
「こんなはずじゃなかった」と支援者のつぶやき
ブログをお読みいただきありがとうございます。今回は、支援者としてのつぶやきを書きたいと思います。
みなさんが出産なさったときは、不安はありましたか? わたしはとってもとっても不安でした。
わたしには、2歳の娘がいます。
わたしたちのもとには結婚12年目のさむい冬に、遅れてコウノトリがやってきてくれました。
その2年ほど前の春にも一度コウノトリはやってきてくれていましたが、残念ながらその子はお空にかえってしまいました。
娘のまえにきてくれた子のことは、結婚10年目にしてようやく!と、わたしはもう舞い上がってしまって、
おなかのなかであまり順調に育たなくても、「うまれる」と信じてやまなかったんです。
病院の先生に厳しい、と言われてもなぜか信じていた。
色々調べつくして、成長が遅くても無事出産までたどり着いたかたのブログを読みあさり、気づけばすぐにスマホのバッテリーは20%になっていました。
そしてある日、「おかあさん、赤ちゃんなくなってます」と言われ。
「おかあさん」と呼ばれることがくすぐったくて、変な感じで、本当はうれしくて笑っちゃう瞬間なのに。
はやく手術を、といわれ、頭が真っ白で、はやく病院を出たくてたまらなくて。
必死に泣くのを我慢して、会計して、病院の駐車場で車の中でまっていてくれた主人の顔をみて、わんわん泣いた。
その後寿司でも食べにいこうって誘われて、怒りながら食べたらいい!って言われたけど、食べられなかった。
仕事で悔しい気持ちになるとたくさん食べてしまうわたしへの主人の気遣い。
でも、わたしは寿司がのどを通らず、帰宅して、ずっと泣いた。
夜も泣いて、寝れなくて、体のなかの水分という水分は涙とともにでていってしまった。
さらにつらかったのは、母への報告だった。
妊娠を知っている母に電話で連絡をしようと思うけれど、いい未来が見えない。
母はなんと言うんだろうか…?
「あなたの生活がダメだったんじゃないの」
「なにをメソメソしてるの」
「そもそも授かるのが遅すぎる」
だめだ、追い打ちをかけてくる言葉しか思いつかない。
でも、連絡しとかないと後々「その後どう?」なんて言われてしまうかもだし、当時スマホをもってなかった母との連絡手段は電話しかなく、あらゆる攻撃を想定して、いざ電話…
「おかあさん、赤ちゃん、あかんかってん」
「・・・。そうか…。・・・残念やなぁー。(ため息)で、どうやって手術すんの。え、かきだし?そんな方法じゃないのもあるでしょ?」
…やっぱり、わたしが期待していたような言葉はくれなかった。
わたしは心のどこかで、母が同じ女性としてわたしのつらさに共感してくれるんじゃないかと期待していた。
母の反応に傷ついたわたしは、そんな自分の淡い期待に気づいてしまって、
「なにやってんだよ。何回繰り返してんねん。期待して、傷ついて、落ち込んでさ。母はああいう人でしょ。なに慰めてもらおうとしてんねん…」
わかってる。 わかってた。
でも、子どもとして、すこしくらい母に「大丈夫?」って言ってもらいたかったんだよ。 「心配だよ」って。
あのころのわたしにとって赤ちゃんは、やっと自分の存在を認めて愛してくれる存在になるという期待があったんだと思う。
赤ちゃんに、「母のかわり」をしてもらおうとしていたんじゃないかって。 無償の愛を、赤ちゃんは、わが子は私に与えてくれる。
生きる喜びも、何かを守り抜きたくなる強い気持ちも、こころがさみしいときにその存在がいるだけであたたかくなる感覚を、わたしは実母ではなく、赤ちゃんにもとめていた。 あのままもし、赤ちゃんがうまれてきてくれていたら…わたしは赤ちゃんを、自分の心をうめるための所有物にしてしまっていたかもしれない。
そんなわたしだったので、娘の妊娠期は不安ばかりだった。
暇ができてしまうと「心拍は?大丈夫?」と不安になってしまい、胎内の赤ちゃんの心拍がきけるエンジェルサウンドを妊娠8週あたりで買ってしまったし、レンタルで自分でエコーをみられるとかいうサービスに課金したし、栄養状態がきになって、栄養管理アプリに食べたものやカロリーを放り込んで、毎日それぞれの栄養素がちゃんととれるようにと設定した目標値は、たぶん妊娠期間中8割は達成できていたとおもう。
とにかく心配でしかたがなかった。 定期検診の日は、毎回心臓がバクバクしてたし、「おかあさん、赤ちゃん、心臓がうごいてません」と言われるんじゃないかってことばかり考えるし、「前回白い靴下を履いて受診したら赤ちゃんは問題なしだったから、今回も白い靴下を…」と、自分でもバカみたいだなと思いながら大量に白い靴下を買ってストックもした。
そんな不安とは対照的に、娘は、60時間くらい微弱陣痛に苦しみ続けたわたしのおなかの中で、まったく心拍が下がることもなかったようで、 朝昼晩と交代でやってくる助産師さんたちが毎回人がかわるたびに 「おかあさん…赤ちゃんね、すごい元気。(ここで心拍がさがる子は多いのに)まったく下がらない。元気」と声をかけられ、 「心拍が問題ないならば帝王切開の必要なし」なので、がんばってね。というようなことを言われ続けて、 ひたすらふんふんうんうん耐えて、なんとかかんとか生まれてきてくれた。
娘は、ありがたいことに、ずっと願っていたような健康状態でうまれてきてくれた。
これは幸せなことで、当たり前だと思ってはいけないといつも思う。
今回の出産において、娘は出生後も順調だけれど、それは赤ちゃんみんながそうなるとは限らない。
これからどう育つかもわからない。
わたしの最初の妊娠のお花畑感までとは言わないけれど、赤ちゃんを授かり出産するまで、わたしの最初の妊娠のときのように赤ちゃんは元気にうまれてくるものだと思って妊娠期をすごされる方は多いのではないかと思う。
出産から産後、「こんなはずじゃなかった」と思いながら、不安と心配に押しつぶされそうになって、寝不足もあいまってこころが崩壊していきそう・していったお母さんが、この世の中にはいる。
それは、お子さんに障害があるケースだ。 思っていた子育てとちがう。
これは、母親たちのこころを、じわじわと闇に落としていく。 最初から子どもにキツくあたろうなんて思っていたわけではない。
寝顔が可愛いなとか、「あんな言い方してごめん。あんな顔してごめん。」とか、子どもが自分を困らせるようなことをしない瞬間は、かわいいと思うときもある。
だけど…そう思えないことのつらさ。
本当は、しっかり手をつないで子どもとたくさん話して色んなことを教えながらともに過ごしていきたいし、そういう未来を思い描いていたのにそうじゃない。
この子にはこの子のペースがあるんだって、まわりから言われてわかってるけど、自分自身が腹落ちしない。
そう「思いこまないと」いけない。 この子らしさ・この子らしく。
それをお母さんがこころからそう思えて、お子さんのことをまるごと受け入れる覚悟みたいなものができるのには、人それぞれかかる時間が違う。
自分を困らせる、扱いづらい何かのような存在になっているわが子に、私はやれることをやったんだから、おまえが悪いんだと怒りをぶつけたって意味がないってわかっているのに。
せめて、お母さんのまわりに、物理・情緒的なサポートができるひとがいたら。
助けてくれる実家や、学校の先生や、同じ悩みをもつママさんがいたら。
いない環境での子育てはつらすぎる。 虐待や無理心中のケースをみるたびに、わたしは明日はわが身かもしれない・気持ちがわかってしまうという女性の気持ちを想像しては、わたしにできることは何かを考える日々。
それでは、今回はこれで終わりたいと思います。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!
まいどん先生(公認心理師)
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