
中学生の不登校。家庭内対応での復学
不登校の子というと、部屋に閉じこもっているとか、表情が暗いとか、親に暴言を吐くみたいなことを一般的には想像されがちです。もちろん、そういう状態の子もいますが、支援の現場で何度も思わされるのは、不登校の子は、必ずしも「いかにも不登校らしい姿」をしていないことが多いなぁと思います。
挨拶をすれば、目を見て返してくれるし、笑うし、冗談も言し、アニメやゲームの話をすれば、普通に盛り上がることができるし、勉強も、やればできる。
そういう子が不登校だと、「この子が不登校なのか。こんなに普通に話せるのに。こんなに穏やかなのに。こんなにちゃんとして見えるのに。」みたいに驚くこともあるかもしれません。
どこからどう見ても問題を抱えていなさそうに見える子でも、学校に行けなくなることがあります。
今回は、過去の事例を書かせていただきます。(個人情報の問題で一部ダミー表現が含まれます)
「学校がすべてではない」と言い続けた家族が、もう一度学校の話をできるようになるまで
小学5年生の秋、Bくんは学校に行かなくなりました。
きっかけは、はっきりしているようで、はっきりしていませんでした。
ただ、ある朝、起きてこなかった。
お母さんが「熱ある?」「お腹痛い?」「昨日、寝るの遅かったもんね」と言っても、Bくんは何も答えませんでした。
その日は休み、翌日も、「無理」。その次の日も、「行かない」。週明けも、「今日は無理」。
Bくんは、昼頃に起きてきて、リビングでパンを食べる。午後はゲームをする。
夕方、お母さんが学校から持ち帰ったプリントを見せようとすると、少し顔が曇ったり、部屋に逃げてしまう。
お母さんはそれを見て、なんだか声を賭けてはいけない気がして、プリントをそっと引っ込めていました。
一か月が経つころには、Bくんの生活はかなり変わっていました。
朝は起きず、夜は遅くまで起き、ゲームの時間が長くなり、学校の話をすると、機嫌が悪くなり、宿題の話をすると、部屋に戻る。
母が少し強めに言うと、「わかってるって」と吐き捨てる。
Bくんは、夕方になると元気で、ゲーム友達とは笑いながら話しています。
家族とまったく会話しないわけでもありません。
好きな話題なら、普通に話すし、むしろ、学校の話題以外では、以前とそれほど変わらないようにも見えました。
でも、学校の話だけになると、空気が変わっていました。
母が「先生から連絡があってね」と言った瞬間、Bくんの顔が固まる。
父が「そろそろどうするか考えないとな」と言うと、Bくんはイヤホンをつける。
母が「教育支援センターっていう場所もあるみたい」と言うと、「そういうの、勝手に決めないで」と言う。
親が決めようとすると、本人が怒る。
怒らせるとまた部屋にこもる。
家の中で、学校の話題だけが、触れてはいけないものになっていたと、初回電話のとき、お母さんはいいました。
「個性を尊重している」はずだった
母は、もともと教育熱心な人でした。今の時代の子育てについてよく調べていました。
子どもの主体性を大事にし、自己決定を尊重する。
学校以外の学びもあり、無理に集団に合わせなくてもいい。
その子らしさを大切にする。
そういうのもありかなと思っていたので、Bくんが学校に行けなくなったとき、
この子には、この子のペースがあるし、学校に戻すことだけがゴールではない。
親が決めつけてはいけないし、本人が選ぶことに意味がある。
と考えようとしていたと言います。
けれど、支援の中で見えてきたのは、お母さんがそれらの言葉を「Bくんを理解するため」に使っているというより、Bくんに踏み込まないために使ってしまっているということでした。
学校にも行かず、友達とも会わないようになり、教育支援センターも見学だけで終わり、ゲームと動画。
…これが、本当に「本人のペース」なのだろうか、この子の世界は狭まっていくばかり…とお母さんは、だんだん自信がなくなっていったと言いました。
WISCを受けた結果
不登校になってから4か月ほど経った頃、学校からも勧められ、BくんはWISC検査を受けました。
全検査IQ:103
言語理解:108
視空間:101
流動性推理:106
ワーキングメモリ:96
処理速度:96
指標間に極端な差はありませんでした。
全体として平均域。大きな凸凹もない。
検査中の態度も、特別に不適応というほどではなく、課題への取り組みも落ち着いていたらしい。
発達検査は受けていませんでしたが、少なくともWISC上は、学校生活を大きく阻むような知的な課題は見えないため、お医者さんからも必要ないかなといわれたようです。
母は、結果を見て、少し落胆したそうです。
「じゃあ、何でいま、こうなってんの?」と。
大きな特性があるなら、まだ説明がつくし、数値に明確な弱さがあるなら、学校に配慮をお願いしやすい。
でも、検査結果は平均的で、むしろ、年齢相応の力はあるらしい。
では、なぜ行けないのか。
WISCで大きな説明がつかないということは、少なくとも今回の主戦場は、認知特性の問題だけではないだろうということで、お母さんはよけいに混乱したそうです。
見えてきたのは「対話の不在」だった
Bくんは、話せない子ではありませんでした。
ゲームの話・好きな漫画の話は上手にするし、父に軽口を言うこともあるし、母に「今日のごはん何?」とたのしくやりとりできる子でした。
だから、「会話はある」と思っていたとお母さんは仰います。
でも、支援の中で細かく見ていくと、「肝心な会話」があまりなかったのではないか、という話になっていきます。
学校に行かなくなった本当の理由や、親に対して感じていること。
自分でもどうしたらよいかわからない焦りや、このままではまずいと思っている気持ちや、でも今さら戻れない感じ。
親に言いたいけれど、言ったら責められる気がすることや、親もまた、聞きたいけれど、聞いたら壊れる気がして聞けないこと。
学校の話をすると不機嫌になる彼を目の前に、親御さんもまた、こういう話が出来なくなっていました。
親御さんは、「本人のペース」を大事にするあまり、Bくんの本音を聞くことを避け、「無理に言うのはよくない」と思う一方で、心のどこかでは「甘えているのではないか」と感じていた。
Bくんは、親が腫れ物に触るように接していることに気づいていました。
そして、そこに少し苛立っていました。
なぜなら、腫れ物扱いされるというのは、楽なようでいて、実は孤独だからです。
誰も本気で聞いてこないし、誰も本気でぶつかってこない。
親は優しい言葉を言うけど、その優しさの奥に、不安と焦りが透けている。
「どうせ本当のことを言っても、わかってもらえない」
「親は俺を尊重しているんじゃなくて、扱いに困っているだけ」
「学校の話になると、みんな急に変な感じになる」
「俺が怒れば、話は終わる」
「でも、このままでいいとも思ってない。本当は学校に行きたい」
そういう気持ちが、もしかしたらBくんにはあるのかもしれないとうことが、支援の中でみえていきました。
不登校の子は、表面では学校の話を拒否することがありますが、「学校に行きたくない」とは限りません。
本当は戻りたいけど、戻るきっかけがないとか、
戻ると言ったら、親が大喜びしそうで嫌だとか、もしそれで戻れなかったら、また失敗になるから怖い。
友達に何か言われるかもしれないし、先生にどう見られるかわからないし、今さら普通に戻る方法がわからない。
そういう複雑な気持ちがあるのに、それを言葉にできないまま、
「学校だけがすべてじゃない」
「今は無理」
「本人のペースでしょ」
という言葉の陰に「本当は学校に行きたい」という言葉が隠れているようでした。
MIKURUMIRUで最初に行ったこと
「本人のペースを大事にしたいんです。でも、どこまで待てばいいのかわからなくなりました」
「学校だけがすべてじゃないのはわかります。でも、じゃあ毎日ゲームしているだけでいいのかと言われると、違う気がします」
不登校について調べすぎて、ご両親はかなり混乱していて、
厳しくすれば傷つけることになるかもしれない。
待てば動かないかもと焦るけど、本人に決めさせないとトラウマになるかもしれない。
本人にどうするんだとこれからのことを決めさせると決まらないけど、親が決めると反発する。
学校がすべてではないと言いながら、本当は学校に戻ってほしい。
でも、それを言うと親の都合を押しつけている気がする…と。
カウンセリングのなかでは、本人のペースを尊重することと、本人にすべてを決めさせることは違うのではないかという話になりました。
まだ自分の状態をうまく表現できない状態のお子さんの気分などにすべてを委ねてしまうと、子どもはかえって苦しくなることがあり、
「どうする?」と聞かれ続ける子どもは、一見尊重されているようで、実は大人の決定責任まで背負わされているようで、決められないということもあるからです。
Bくんの場合、「行かない」と言えば親が引くことを知っていて、だから、本人の中にも、変な力関係ができていました。
本当は戻りたい気持ちもあるけど、戻ると言ったら負けたような気がする。
親の思い通りになったようで腹が立つ。かといって、このまま家にいても苦しい。
こういう膠着が実はあったようで、これをほどくには、親子間の固定化したやりとりなどを変えていくことが大事なのではという話になります。
家庭内の言葉を変える
いままでは、
「無理しなくていいよ。あなたのペースでいい。学校だけがすべてじゃないから。行きたくなったら行けばいいよ」
と言っていたお母さんですが、
「学校がすべてではない。でも、社会とのつながりをなくしたままでいいとは思っていない」と、本音で話すようになっていきました。
Bくんは最初はとても不機嫌になり、「急に何?」「誰かに言われたの?」「前と言ってること違うじゃん」と言います。
でも、そこでひかずに、「前は、お母さんもどうしていいかわからなくて、Bを刺激しないようにすることばかり考えていた。でも、それでBの本当の気持ちを聞けていなかったと思う。だから、これからはちゃんと話したい」と言ってみたお母さん。
Bくんは、何も言わずに部屋に戻り、その日は、それで終わりました。
でも、これが対話の入口でした。
教育支援センターを使い始める
次に教育支援センターの利用を視野に入れました。
目的は「学校の代わりの居場所を作ること」だけではなく、教育支援センターを「居場所」「避難先」として利用するというより、外の世界に出る練習場所として支援を組み立てました。
最初は週1回だけ。午前中に1時間だけ。
親が送迎して、そこでプリントを少しやる。
終わったら帰る。
最初はこういう小さなところからスタートしていこうとなり、Bくんは「意味あるの?」「学校じゃないじゃん」「そんなところ行っても変わらないと思う」と言っていたのですが、
お母さんは「でも行ってみたら楽しいかもしれないよ」「無理なら帰ればいいから」「先生も優しいみたいだよ」「一回だけでいいから」とはいわず、「意味があるかどうかは、行く前にはわからない。今は、家以外の場所に決まった時間に行く練習として行ってみよ」と伝えてみることにしました。
Bくんは不満そうでしたが、行きました。
二回目、教育支援センターにいったとき、Bくんは前回より少しスムーズに車に乗り、
三回目、先生に「こんにちは」と言い、
四回目、プリントを一枚終え、
五回目、帰りに「別に嫌ではない」と言いました。
ちょっとずつ、「外の世界とつながるの悪くないかも」というほうに気もちが傾いていったようにみえました。
そして、教育支援センターに通い始めてから、学校との距離も少しずつ戻していくことにしました。
最初は、担任の先生からの連絡をおかあさんが受け、刺激しないようにして、学校の話題を避けておられたのですが、それでは学校がどんどん遠いものになるので、先生からのプリントや連絡は、すべて隠さず、ただし押しつけずに共有することにしました。
先生からのプリントや行事予定や学年だよりや提出物の案内など、毎回説明せず、「見ておいてね」とも言いすぎず、ただ、「ここにおいとくね」とだけ言っていただきました。
最初はBくんは見向きもしませんでしたが、ある日、お母さんが台所にいると、Bくんがプリントを眺めていました。
でもお母さんはそこで声をかけませんでした。
なぜなら、ここで「あ、見てるの?」と言うとBくんはプリントをみるのをやめるだろうから、だから、見なかったふりをされました。
後で、Bくんがぼそっと「もう運動会終わったんだ」と言い、お母さんは、「そうみたいだね」とだけ返しました。
親子の中にあった本当の問題
支援が始まって3か月ほど経った頃、以下のようなことがわかってきました。
Bくんは高学年になってから、勉強や生活面でよく注意されていたようで、
「早く宿題しなさい」「いつまでゲームしてるの」
「明日の準備は?」「また忘れ物?」
「もっとちゃんとしなさい」
と親御さんがよく声をかけていたと言います。
高学年になり、学校でも周囲との差を感じるようになって、自分より要領のいい子や、先生に気に入られる子や、発表がうまい子や、友達の中心にいる子や、スポーツができる子などとBくんは、どこかで自分を比べていたのかもしれないということが見えてきます。
でも、その劣等感を家で言えるほど素直ではなかったようで、
家では、親からも注意されるし、
学校では、思うようにいかないし、
友達関係でも、自分が中心ではない。
でも、弱音は吐きたくない。親に「つらい」と言ったら、心配されるか、励まされるか、また何か言われるから、黙ったのではないか?という見立てになっていきます。
最初は、ただ休みたかった。
疲れていたし、なんか学校が嫌になっていて、少し休めば楽になると思っていたんだけど、休みが続くと、今度は戻れなくなっていった。
友達に何と言われるかな?
先生にどう見られるかな?
親はどんな顔をするかな?
戻ったあと、また登校を続けられるのかな。
考えれば考えるほど動けなくなっていたところに、「学校がすべてではない」と言ってくれた親御さん。
Bくんは、その言葉に少し救われ、でも同時に、その言葉を使って学校に戻らない理由にもしたのかもしれない。
「学校だけじゃないんでしょ」
「本人のペースでいいんでしょ」
「今は行く気がない」
そう言えば、親はそれ以上言ってこない。
そのうち、Bくん自身も、自分の本音がわからなくなっていったようです。
学校に行きたいのか?
本当に行きたくないのか?
親にわかってほしいのかな?
放っておいてほしいのか?
戻りたいのか・戻るのが怖いだけなのか。
自分でもよくわからなくなっていたようだよね、ということが、親子会話・カウンセリングのなかでみえていきます。
「復学」の話を避けない
支援開始から4か月ほど経った頃、MIKURUMIRUでは、ご両親と「復学(学校に行く)」という言葉をどう扱うかを整理しました。
復学と言うと、子どもにプレッシャーをかける気がするし、本人の気持ちを無視している気がするけれど、かわらず所属しているのは校区内の学校。
学校のこと・復学について話題に上げないのは逆に不自然。
だからお母さんはある日の夕食後、Bくんに言いました。
「少しだけ、学校のことを話したい。今日は説得したいとかじゃないんだ。でも、ずっと避けてきた話だから、一度ちゃんと話したい」
Bくんは、嫌そうな顔をして「また?」と言いましたが、
「うん。学校がすべてじゃないって、お母さんは思ってるけど、それを言い訳みたいにして、Bが何に困っているのか、ちゃんと聞くことから逃げていた気もするし、Bもちゃんと言葉にできてない気がするんよね」と返します。
Bくんは、視線をそらし、さっさとご飯を食べて部屋にこもってしまいました。
1時間強の親子の話し合い
転機になったのは、支援開始から6か月目の夜でした。
その日は、教育支援センターの日でした。
Bくんは、センターで先生と少し学校の話をしたようでした。
帰宅後、いつもより表情が硬く、夕食後、お父さんが「少し話せるか」と言います。
Bくんは、最初は嫌そうにしました。
「学校のこと。戻るか戻らないかを今すぐ決めろって話じゃない。ただ、このまま何となく過ぎるのは違うと思ってる」
以前のBくんなら、ここで部屋に戻っていたと思いますが、そのまま話をしてくれました。
そこから、1時間以上、親子で話しました。
「お父さんは、正直、学校には戻ってほしいと思ってる。でも、ただ行けばいいとは思ってない。前みたいに、行け行けと言って、Bが何を思っているかわからないまま登校をすすめるのは違うと思ってる」
「お母さんは、あなたを傷つけないようにって思いすぎて、学校の話を避けていた。でも、それでBが何を考えているか、聞けていなかった」
Bくんは、しばらく黙っていましたが、「どうせ、行ったらまた普通にしろってなるんでしょ」と言ってくれました。
母「そう思ってたんだね」
子「だってそうじゃん。休む前も、宿題は?準備は?早くしろって、そればっかだった」
お父さんは黙って聞いていました。
子「学校も嫌だったけど、家もしんどかった。学校で疲れて帰ってきても、家でまた言われる。ゲームしてたら怒られる。だらしないって言われる。」
母「そう感じてたんだね。本当に話聞けてなかったね…」
父「お父さんも、学校に行ってないのにゲームしてるのを見ると腹が立ってた。でも、今聞くと、ゲームを取り上げればよかった話じゃなかったんだなと思う」
Bくんは、そこから少しずつ話をしてくれました。
学校に戻るのが怖いこと。
友達に「なんで休んでたの」と聞かれるのが嫌なこと。
授業についていけるか不安なこと。
先生に気をつかわれるのも嫌なこと。
でも、このままずっと家にいるのも嫌なこと。
教育支援センターだけで行くのも違う気がしていること。
「じゃあ、学校に戻りたい気持ちはあるの?」
とお母さんが聞くと、Bくんは長く黙り、「あるにはある」と言います。
そこから具体的に、学校にどう相談して、どうやって学校に行くかを決める流れになりました。
五月雨登校から始まった
翌週から、Bくんは五月雨登校を始めました。
最初の週は、火曜日と金曜日だけにして、2時間目から。別室も利用しつつ。
「今日は無理」「やっぱり行かない」
「昨日疲れた」「友達に見られた」
「先生が気をつかってくるのが嫌」
などの愚痴もでつつ、細々と登校します。
学校に行けない日は教育支援センターに行くようにして、調子がよければ数時間教室に入る。疲れたら先生に言って別室に戻る。
いきなり通常級に完全復帰するのではなく、学校と家庭の間に、いくつかの中継地点を作り、そこを行き来しながら、少しずつ身体を慣らしていきました。
1か月ほど経つと、ちょっとずつ変化がみられ、登校が週3回になり、午前中だけ学校にいる日が増え、教室に入る授業が増え。
そして、2か月ほどかけて、五月雨登校は少しずつ継続登校に変わっていきました。
一人で継続して行けるようになる
支援開始から8か月目。Bくんは朝から一人で学校へ行くようになりました。
学校で嫌なことがあった日、Bくんは帰宅後「今日、ちょっとだるかった」と愚痴れるようにもなっていました。
「明日は普通に行く。体育は見学するかも」という夜もありましたが、お母さんはそれについては「わかった」と尊重されました。
親が過剰に心配しないし、過剰に喜ばないし、過剰に励まさないというお母さんのスタイルに安心していったBくん。
支援終了前のBくん
支援終了前、お母さんがBくんに「今、学校どう?」ときくと、「普通」と言いました。
あれほど大きな問題だった学校が、「普通」になった。
この事例で大事なのは、Bくんに大きな発達特性が見つかったわけではないということです。
WISCの結果は平均域で、指標間の差も大きくない。
学校生活を説明する明確な数値上の困難が出たわけではありません。
だからといって、「じゃあ甘えですね」となる話でもありません。
(実際はもっともっと深い対話があったのですが、そこは個人情報の観点で割愛します)
学校がすべてではないかもしれないし、本人のペースも大事だし、個性を尊重することも大事だけど、子どもが社会との接点を失い、親子の対話がなくなっているなら、そこは改善が必要なのかもしれない。というケースでした。
最後に
不登校の子は、必ずしも私たちが想像するような「不登校らしい姿」をしているわけではありません。
一見「普通に見えること」が、かえって問題を見えにくくすることがあります。
この子は本当に困っているのか?ただ甘えている?
学校がすべてではないと言うべきなのか。学校に戻る話をしていいのか。
そういう迷いの中で、家庭のなかで不登校の子は腫れ物扱いになっていきやすいです。
このケースの復学は、登校刺激の結果行けた。とか、根性論の結果ではなく、放っておいたら自然に動き出した、という話でもありません。
このケースの本質は、復学そのものよりも、親子で対話ができたことにあると思っています。
不登校になったケースでは、学校の話題が触れてはいけない話題になりやすいのですが、この場合は、恐れずふつうにやりとりをしていくなかで、お子さんと親御さんが作戦会議をしながら復学できました。そして、復学後も、親御さんとお子さんとの間で対話が続き、会話の質があがり、良質な関係性ができていきます。
復学だけを目指しているだけでは得られない、とってもよい関係で、支援を卒業できたケースだと思います。
あくまでもBくんの場合は、なので、どのご家庭でも再現性があるという話ではないのですが、対話不足で復学できなくなっている例が最近は多いような気がする…というお話なのでした。
それでは、今回はこれで終わりたいと思います。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!
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