
画面の中に逃げる子どもと、画面の外で待っている親子関係
子どもが学校に行けなくなり、家でゲームやYouTubeばかり見ている。
この光景を見て、平気でいられる親はあまりいないかも、と思う山下です。
朝、ランドセルは部屋の隅で静かにたたずんでいる。まるで長期休暇中の部長みたいな顔をしている。
その横で子どもは、布団にくるまりながらスマホを見ている。動画は次から次へ流れていく。
こちらは朝ごはんの皿を片づけながら、心の中で何度も思う。
このままで大丈夫なのか。
これは休んでいるのか。
逃げているのか。
ただサボっているだけなのか。
私が小さい頃から動画を見せすぎたからなのか。
親の不安というものは、だいたい洗濯物を干しているときにやってきます。靴下を一枚つかんだ瞬間に、「この子の将来」という巨大な概念が肩に乗ってくる。重い。靴下のくせに。
なぜゲームに入り込んでしまうのか
けれど、ここで一度だけ、見方を変えてみたいのです。子どもがゲームや動画の世界に入り込むとき、たんに「遊び」や「怠け」ではないことがあります。
もちろんゲームは楽しいです。動画は面白いです。次から次へ刺激が来るので、脳にとっては回転寿司どころではありません。
新幹線レーンです。マグロもプリンも唐揚げも、こちらの準備などおかまいなしに爆速で到着します。
でも、不登校の子にとってゲームや動画が持っている意味は、それだけではないことがあります。
その子にとって「自分を守る場所」になっていることがあると思っています。
学校という場所は、大人が思うよりずっと複雑です。
朝の登校、友達との距離感、先生の機嫌、授業の速度、板書、提出物、テスト、係活動、休み時間の空気、給食、掃除、突然の予定変更、誰かのひと言。
大人から見れば「普通の一日」でも、子どもの内側では「次に何が起こるかわからない場所」として感じられていることがあります。
しかも学校は、ただ予測できないだけではありません。
評価されます。比べられます。速さを見られます。正しさを見られます。友達の目もあります。先生の目もあります。自分でも自分を見張っています。
子どもによっては、学校が「学ぶ場所」ではなく、「常に採点される場所」になってしまうのです。
その一方で、ゲームの世界はわかりやすいです。
ボタンを押せば反応が返ってくる。失敗してもやり直せる。ルールが決まっている。次に何をすればいいか表示される。難しければ攻略動画もある。ゲームで迷子になっても、だいたい地図があります。現実の学校生活には、残念ながらミニマップがありません。
つまり、子どもは「楽な方に逃げている」のではなく、予測できず、評価され続ける現実から、自分で操作できる世界へ一時的に避難しているのかもしれません。
ゲームや動画は、その子にとって「心がこれ以上すり減らないように身を隠す場所」になっていることがあります。
不登校=好きなだけゲームをやらせていいわけではない
ただ、「ゲームや動画は避難所なのかもと理解する」ことと、「好きなだけやらせてよいと考える」ことは別です。
避難所は必要ですが、避難所だけで暮らし続けると、外の世界に戻る力は育ちにくくなるというか。
毛布はあたたかいけど、ずっと毛布の中にいると、外の空気がますます冷たく感じられる感じは、ゲームや動画にも、これと似たところがありそうです。
近年、子どものスクリーンタイム、つまりテレビ・動画・ゲーム・スマホなどの画面を見る時間と、発達や注意、脳の働きとの関連を調べる研究は増えています。
たとえば福井大学の研究グループは、アメリカの大規模な子どもの追跡調査であるABCD Studyのデータを使い、9〜10歳時点の10,116名と、2年後に追跡できた7,880名について、スクリーンタイム、ADHD症状、MRIで測定した脳構造の関連を分析しています。
その結果、スクリーンタイムが長い子どもほど、2年後にCBCLで評価したADHD症状の得点が高い傾向があり、いくつかの脳領域で皮質が薄い傾向も示されました。
さらに、脳全体の皮質体積が、スクリーンタイムとADHD症状の関連を一部つないでいる可能性も報告されています。
スクリーンタイムの長さとADHDについて
ただ、「スクリーンを見たからADHDになる」と単純に読む話ではないです。誤解の内容に思います。
研究が示しているのは、主に「関連」です。つまり、スクリーンタイムが長いことと、注意や衝動性に関わる特徴が強く出ることが、一緒に起きやすいという話です。
もともと切り替えが苦手な子、刺激を求めやすい子、退屈に弱い子、親が生活を回すために動画に頼らざるを得ない家庭状況など、いろいろな要因が絡んでいる可能性があります。
JAMA Pediatricsに掲載された研究では、東北メディカル・メガバンク計画のデータを用いて、7,097組の母子を対象に、1歳時点のスクリーンタイムと、2歳・4歳時点の発達との関連が調べられました。その結果、1歳時点でスクリーンタイムが長いほど、2歳・4歳時点でコミュニケーションや問題解決の発達遅れと関連する傾向が示されました。
これも、「1歳で動画を見せたら必ず発達が遅れる」という話ではありませんが、乳幼児期の長時間のスクリーン利用を、まったく気にしなくてよいとも言えません。
特に乳幼児期は、言葉、表情、視線、間、待つこと、やりとりの順番、相手が返してくる感じを、身体ごと吸い込んでいる時期です。
そこに、強い刺激が途切れず流れ続ける動画が長く入りすぎると、子どもが本来なら人とのやりとりの中で経験するはずだった「ゆっくりした時間」が削られる可能性があります。
昔と今とではちがう「スクリーンタイム」
昔もテレビはありました。私たちの世代にも、テレビっ子はいました。録画したアニメを何度も見た人もいるし、ゲームに夢中だった人もいます。けれど、今の動画環境は少し違います。昔のテレビにはCMがありました。ビデオには巻き戻しがありました。ゲームにはロード時間がありました。カセットをフーフーするという、今思えば科学的根拠の怪しい儀式もありました。あれはあれで、『間』でした。
今は、その間が消えています。
動画は自動で次へ進みます。ショート動画は終わっても終わりません。ゲームもすぐ始まります。待たなくていい。退屈しなくていい。失敗してもすぐリトライできる。便利です。とても便利です。ただ、子どもの心と身体にとって、「待つ」「退屈する」「思い通りにならない」「相手の反応を待つ」という経験が減っていくことは、やはり考えたいところです。
WHOは5歳未満の子どもについて、身体活動、睡眠、座って過ごす時間に関するガイドラインを出しています。そこでは、1歳では座ったままのスクリーンタイムは推奨されず、2〜4歳では1日1時間以内、少ないほどよいとされています。また、座って過ごす時間には、読み聞かせや語りかけのような関わりが勧められています。
「ほら、やっぱり動画は悪だ」と言いたいわけではありません。そんな簡単な話なら、子育てはもっと簡単です。
問題は、画面そのものだけではありません。画面が、子どもの生活の中でどんな役割を持っているかです。
ひとりで延々と流れてくる動画を浴びているのか。
親子で同じアニメを見て、「このキャラクター、またやらかしたな」と笑っているのか。
終わりのないショート動画なのか。物語の流れがあるアニメなのか。
スマホの小さな画面で顔を近づけて見ているのか。
テレビに映して少し距離を取りながら見ているのか。
寝る前に興奮したまま見ているのか。
夕飯を作るあいだ、親が倒れないために頼っているのか。
同じ30分でも、意味が違います。
アメリカ小児科学会は、近年のデジタルメディアについて、単に「何分見たか」だけではなく、内容、文脈、親子の会話に注目する必要があるとしています。
自動再生、通知、アルゴリズム、広告など、子どもの注意を長く引きつける設計がある一方で、家族で境界を決め、睡眠、遊び、読書、身体活動、家族の会話を守ることが重要だとされています。
読み聞かせの効果
読み聞かせは、「賢い子にするための道具」ではありません。もちろん、言葉の発達や読み書きの土台には関係します。アメリカ小児科学会も、乳幼児期から少なくとも就学前まで、親子で本を読むことを勧めています。共有読書は、言葉の豊かなやりとり、社会情緒的発達、認知発達、親子関係の土台を支えるものとされています。
でも、読み聞かせのいちばん深い意味は、そこだけではないと思うのです。
絵本を読んでいると、子どもは変なところで止まります。親としては、物語の山場に向かっているつもりなのに、子どもはページの端に描かれた小さな犬を指さして「わんわん」と言う。いや、いま王子が呪いを解きに行くところなんですけど、と思う。でも子どもにとっては王子より犬です。世界の中心は犬です。王国の命運より犬です。
そこで親が、「ほんとだ、わんわんいるね」。これが大事なのだと思います。
読み聞かせとは、親が正しい物語を子どもに流し込む時間ではありません。
子どもがどこを見ているのか、何にひっかかったのか、どの言葉で笑ったのか、どのページを何度も見たがるのかに、親が少しだけ入っていく時間です。
これは、動画やゲームにも通じます。
親が同じ動画を横で見て、「これ何がおもしろいの?」と聞く。子どもが笑ったところで一緒に笑う。
ゲームのキャラクターの名前を覚えようとして、毎回ちょっと間違える。
ピカチュウとミッキーマウスくらい違うものを平然と取り違えて、子どもに「ちがうし」と言われる。そこに、やりとりが生まれます。
画面が問題なのではなく、子どもが画面の中にひとりで沈んでいくことが問題なのかもしれません。
孤独なスクリーンと、共有されたスクリーンは違います。同じ動画でも、子どもの心の中で起きていることは違うのです。
実際、シンガポールの研究では、乳幼児期のスクリーンタイムと、その後の脳ネットワークや社会情緒的発達との関連を調べる中で、親子の読み聞かせ時間が、その関連を弱める可能性が示されています。高いスクリーンタイムが常に同じ影響を持つのではなく、親子で本を読むような相互的な関わりが、子どもの発達にとって保護的に働く可能性があるということです。
つまり、スクリーンの反対語は、必ずしも「禁止」ではなく、スクリーンの反対側にあるのは、「関係」なのだと思います。
ゲームと不登校
不登校の子がゲームや動画に入り込むとき、その背景には、前述したように、学校という場所の予測しにくさ、評価されるつらさ、集団の中で自分を保つ難しさがあることがあります。特に、WISCなどの知能検査で、能力の凸凹が見える子の場合、学校のしんどさは単純な「勉強ができる・できない」では説明できません。
WISC-Vでは、子どもの認知能力を、言語理解、視空間、流動性推理、ワーキングメモリ、処理速度など、いくつかの領域から見ます。流動性推理は、目の前の情報から関係性やルールを見つけ、新しい問題を考える力に関わります。処理速度は、視覚情報をすばやく正確に見分け、判断し、処理する力に関わります。
流動性推理が高い子は、学校の中の矛盾に敏感なことがあります。「昨日と言っていることが違う」「このルールは筋が通っていない」「なぜこれをやるのかわからない」。大人からすれば「まあ、そういうものだから」で流せることを、流せない。疑問が立つ。引っかかる。頭の中でずっと考えてしまう。
一方で、処理速度が低い子にとって、学校は細かい時間制限の連続です。板書を写す。プリントを出す。次の教科に切り替える。チャイムで動く。周りのペースを見る。提出物を忘れない。先生の指示を聞きながら、友達の動きも見て、自分の荷物も片づける。これを毎日やる。大人でいえば、毎朝から夕方まで、ずっと「急いでください」と言われているようなものです。そりゃあ疲れます。こちらもスーパーのレジで小銭を探しているだけで、後ろの人の気配に魂が半分抜けるのですから。
そういう子にとって、ゲームは親切。
次にすることが表示される。ミッションがある。失敗してもやり直せる。評価基準がはっきりしている。経験値が見える。レベルが上がる。現実の学校より、よほど説明が丁寧なことがあります。
だから、不登校の子がゲームに向かうのは、単に「ゲームが好きだから」だけではありません。現実世界の見通しが立たず、評価され、傷つき、疲れ果てた子が、予測できる世界に避難している可能性があることを知っておくだけでも、関わり方は違ってくるんじゃないかなと思います。
ただ、学校がつらいからゲームに避難する→ゲームがわかりやすく快適すぎるから、現実の不確実さに戻りにくくなる→現実に戻りにくくなるから、さらにゲームが唯一の安心になる…という循環が起きることもあるはずです。
だから、必要なのは「ゲームを取り上げること」だけではありません。(むしろ、いきなり取り上げると、子どもは唯一の避難所を奪われたように感じることがあります。)画面の外にもうひとつ安心できる場所を作る必要があるんじゃないか、と私は思います。
その第一歩は、子どもが見ている世界を、親が少しだけ一緒に見に行くことではないでしょうか。
「またYouTube見てるの?」ではなく、「それ、何が面白いん?」と聞いてみる。
「ゲームばっかりやめなさい」ではなく、「このゲーム、どこが難しいん?」と入ってみる。
「そんなもの見て何になるの」ではなく、「この子にとって何がそんなにゲームがお守りになるんやろ」と考えてみる。
もちろん、ずっと一緒に見る必要はありません。
親にも生活があります。ご飯も作らなければいけません。洗濯物も待っています。洗濯物はなぜあんなに増えるのでしょうか。家族が三人なら三人分のはずなのに、なぜか六人分くらいあります。おそらく夜中に靴下が繁殖しています。
だから、完璧でなくていいのです。
大事なのは、画面を「敵」としてだけ見ないことだと私は思います。
子どもがそこに何を求めているのかを見る。刺激なのか、安心なのか、達成感なのか、孤独を埋めるものなのか、現実からの休憩なのか。
ここを見立てないまま制限だけをかけても、親子の対立が強くなるだけです。
同時に、生活の中には境界も必要なので、たとえば、
寝る前は見ない。食事中は置く。終わりの時間を先に伝える。ショート動画ではなく物語のあるアニメにする。スマホではなくテレビに映す。動画のあとは水を飲む、外に出る、身体を動かすとかはやっていけるといいなと思います。
いきなりゼロにするのではなく、刺激の強さと終わり方を整える。これは、禁止というより「橋をかける」作業かなと思います。
まとめ
学校にも同じことが言えるのですが、不登校や行きしぶりの子に必要なのは、「行けばなんとかなる」ではありません。
なんともならなかったから、今ここにいるという子もいます。そういう子にとって必要なのは、見通しでる場合があります。
「とりあえず来てみよう」と言われると、子どもにとっては、地図なしでダンジョンに入るようなものです。しかもセーブポイントがない。そんなゲーム、誰もやりたくありません。
先生が「次はこうするよ」「今日はここまででいいよ」「無理ならこの合図で大丈夫」と伝えてくれるだけで、落ち着く子がいます。これは甘やかしではありません。現実世界にチュートリアルを作るということです。ゲームにはあんなに親切なチュートリアルがあるのに、学校には「空気でわかれ」が多すぎます。空気は読めるものではなく、吸うものです。
そして最後に、いちばん大事なことがあります。
子どもがゲームや動画に逃げているように見えるとき、本当に問われているのは、「どうやってやめさせるか」だけではありません。その子が、画面の外で誰とつながれるかです。
誰かが近くにいるのに孤独であることほど、つらいことはありません。
親が横にいる。先生が前にいる。友達が周りにいる。それなのに、自分の見ている世界を誰もわかろうとしてくれない。
これが続くと、子どもは人のいる場所でひとりになります。ひとりで部屋にいるより、人の中でひとりでいる方が、ずっとこたえることがあります。
だから、脱ゲームの本質は、ゲームをやめさせることではありません。子どもがゲームに預けていた安心を、少しずつ人との関係の中にもつことだと思います。
読み聞かせでもいいし、同じアニメを見ることでもいいし、ゲームの話を聞くことでもいいし、散歩でもいいし、一緒にコンビニへ行くことでもいいし、寝る前に今日の変な出来事をひとつ話すことでもいいです。
親子関係は、立派な会話だけで回復するわけではありません。むしろ、どうでもいい話の中で戻ってくることがあります。
「今日の雲、パンみたいやな」「このキャラ、絶対寝不足やろ」「靴下また片方ないんやけど、旅に出たんかな」。そんな小さなやりとりの中に、子どもは「あ、なんか安心」と感じることがあります。
動画は、疲れた心を一時的に守る毛布になることがありますが、子どもが本当に求めているのは、画面そのものではないのだと思います。
自分の見ている世界を、誰かが少しだけのぞきに来てくれること。
評価するためではなく、操作するためでもなく、「あなたはそこで何を感じているの」と出会いに来てくれること。
不登校の子どもが画面の中に逃げているとき、親が最初にすることは、画面を取り上げることではないのかもしれません。まずは、その画面の向こうに、その子がどんな安心を見つけているのかを知ることです。
そこから、少しずつ画面の外にも安心を作っていくこと。
こういった視点も、親子のやりとりや関係性においては大事なんじゃないかな、と思う今日この頃です。
それでは、今回はこれで終わりたいと思います。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!
まいどん先生(公認心理師)
👇応援よろしくお願いします!!
![]()
にほんブログ村
👇公式LINEはこちら
👇Instagramマンガをkindleでまとめました!(無料です)
👇Instagramはこちら
※この記事では、「スクリーンタイムが不登校の直接原因である」とは書いていません。根拠として扱っているのは、主にスクリーンタイムと注意症状、発達、脳構造、親子の読み聞かせとの関連を調べた研究や、公的・専門団体のガイドラインです。
福井大学の研究グループは、ABCD Studyという大規模縦断データを用いて、子どものスクリーンタイム、ADHD症状、MRIで測定した脳構造の関連を分析しています。この記事では、「長時間スクリーン利用と注意・衝動性の特徴には関連が見られるが、単純な因果としては読まない」という位置づけで参照しています。(福井大学)
JAMA Pediatrics掲載の東北メディカル・メガバンク計画を用いた研究では、1歳時点のスクリーンタイムが、2歳・4歳時点のコミュニケーションや問題解決などの発達指標と関連することが報告されています。この記事では、乳幼児期の長時間スクリーン利用を軽視しないための根拠として参照しています。(JAMA Network)
WHOの5歳未満児向けガイドラインでは、1歳では座ったままのスクリーンタイムは推奨されず、2〜4歳では1日1時間以内、少ないほどよいとされ、座って過ごす時間には読み聞かせや語りかけが勧められています。この記事では、「禁止」ではなく「生活全体のリズムと関係の再設計」という観点で参照しています。(世界保健機関)
アメリカ小児科学会のデジタルメディアに関する方針では、単純な時間制限だけでなく、内容、文脈、親子の会話、睡眠や身体活動とのバランスが重視されています。この記事では、「何分見たか」だけではなく「どう見ているか」「誰と見ているか」を見る根拠として参照しています。(Publications)
アメリカ小児科学会の読み聞かせに関する方針・技術報告では、乳幼児期からの共有読書が、言語、認知、社会情緒的発達、親子関係を支えるものとして推奨されています。この記事では、読み聞かせを「勉強できる子にする道具」ではなく、「親子が同じ世界に入る営み」として捉える根拠にしています。(Publications)
シンガポールの研究では、乳幼児期のスクリーンタイムと、その後の脳ネットワークや社会情緒的発達との関連において、親子の読み聞かせ時間が緩衝要因になる可能性が示されています。この記事では、「スクリーンを何分見たか」だけではなく、「親子で共有する時間があるか」が重要だという視点の根拠として参照しています。(Cambridge University Press & Assessment)
WISC-Vについては、Pearsonの資料をもとに、流動性推理や処理速度を「学校生活のしんどさを理解するための補助線」として扱っています。ただし、WISCの数値だけで不登校やゲーム依存を説明することはできないため、本文ではあくまで一つの見立て材料として位置づけています。(ピアソンアセスメント)




