これ、過保護か過干渉か…?と思うと何もできなくなった
ブログをお読みいただきありがとうございます。公認心理師の山下です。
今回は、過保護過干渉をテーマに記事を書いてみたいと思います。
過保護・過干渉は避けたほうがいいと言うけれど
過保護・過干渉ともに、「過ぎる」保護・干渉を指す言葉ですが、みなさん、子育てをされていると、一度は「過保護過干渉が子どもの自立の芽を摘んでしまう」というような言葉を見かけたことがあるのではないでしょうか。
そういう言葉・記事を見ると、「わかってる。うちは…まあ、あの家庭(身近な子育て家庭)と比べてマシかな。あの人は子どもの友人関係にまで首突っ込んでたけど、私はそうじゃないし。」とか、「過保護があかんとはいうけどさ。大事なこどもやし、うちはひとりっ子だからそりゃ大事に育てたくもなるやん?過保護と言われようが、うちはうち。」とか、思ったりしませんか。
「自立」を考えたときに、どうしても過ぎる保護や干渉の話にならざるを得ないのですが、自立に注目しすぎて過保護や過干渉を避けようとした結果、突き放しや放任になってしまうことがあります。
過干渉と過保護の弊害
過干渉とは過剰に干渉をすることを指しますが、例えば、本人が干渉を望んでいないことに対して親が首を突っ込みすぎたり、管理しすぎてしまう状態を指します。
様々な経験を経て、社会状態に生きている親は、どうしても子どもを見て先が見えてしまって干渉してしまいがちです。
子どもが日々の生活の中で体験し、知るようなことも親が先回りをして干渉をして指示をしてしまう。
例えば、外食をするときに「これにしたほうがいいんじゃない(どうせ全部食べられないんだから)」「あなたの好きなハンバーグが入っているからお子様ランチにしたら(食べてみて食べられないって言われたら困るし)」と、ついつい親は「はよ決めてくれ」と思って提案をしてしまいがちです。
大人からすれば人生で数えきれないほどの外食であっても、子どもからすれば大人ほど経験がなく、ワクワクしているかもしれません。
大人が見慣れた風景は、子どもにとっては新しさとワクワクがつまっているかもしれません。
いつも行くお店であっても、子どもは「今日は新しいメニューにチャレンジしてみたいな」と思っているかもしれません。
実際「ほんまに食べる?」と思いつつ、子どもの希望通りのものを頼んでみたら案の定食べてくれなくて、結果親がおなかパンパンなのに食べないといけないということもあるかもしれませんが、そんなときに
「ったくだから言ったのに…ブツブツ…」
とはならないようにして、
「これもいい経験やね。次のごはんまでおなかがすいてしまうかもしれないけど、我慢やね」
と、よい経験になったよねと話したり、
「食べてみないとわからへんよね。じゃあ、お母さんが頼んだやつを一緒に食べようか」
と、ほれみたことか!失敗して!もう!!とはならずに、ナイスファイト!と反応をしてみると、新しいことにチャレンジしてみたいとおもう気持ちをはぐくみやすいでしょう。
また、いわゆるヘリコプターペアレント(上空にいるヘリコプターのように子どもを監視し干渉する親)を持つ子供は、逆境に直面すると扁桃体が過剰に反応する傾向があるといいます。父母が常に子どもの障害物を避けてあげていたせいで、子どもは過剰に脅威を感じるようになってしまうということもあります。
このように、過保護や過干渉により、子どもが経験できることを奪ってしまわないという視点は様々な育児書や教育関係者が説明していることと思います。
ゴードンやアドラーの「課題の分離」について
トマス・ゴードン(アメリカの臨床心理学者)の親業というものがあります。
問題を抱えて困っているのは誰か?その問題を所有しているのは誰かということを明確にする考えです。
例えば、子どもが「明日は漢字の小テストがあるけど、めんどくさいから予習しない」と言ってきたときに、親はついつい「え、そんなんすぐ終わるねんから、やりや」と言いたくなる。けれども、
漢字のテストは親ではなく子どものもの。
漢字のテストの結果が成績に反映するが、それをわかっていてやりたくないなと思っているのは子ども。
そもそも漢字のテストと向き合えないのには理由があるかもしれない。
…ということは、この件に関しては親ではなく子どもが問題を所有していると考える。
アドラー心理学もこの考えと似ておりまして、
「それをしないことで最終的に困るのは誰か。その責任を最終的に引き受けるのは誰か。」ということを考えます。
「漢字のテストの対策をせずに困るのは親ではなく子ども。勉強をしなくて困るのは子ども。それを見て不安なのは親。これは親の課題なのだ。」と捉える考え方です。
課題の分離+自立を目指そうとして放置・放任気味になる
これらの内容を心理学の本やブログや動画などから知った親御さんの中には、「あまり子どもに指示や提案をしてはいけないんだ。信じて任せるのがいいんだ」と思われる方も多いかなと思います。
しかし、家庭における「教育」という点では、この思考が落とし穴でして、
当然子どもは大人よりも経験値が足りないために、先を読む力や自分で考えたり取り組む力を身に着けている段階にあるわけなので、なんでも「子どもに任せよう」として、「自分で考えて」「それくらい自分でできるでしょ」「もう6年生でしょ」という伝え方をして「任せる」という名の「突き放し」に近いかかわりをするのはかえって子どもの自立を妨げてしまうことがあります。
その理由はいくつかありますが、失敗経験を積み重ねて自信を失って新たなチャレンジを避けてしまうことや、方法は確かに子どもが周りを見たり調べたらわかるけれども、なぜそれをするのか?どういうふうにすればいいのか?どう考えるのがいいのか?ということを教えてもらわずに自分でやりなさいと言われて心配が強くなってしまうことや、急に「〇才になったんやから」と親の干渉などがなくなったことで自分は見放されたのだろうかという不安が強くなってしまうことが考えられます。
その結果、「失敗するくらいならやりたくない」と行動しなくなる子になってしまうことも。
私としては、山本五十六のように、まずは「親がやってみせ、言って聞かせ、やらせてみて、褒めてみる」というところから段階を踏んで親が子に任せていくという流れを丁寧に取り組むことがよいと思っています。
まとめ
よく「過干渉過保護を避けています」「でも、必要な干渉と過干渉のライン引きがわかりません」「自立を目指そうとしたら何も言えなくなります」「失敗してもいいと知り、失敗させてみてるけどますます不安が強くなっている気がする」というお話を聞きます。
自立を目指そうとしたときに失敗したり「これでええんかな?」とわからなくなる理由は、段階をふんで子どもの成長を見守り、子どもがある程度親のサポートなしに自走できることについては徐々に任せていくというステップをふんでいないからかもしれません。
私としては、無意味な失敗は避けるべきだと思いますし、「みんなそれくらいできてんだからさ」という理由で我慢して何かをさせるのは、自分はおいてかれるのではないかという不安を強めて不安ベースでの行動を増やしてしまうこともあるので、できれば成功経験をたくさん積ませてその子が自分に自信をもっていくことが大事だと考えます。
具体的にどうしたらいいのかわからない…という場合、様々な支援やカウンセリング機関があるので、参謀をつけてみよう。コンサルをつけてみよう。という感じで、家庭教育や心理学のカウンセリングを受けて学んでみるのもひとつなのかもしれません。
それでは、今回はこれで終わりたいと思います。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!
まいどん先生(公認心理師)
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