中学生。不登校に悩んだ親子のお話:後編
ブログをお読みいただきありがとうございます!前回の続きです。
「実母と私は同じだったんだ」
お母さんは、お子さんの「話を聞くのが怖い」とずっと悩まれていました。
それはなぜだろうかとカウンセリングを重ねていくうちに、お母さんの過去を掘り下げていく流れになりました。
まるでパンドラの箱をあけたかのように、一度封印していたお母さんの感情がどんどんとあふれていき、
「今でいう教育虐待を受けていました。結果をだせないと無視をされたり、信じられないという顔をされましたし、暴力を振るわれたこともありました。」
「両親も不仲で、父親の心が離れていったあたりから、母はどんどん私の教育にのめり込んでいって…」
…と、「母を許せないのに、割り切れない。切り離せない」と毎週のようにそのお母さんは泣いてお話されていました。
「自分がどんなことにワクワクするのかとか、どんなことに傷ついて悲しいかとか、そういうことを母は聞いてくれませんでした。
いつも結果ばかりを求められ、褒められるときは100点を取ったとか、賞を取ったとか、わかりやすく人よりもよい結果を出したときだけで、
そうじゃなかったら責められてばかりで。自分の気持ちがわからなくなった私なので、娘の気持ちなんて、もっとわからないんです…」
他人軸で生きてきた、他者の評価ばかりを気にして追い求めてきたお母さんにとって、子育ては誰に評価されるものでもなかったし、正解がわからなかった。
わかりやすいのは子どもの成績。
…ということで、実はこのケースは、教育虐待まではいかなかったけれども、このお母さんもまた、お子さんの成績など「目でみてわかる結果」を追い求め、できていないところばかりに目をむけてしまっていたということがわかっていきました。
そして、支援を受けられて半年ほどたったころ、お母さんは
「私は母のようになるまいと思っていたのに、私もまた、娘を条件付けでしか見ていなかったんですね…」と言いました。
「自分を認めて受け入れる」ということ
こういったお母さんの「過去」をおうかがいしながら、同時並行で親子の関わりをかえていくということも行っていました。
親子会話をみていくと、中1のお子さんとのかかわりにしては、お母さんがお子さんを幼く扱って過干渉、過保護をしていたため、その部分はひとつずつ変えていただくようにしました。
例えば、「ママ、お腹すいたんだけど。チョコパイ食べようかな」と話すと、「えー、あなたダイエットするって言ってたじゃない。チョコパイ食べるって?やめときなさいよ。またニキビができたとギャーギャー言ったり、体重が増えたってパニックになるんだから」と返す。
もしかしたら本気で食べようかなと思っていたかもしれないけれど、「食べないけど食べたいな」と言っていただけかもしれないのに、先読みをして、お母さんが「やめときなさい」と子どもの代わりに「判断」をして押し付けているともいえます。
ほかには、脱ぎ捨てられた制服をお母さんがハンガーにかけたり、丁寧にアイロンをかけてあげたり、シャーペンの補充や、課題のプリントをカバンに入れ忘れていたら夜中にこっそり入れておいたり、テスト1週間前になるとお母さんが張り切って勉強スケジュールをたててやらせようとしたり、教科書やワークにふせんをはったり…
お子さんが「やめて」と言ったり、あきらかに不機嫌になっても、お母さんはそういった行動をやめられなかったのです。
その理由は、お母さんが単に「お世話好き」だからというだけではなく、「結果を残さないと社会に認められない」と思い込んで努力し続けてきたお母さんの「当たり前」を、無意識にお子さんにも求めてしまっていたからでした。
「それは過干渉なのでやめましょう」「中1のお子さんに対して、さすがにそれは幼すぎるかと…」
と指摘するだけでは、お母さんのかかわりは「頭ではわかってるけど変えられない」と変化が起きなかったり、
「山下に正直に話したら指摘されてしまう」と、実際のやりとりを隠してしまうなんてことが起きかねません。
それに、「ここまで一生懸命やってきた自分を否定された」という感覚にもなりかねないだろうし、私がそのお母さんならば、反発心をもったり、傷ついてしまって、「もう頑張れない」となるだろうと思います。
お母さんの過去を聞くことで、「ああ、だからこういう干渉をしちゃうんですよね。お母さま(実母)との勉強のエピソードでは、どんなことが思い出されますか」と、過干渉をした時のお話とセットで、お母さんの過去を掘り下げて、「じぶんはなぜ子どもに介入しすぎてしまうのか」という理由を一緒に探していきました。
時間のかかる作業ではありますが、そのように、ひとつひとつ、「私という人間はどうやって作られていったのか」を掘り下げていく。
そして、自己理解が進むと、自然とお子さんへの「干渉しなければ」「ちゃんと育てなきゃ」という強迫観念みたいなものが薄れていきました。
そして高校生に…
支援を受けられて1年ほどたち、親子の会話がかわっていき、「娘が何を考えているかわからない」と話していたお母さんは、「こう考えているのかもしれない」「私が娘ならこう考えるだろう」とおっしゃるようになっていきました。
会話はあっても、互いに気を遣って本音で話せていなかった親子でしたが、1年の取り組みでかなり自然体になっていき、本音で話し合えるような仲に自然と変化していかれました。
お母さんのお子さんへの「執着」「共依存(この子は私がいないと何もできないという思い込みによる子どもへの依存)」が薄れていったある日、お子さんはようやく、「お弁当を持ち帰ったあの日」のことをポツポツ話し始めます。
「あの日さあ~。恥ずかしかったんだよね。友達と喧嘩して、1週間くらい口きいてくれなかった時でさ。グループの誰も一緒に食べようって声をかけてくれなくて、自分だけ教室でポツンとお弁当食べるわけにはいかないから、トイレに行くふりをして、お昼の時間ずっと教室から離れたんだよ。で、せっかく早起きしてお弁当を作ってくれたママにも本当のこと言えなくて…あの日は…つらかった…」
この話をしてくれた時は、喧嘩したお友達とは仲直りをしていましたし、お子さんは毎日学校に行けるようになっていたのですが、そんなことがあったのかとお母さんは、泣きながらお子さんの話を聞いて、最後に「気づいてあげられなくてごめんね」と抱きしめたと言います。
そして、「ママがあの日から、なんとなく私のために変わったような気がしてる。ママ、変わったよね。」とお子さんは言ったそうです。
その後、何とか受験を乗り越え、そのお子さんはこの春から高校生になりました。
「以前の私なら、受験中の娘の横にずっとついて、泣いても許さず、ひたすら勉強させていたと思いますし、偏差値的にもかなり背伸びした高校を選べと言っていたと思います。志望校を娘に聞くこともなく、ここにしなさいって言ってたと思います…うわ~。ぞっとしますね…やだなぁ…」
なんて笑いながら話すお母さんなのでした。
それでは、今回はこれで終わりたいと思います。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!
※今回の記事はプライバシーの問題でフィクションが含まれています。(現実との境界が曖昧になるような書き方をしています。)
まいどん先生(公認心理師)
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