
ブログをお読みいただきありがとうございます。今回は、過去に支援を受けていただいたケースを物語形式でご紹介したいと思います。
中1の秋に不登校になり、中2の秋に復学した女の子のお話です。
※個人情報の観点から、一部ダミーが含まれます。
「娘が夜中、ベランダで寝ようとするんです」
季節は冬だった。
不登校中の中学生の女の子が、ベランダに毛布をもっていき、くるまりながら、ベランダにおいてあるソファーで寝ようとするんです、と。
その子の左腕には、赤いボールペンで書かれた線と、いくつかペンで刺したあとが毎日みられるのだという。
「ある不登校相談を受けてみたんです。そうしたら、支援員さんからは、
『きっと親を試しているんでしょう。学校にいけないことに対して、何かしら免罪符がほしい。
だから、親が一番嫌がることをする・言うんです。
だからね、放っておくのが一番ですよ。根比べ。我慢比べ。
これでもかって試したあと、娘さんは諦めますよ。この方法では親は怯まないのかって。』
…と言われました。
それを聞いて、私…最初はそうかと思って支援員さんの言うようにしてみました。だけど…」
夜中の気温は、1度。
女の子は、毎朝唇を真っ白にして起きてくる。
日に日に表情が暗くなり、ちゃんと眠れないのか目の下にクマができていき、お母さんは耐えられなくなったと言います。
「お願いだから、部屋で寝てちょうだい」
「ママ、私が学校行かなくっても、腕に傷ができても、何も言わないでよね」
「学校のことは、わかった。わかったけど…」
「リストカットをしようが、自分の身体だから放っておいて。ママには関係ないじゃん!」
Aちゃんとお母さんは、ある日、夜中にこんなやりとりをしてもめました。Aちゃんは、お母さんに放っておいてと言います。
行動的には、明らかに放っておけないのに。なのに、放っておいてくれ!と言います。
ベランダで寝なくはなったけれど、赤いボールペンでラインを入れること・手の甲をブスブスとやることが続いてしまっていました。
「私たち、このままでは何かを失ってしまう気がして…だから、その相談を受けることをやめたんです。
主人には反対されたんですけれど…。『じゃあ、他に方法はあるのか』って言われて…。」
そんな出会いからはじまったカウンセリングでした。
なんで、ベランダで寝ようとしたんだろう。
なんで、自傷行為のようなことをするんだろう。
私の疑問はそこからだった。
試し行為と言われればそうかもしれないけど、それだけでもないような気がする。
どんな気持ちがこの子の中に隠れて、言葉になっていないんだろうってすごくすごく気になった。
だって、本当に放っておいてほしかったら、親にわからないように行動するはず。リストカットをするにしても、見えないようにするはず。
ベランダで寝るときも、わざとベランダの窓と自分の部屋のドアを開けていて、「見つけて」と言っている。
あきらかに、Aちゃんは、「わたしを見て」と言っている。でも、お母さんには「放っておいて」と。
この矛盾をどう捉えるか。
つめたい朝ご飯
朝はいつも、お母さんの「ご飯できたよ」からはじまった。
ある日の朝は、ご飯・味噌汁・ハムエッグ。
ある日の朝は、トースト・フルーツヨーグルト・チーズ。
ていねいに準備されるごはんが食卓に並ぶんだけど、お母さんが朝ご飯ができたよって声をかけて起きてくるのは30分から1時間後だった。
ごはんはカピカピになり、お味噌汁は冷め、ハムエッグのハムはかたくなっていた。
トーストはカチカチで、フルーツヨーグルトはぬるくなり、チーズはやわらかくなっていた。
ゆっくり起きてきて、暗い顔をして、いただきますを言わないまま、食べ始める朝ご飯。
カチ、カチ、カチ…と時計の針の音が静かに聞こえるしんとしたダイニングでご飯を食べているのを見ながら、
お母さんは「じゃあ、仕事行ってくるから。いってきます」と声をかける。
Aちゃんは、無言だった。
お母さんが仕事から帰ってくると、Aちゃんはたいがいリビングでサブスクのドラマをみてた。
「ただいま」 「…。」
無表情で、毛布にくるまりながららずっとドラマをみて、あちこちお菓子の袋が落ちている。
お母さんは、その袋をひろい、捨て、ご飯をつくり、だす。
「ごはん、できたよ」のお母さんの声に応じたのは、その40分後だった。
いつもみたいにご飯が冷め、カチカチになってた。
「お風呂わいたよ」
お母さんが声をかけても、Aちゃんはスマホ。
お父さんが帰ってくる気配を感じると部屋に走っていってしまう。
そしてお母さんは夜中に目がさめてはベランダで寝ていないかを確認し、こっそり腕を確認し、大丈夫だ生きてると思ってまた寝室へ。
だけど、そこから眠れない日々が続いてしまって、お母さんの心や体はボロボロだった。
何を言っても返事がないし、ご飯をちゃんと食べないし、家族三人でふつうにやりとりできない。
挨拶をしたらふつうに挨拶して返してくれたのって、いつだったっけ。
私の作ったご飯を「美味しい」「うま」とほおばってくれたのって、いつだっけ。
一緒にでかけて、「これ買って」「えーこの前あたらしい服かったじゃん」ってごねる娘をなだめながら、代わりにミスドでドーナツ食べて帰ったのって、いつだったっけ。
私はいつから、娘がいつか自殺するんじゃないかって怯えるようになったんだっけ。
「若者の自殺者数が増えています」
そんなニュースを目にするたび、その人数の中に娘が入ってしまうんじゃないか。
娘は隣にいるのに、他人以上に遠く感じてしまう。なんだこの距離感。思春期・反抗期がくることがあるとは思ってたけど、こんなのそんなレベルの話じゃない。
Aが学校に行けなくなったあの日から、あきらかにおかしい。何かがおかしい。
学校から定期的に生存確認的な電話がやってくる。私にはそれがつらかった
日に日に欠席日数が増えて、毎週末担任から電話が。
「こんど試験があります」
「〇日にこんな行事があります」
行けるわけねーだろ、年間行事予定表や、定期的に取りに行ったときにもらうプリントで行事のことは確認しとるわ。
何でわざわざ学校に行けないのに、行けてないのに、軽々しく予定を伝えてくんだよ。
「予定があります。だけど、無理せず」
こんなに軽く簡単ではないけど、担任はいつもこんな感じだった。
娘の状態は聞いてくれない。「まあ、いまは色々選択肢がありますから…」と。
学校という集団の中に入れなかった・入りきれなかった娘が悪いと言われているようで。
その先には、私の育て方のせいと言われているようで。孤独だった。
カウンセリングで娘のことを探っていく
「親子の会話って、だいたいこんな感じですか?」
「はい…。よけいなことを言わな言ほうがいいかなって…」
「こうなる前はどんな会話や関わりをされていましたか?」
「私、ちょっと教育虐待まではいかないんですけど、中学にはいって勉強に困らないようにって、小5から塾に通わせてたんです。お友達関係にもくちだしして…」
そうして、中学にあがり、Aちゃんは5人グループの中で仲間外れにあってしまい、そこから学校に行けなくなったという。
中1の秋の出来事だった。
「A!もう8時すぎてるよ!早くおきなさい!制服おいとくよ!」
「…。」
「早くしなさいよ!お母さん送ってくから!ほらー!もう!なにやってんの?熱あんの?体温計渡すからはかって!はい!…熱ないじゃない!もう行くよ!はやく!!」
「……。」
「いい加減にしなさい!もう1週間休んでるでしょ!」
そういって、ふとんをはがすけれどもAちゃんは目をつぶったままで、どんなに体を揺すられても、お母さんに軽く蹴られても、起きようとしなかった。
次第にお母さんはAちゃんを起こすのを、やめた。
そして、会話も、なくなっていった。
そうして寒い夜の日。 Aちゃんはベランダで寝始めた。
たまたまお母さんがトイレで起きて、何気なく部屋のまえを通り、気づいたのだという。母の勘というものだろうか。すごいよなと思う。
「なにやってんの!寒くてからだ壊すよ!」
「…。」
「はやくきなさい!ほら!」
「…うるさいな!放っといてよー!わぁーーーー!」
Aちゃんは夜中に大きな声をだし、泣いた。お母さんもさすがに近所迷惑だし、誰かに通報されるんじゃないかと怖くなってしまい、Aちゃんがお母さんが寝室に戻れば泣きやむからというので寝室に行くしかなかった。
そして、LINEでお母さんからAちゃんに、「お願いだから、部屋で寝てちょうだい」と送るのですが、既読スルーだった。
ここから親子会話もへり、親子関係に温度があるとするならば毎朝の朝ご飯のように冷え切ってもしまっていた。
お母さんは、これ以上Aちゃんを刺激したくなかった。
消えていなくなってしまうんじゃないかって怖くなって、大切なのに、気になるのに、関わることが怖くなってしまっていた。
私は、これまでの経緯とAちゃんが学校に行かなくなってからのやりとりなどをふまえ、Aちゃんの気持ちをこんなふうに想像したのだった。
Aちゃんの心の中
ママ、わたし、学校いきたくない。 友達とうまくいってない。
無視されて、存在がないようにされて、そしたらさ。 わたし、もうどこにも居場所ない。
ママもパパも、わたしに勉強・勉強って言う。わたしが宿題したくないって言った日、ママすごく怒った。
学校に行きたくないって思って寝たふりした朝。
ママはすごく怒ったけど…。 わたし、本当は、 「どうしたの?」ってきいてほしかった。
「毎日がんばってたのに、どうしたの?」って。
珍しいでしょ。私が起きてこないって。それをママには、何があったんだろうって思ってほしかった。
でも、ママは怒ってた。はやくいきなさいって。
はじめてズル休みした日は、体調がわるいってことになった。
だけどその次の日はもっとママは怒ったし、スマホを取り上げて、ゲームもさせてくれなくて、口をきいてくれなかった。
ねえママ、わたし、話きいてほしかったんだよ、どうしたのって。
学校はさ、行かなきゃって思ってるけど、わたしが悩んでるんじゃないかって思ってほしかった。心配してほしかった。
「何で行かないの?理由は?」ってママは聞いたけどさ、怒ってるじゃん。
怒りながら聞かれて、友達に無視されてるなんて言えないよ。
そんなことで休むな!って言われそうって思っていえない。
今更言っても、今度はなんでもっと早くに言わなかったんだ!って怒るかもしれないって思ったら何も言えない。
じっくり時間作ってほしかったんだよ。わたしの口が自然と話し始めるまで…。
私は小学生の頃から、人付き合いがうまくなかった。
年齢があがるにつれて、女子同士容姿を褒めあっては謙遜するやりとりが続いて、うんざりしてた。
相手にあわせないといけない。 しんどい。
ママ、私が「友達とか、面倒」って話した日のこと、覚えてる?
ママは「面倒とか言っちゃだめだよ。うまく合わせないとね」って言ったよね。
私が「学校しんどい」って言ったら、ママは「早く寝なきゃね」って言った。
私が「ごはん食べたくない」って言ったら、「せっかく作ったのに」って怒った。
私、ママに話をしたくないって思った。
だって、わかろうとしてくれないんだもん…。
朝起きられないことに怒って、あんな空気だされてさ、ごはん食べられるわけないじゃん。
それに、「ご飯だよ」だけでさ。私が自傷行為したがっても、ベランダで寝ても、ままはふみこんでくれない。
迷惑なんでしょ?私のことが。邪魔なんだよ。いい子じゃないもん。
ママが作った「ちゃんとしたごはん」が、「私は最低限のことやってる母ですよ。やることやってます。やってないのは子どもです」って言われているみたいで、すごく嫌。
…本当は、作ってくれたご飯は食べたい。食べたいけど、あの重い空気でごはんなんて食べられないよ…。
朝だって、起きられないんじゃないよ、本当は起きてる。だけど寝てるふりしてる。
ママたちが仕事にいったら、私はちょっとだけホッとしてる。
だけど…。こころは死んでるよ。わたし、終わってる。
通信とかなら、高校・大学に行けるって調べたら出てきたけどさ。社会不適合者なんだよな。その先に働けんのかな。
もう、なにもかもどうでもいい…。
(仮)のAちゃんのこころの声
「…これはあくまでも、ここまでの話をうかがっての私の想像でしかないんですが…もしかしたらAちゃん、実はこんなことを思っていたりして…」
「…。そうかも…そんな気がしてきました…」
お母さんは、電話口で泣いていた。
お母さんの気持ちも、痛いほどわかる。
お嬢さんの気持ちも、わかる気がする。
うまくかみ合っていない二人の会話・生活。これらをどうしていくべきなんだろう。
表面的には、かろうじて生活を回すためのやりとりがあるけれど、冷え切った関係になってしまっていた。
「お母さん。ちょっと試しに、朝の声掛け、変えてみてくれませんか」
「え、あ、はい」
「機能的な発言の、『朝ご飯だよ』だけじゃなく、『A。ごはんのおともに、これとこれ置いとくね。ママさっき食べたけどつくだにが美味しかったよ。』とか、『ジャムは2種類あるから、好きなほう選んでね~。ママはいちごのほうにした~』とか、お母さんと共有できる情報をくっつけてみてくれませんか」
「わかりました…」
おそらくお母さんはそんなことをして何の意味があるんだと思っただろう。
狙いは、「母親と同じものを選ぶのか」「母親が自分のために・じぶんのことを思ってやってくれたことを受け入れようとするかどうか」をさぐるためだった。
ある日のあさ、ごはんのおともに佃煮とふりかけを準備したお母さん。
Aちゃんは、お母さんと同じ佃煮を選んでいたそうだった。
「お母さんが嫌で仕方なかったら、食べたくってもおなじ佃煮を選ばないか、そもそも用意してくれたご飯のおともを選ぼうとしないよな…」
そのあとのジャム作戦も、2種類チーズも、なんとなくだけど、お母さんが用意してくれたものにAちゃんは応じてくれていたような跡があった。
「お母さん、あの、晩御飯のとき、お母さんが先に食べるのやめて、待ってみませんか」
「え?あ、はい…」
その日の夜、ふたりでカチカチのご飯をたべたらしい。
おかあさんはわらいながら、「なにこれ!ひょうめんかった!」と言いながらご飯を食べ、Aちゃんは「意外といけるんだよ。おこげみたいで」と返してくれたそうだった。
世間は「待つ」と表現するのかもしれない
こんなふうに、ひとつひとつ、Aちゃんとお母さんのやりとりが増えるフックを作っていった。
少しずつ、会話が増えていく親子。
世間はこれを、「待つ」と言うのかもしれない。
子どもが不登校になったら、最初は混乱期であるから、そっとしておこう。落ち着くまで、待ってみてあげよう、と。
私はかれこれ15年、不登校支援に携わってきたのだけれど、待つと無関心は紙一重だなと思っている。
最初の親子のやり取りのままだと、おそらく会話はどんどんなくなっていっていただろう。
少なくとも、Aちゃんとお母さんの間に、カウンセリングを受けてもらってから、あたたかい空気感ができはじめている。
自傷行為については、その行動を止めるのではなく、「それくらいつらいんだね」と共感的に関わるのがセオリーだという意見が多いように思うけれど…だけど、その「つらさ」が本当にわからないままの「それくらいつらいんだね」って、逆にきつい。
「わたしにはわからんけど、なんかしらんけどつらいんやな」って突き放されているようで、逆に刺さるからだ。
ああ、私、弱いんだ。ふつうはこんなことで自分を傷つけたいって思わないんだ。変なんだって思わせて追い詰めてしまいやすい。
だけど、心を病んだことがない人にとって、普通に考えて、この感覚を理解する・わかる…というのはなかなか至難の業であるとも思う。
だけど、人はただ一人で頑張るよりも、支えられているという関係の中にいると、ちょっとだけ前を向ける。
Aちゃんの場合、人間関係をきっかけに自信喪失し、生きる意味を失いそうになっていた。こんな状態で学校にいけなんてはなしはできないし、フリースクールはどうか、転校はどうだと話せばよけいに追い詰めるに決まってる。
だから、このケースは「安心できる相手とのこころの近さ」が大事で、親子の行動・情動・生理的反応が互いに調律されていくと、自然となんだか通じ合うような感覚になっていくことをねらった。
人は、よい関係の中にいると、ただ気分がよくなるだけではなく、身体そのものが「ここは安全だ」と学び始める。
温かなまなざし、責められない対話、安心できる空間、支えられている感覚。
まず、Aちゃんがお母さんに対して持っている誤解を解かないことには、末来の話もできないよね。親子関係はどんどん悪化してしまうよね。と思った。
「母親である私がA専属のカウンセラーになりたくて」
カウンセリングを受けられて、3か月経った。
Aちゃんとお母さんとの間で、会話がどんどん増えていった。
不登校支援の場合、こういうやりとりは逆にご法度になることもあるのだけれど(これについてはまたいつか解説するかもしれません)、Aちゃんの場合は、よくある不登校支援の方法は合わないだろうと判断して、あたたかいやりとりができるようにアドバイスをしていったんだけれど、これがうまくいった。
Aちゃんは、学校での出来事をお母さんに話し始めた。
「ママ…あのね…怒らない?」
「え?うん。もちろん。あ、ママのお金を盗んだとか言われたら怒るかも」
「あははー。ちがうよ。あの、あのね…」
「うん…?」
「あのね。Bとね、Cと、わたし。ほかに○○…グループだったでしょ?」
「ああ、うん、そうだね」
「あの…あのさ…わたし、無視されたんだよね」
「…うん、うん…」
「それで…。〇月〇日。あはは、日付も忘れられないんだけどさ、お弁当の日だったでしょ。あの日」
「うん。そうだったね」
「無視されちゃってさ。みんな、机くっつけてじゆうに食べなさいって時間でさ」
「うん…」
「担任はいなくて、生徒だけで」
「うん。」
「みんなさっさと机くっつけちゃって、あきらかに私が入る場所なくってさ、さっとじゃあたべよ!って食べ始めちゃって」
「・・・・。」
「もう、つらくてさ、私、お弁当…ひとりでたべた」
「・・・・。そう…そうだったの…」
「うん…まあ、もういいんだけどねっ!」
「A…。話してくれて、ママうれしい。そっか、そうだったんだ…」
「…うん…ねえ、怒らない?」
「えッ?なんで?」
「…だって…無視されて…情けないじゃん…」
そんなわけないでしょう、とお母さんは泣きながら、気づいたらAちゃんを抱きしめていたという。
Aちゃんも、この日、小さい子のように、わんわん泣いて、お母さんにしがみついたという。
これはテクニックの話じゃなくって、お母さんが毎日、毎日、Aちゃんのことを考えて、向き合おうとしたからこその「告白」だったんだと私は思っている。そしてこの日からさらに、家庭の空気はよくなっていた。
「ママ、私なんとか教室いこうかな」
Aちゃんは、学校に行くのはやっぱり嫌だと言う。だけど、カウンセリングを受けていただいて4か月目のある日、Aちゃんは、
「ねえママ。前にママがいってたなんとか学校?教室?あそこって、私いけるの?」と言った。
学びの多様化学校のことだった。
Aちゃんの家からそんなに遠くない場所に、学びの多様化学校(旧不登校特例校)がある。
「見学?って、できるのかな…」「わたし、高校いけるのかな…」
Aちゃんは、お母さんとのこころの距離が元通りに近くなってきて、安心し、そこからじぶんのこと・未来について考えだしていた。
「うん、できるよ。教育委員会に聞いてこようか」
「うん、いい?」
お母さんはすぐにうごき、相談をしにいった。
学びの多様化学校の場合、フリースクールのように今通っている学校に席を置きながら学ぶんじゃなく、完全に転校をすることになるので、今の学校にまた通いたいとなると厳しいであろうこと。
学びの多様化学校といえど、教育委員会で審議して、面接を通過しないといけないこと。
通う意思をきちんと示さないといけないこと。結構壁が高いことを説明されて、お母さんは不安になりながら、帰宅。
Aちゃんに話すと、Aちゃんは「んー…とりあえず、見学かな…」と。
アポをとり、さっそく親子で見学。
「うん…なんか、悪くないかも」
Aちゃんは、その場の空気感・ひとをよく見る子でしたが、先生の感じや、通っている生徒さんの様子をみて、悪くないかもと思ったそうだった。
「困ればママに相談すればいいし…」とも言っていて、わたしもお母さんも、ガッツポーズをした。
何度か見学・体験を重ね、1学期中に面接を受け、通過し、夏休みを過ごし…Aちゃんは、中2の秋に転校した。
最初に書いていた自傷行為っぽい「ペンで手をさしてしまう(腕に線を描いてしまう)」行為は、お母さんに「告白」した日あたりからすっかり見られなくなっていった。
後でAちゃんが教えてくれたことで判明したんだけれど、Aちゃんは不登校初期の頃、あまりにもつらくて孤独で、オープンチャットや、ゲームをしながらつないでいたディスコードで知り合った人たちと「どうしたら自殺できるか」「オーバードーズってのがあるらしい」という情報を仕入れたり、やりとりしていたんだという。
このケースは、お母さん自身のカウンセリングや、夫婦関係改善など、実際には認知行動療法や家族療法的な取り組みもしてもらったんだけれど、あくまでも母子間でのやりとりと、不登校からの復学という事例に絞ると、こんな感じで状況改善していった。
私はいつも、こうやって復学するケースをみて思う。
世の中に転がっている情報は、役にはたつけれど、目の前にいるわが子への理解が一番じゃないかと。
短期間での復学の方法も知っているし、不登校だった子がチャレンジの広告マンガみたいに、学校に戻るだけじゃなくって塾に通いだして成績めっちゃよくなる支援の手法もしっている。
だけど、だけど。その瞬間の結果を追う以上に、その子が将来大人になった時に、どんな環境に置かれても幸せに生きられる子に育つこと。
どんな環境でも自力でみちをひらき、あきらめないでいられること。自分を信じられること。
こっちの力を持った状態で末来に進んでいけるほうが断然大事なんじゃないかと思っていて、目先の復学以上のことを目指しながら支援をしている。
手前みそになってしまうけれど、最近は支援を卒業されるとき、親御さんから頂くのは、
「どうか悩んでいる親子が山下先生に出会えますように」
という言葉で、支援をしていると色々あるんだけれど、この言葉を励みに、もう少し、頑張ってようかな、と思いながらカウンセラーを続けている。
こどもたちがあかるく未来をあるいていけるように。
親子の未来が、もっとあかるくなりますように、と。
それでは、今回はこれで終わりたいと思います。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!
まいどん先生(公認心理師)
👇応援よろしくお願いします!!
![]()
にほんブログ村
👇公式LINEはこちら
👇Instagramマンガをkindleでまとめました!(無料です)
👇Instagramはこちら





