視点)に興味がない」「人に興味がない」ということがあったり、「興味はあるけど、これまで話を聞いてもらって自分を理解したり相手を理解するような環境に身をおいたことがないからよくわからない」ということがあったりします。
でも、そういうかたほど、じっくりカウンセリングを受けていただくと、セッションを重ねていくと、「私、こんなにも自分のことを誰かにわかってもらいたかったんだなと気づきました」と仰います。
そして、「この体験を、子どもにも味わってもらいたい。だから、一生懸命、子どもに向き合ってあげたい。寄り添ってあげたい。支えて、味方でいてあげたいです。子供のことを、心から愛していると思えるようになった自分のことを、私、いいじゃんって思えるようになりました」とお話しされます。
寄り添う・理解するということは、テクニックである程度対応は可能かもしれません。
ですが、本当の意味で相手を理解するには、テクニックを超えて、上で書いたような「理解される体験」「自由に発言していい安心感」を味わっていただく必要があると私は考えます。
もし身近に話を聞いてくれるような、信頼できるようなかたがいたら、「今日こんなことがあって」だけではなく、「私、こんな気持ちになったんだ」と、自分の気持ちもセットで話してみるところからはじめてみるといいかもしれません。
そのうち、お子さんの話しの聞き方のヒントがみつかるかもです。
それでは、今回はこれで終わりたいと思います。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!
まいどん先生(公認心理師)
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