高校生を支援するということは、進路を決めることではなく、世界とのつながりを取り戻すことだと思う
実はわたしの支援の対象は小学校低学年のみではなく、小1~高3までが対象です。
最近は、高校生のお子さんをもつご家庭から支援のお申し込みをいただくことが増えてきました。
お子さん公認で私の支援を受けることになったご家庭もあり、色んなケースがあるなぁと思います。
高校生の支援をしていると、私はよく思います。
この年代の子は、幼児でもないし、子どもとも言い切れないし、かといって大人というにはまだ早くって。
思春期の延長として扱うには、この年齢の子たちの内面はあまりにも複雑です。
けれど、成人として「本人の責任」で片づけるには、まだ世界とのつながり方が脆すぎる・早すぎる。
子どもと大人のあいだにいる存在というより、モラトリアムの時期であり、子どもから大人へと、さなぎから蝶へと変化する時期の子たち。とわたしは思っています。
単純に学校に行かないというだけの話ではない
この年代になると、学校に行けないことの意味が、小学生や中学生のときとは変わってきます。
単なる登校の問題ではなくなります。
欠席日数
単位
進級
通信制への転学
退学
アルバイト
進路
就労
自立
恋愛
居場所
SNS
家族からの距離
…などなど…。問題は一気に社会化し、「この先どうするのか」という問いが、本人にも家族にも重くのしかかっていきます。
だから、多くの支援はここで「現実的な対応」に傾きますよね。
学校に戻るのか。通信制に移るのか。高卒認定を取るのか。就職するのか。
もちろん、そうした整理は必要です。現実から目をそらした支援は、支援ではありません。
けれど私は、そこであえて立ち止まりたいと思っています。
なぜなら、その子が本当に困っているのは、進路が決まらないことそのものではない場合が多いからです。
所属感・社会的自己
自分がどこにいて、何を感じていて、何を望んでいて、誰とならつながれるのかがわからなくなっている。
もっと言えば、「生きる」ということが、自分の中でよくわからなくなっている。自分は何者なのかわからない。自信がない。
高校生支援の本質はここにあるような気さえします。
学校に行けない。朝起きられない。昼夜逆転している。
ゲームばかりしている。親に暴言を吐く。
進路の話になると黙る。何を聞いても「別に」としか言わない。
…こうした姿だけを見ると、まるで「やる気のない子」「甘えている子」「現実逃避している子」に見えることがあります。
でも、私はそう簡単には見ません。
一見すると無気力に見える子の中で、実際には強い緊張が続いていることがあります。
何も言わない子の心の中で、強すぎる自己否定が渦巻いていることがあります。
怠けているように見える生活の中に、「失敗して傷つくくらいなら動かない」という防衛反応があることがあります。
反抗しているように見えて、実は「これ以上、わたしの内側に踏み込まないでくれ」という悲鳴であることもあります。
高校生になると、子どもはもう「しんどい」とそのまま言ってはくれません。
代わりに、不機嫌になります。黙ります。
論破してきます。投げやりになります。
親を拒絶します。未来の話を嫌がります。
つまり、苦しみがそのままの形では出てこなくなるということです。高度に屈折した形でしか表れなくなりやすいです。
そのため、支援者にも親にも、表面に出てきた態度だけをその子の本質だと誤読しない力が求められます。
子どもを決めつけないことが大事
私は、高校生支援とは、まずこの誤読を減らしていくことが大事だと思っています。
言葉の裏を読むという意味ではありません。勝手に深読みすることでもありません。
この子のふるまいは、どんな文脈の中で生まれているのか。
この沈黙は、どんな歴史の上に乗っているのか。
この無気力は、どんな緊張の果てにあるのか。
その子だけを見るのではなく、その子が生きている関係と時間の流れを見ていきます。
だから私の支援では、「高校生本人をどう変えるか」が中心には来ません。
もちろん、本人への働きかけをしないわけではありません。けれど、変化の起点をいつも本人の内部だけに置くことはしません。
私はむしろ、その子を取り巻く関係の組み方、特に家庭内のまなざしや会話の質、期待と不安の混ざり方、言葉にならない圧のあり方を丁寧に見ます。
高校生になると、親は焦ります。
当然です。小中学生ならまだ「今は休んでも、いつか戻れるかもしれない」と思える。義務教育なので。
けれど高校生になると、時間の感覚が急に変わりますよね。
あと一年しかない。
出席が足りない。
進級が危ない。
卒業できるのか。
大学は。就職は。将来は。
…と、親の中で、子どもの今がそのまま将来の破綻へと直結して見えやすくなりますよね。
すると家庭の中に、「今すぐ動かさなければ」という空気が生まれます。
声かけが増える。
確認が増える。
提案が増える。
励ましが増える。
説得が増える。
親はよかれと思って動きます。実際、その善意に偽りはありません。
けれど、その善意が、本人にとっては「お前は今のままではダメだ」という圧として届いてしまうことがある。
このねじれが、高校生支援の難しさだと思います。
本人は、何もしないのではなく、できない。
けれど親には、できるのにしないように見えてしまう。
親は助けたい。けれど本人には、追い詰められているように感じられる。
このすれ違いが長く続くと、家庭はだんだん「安心できる場」ではなくなります。
すると子どもはさらに内に、内に心を閉ざすようになり、親はさらに焦る。
支援者が本当に扱わなければならないのは、この悪循環です。
私は、高校生支援とは、本人を学校や社会に戻す前に、まず家庭の中に少しだけ力を抜ける場所をつくることだと思っています。
その子が自分の気持ちを全部話せる必要はありません。
立派な目標を持つ必要もありません。
ただ、家の中で常に評価され、見張られ、測られ、将来を心配され続ける状態から、少し離れられること。
そのことが、思っている以上に大きいのです。
ここで誤解してほしくないのは、私はただ甘やかしたいわけでも、現状維持を勧めたいわけでもないということです。
むしろ逆です。
本当に動けるようになるためには、
先に「動かされる対象」である状態から抜けなければならない。
自分の人生を、自分のものとして持ち直していくためには、
「親や学校の期待に押されて動く」こととは別の回路が必要です。
私は高校生の支援で、その子の中の「欲」を大切にしています。
欲というと、自分勝手な願望のように聞こえるかもしれません。
けれど私が言いたいのは、「この子がほんとうはどんなふうに生きたいのか」という、小さく、曖昧で、言葉にもなりきっていない方向感覚のことです。
学校に戻りたいのか。戻りたくないのか。
今の学校に戻るのは苦しいけれど、学ぶことまでは捨てたくないのか。
いったん休みたいのか。別の場所ならやり直せそうなのか。
人と関わりたいのか。ひとりでいたいのか。
働きたいのか。学びたいのか。まだ休みたいのか。
そのすべてに、正解はありません。
大切なのは、その子自身がこのようなことを、自分に問いかけて答えを出そうとできるようにすることだと思います。
「欲」はあるのか・ないのか。
しかし、その欲は簡単には出てきません。
なぜなら私のもとにご相談をいただくケースの高校生の子たちは、長いあいだ「期待に応えること」か「期待から逃げること」の二択の中で生きてきた子が多いからです。
自分が何をしたいかを考える前に、怒られないようにする。
失望させないようにする。
傷つかないようにすることにエネルギーを使い果たしている。
だからこそ、支援者は「どうしたい?」と安易に尋ねるだけでは足りません。
その問いに答えられないこと自体を、怠慢ではなく、歴史として理解する必要があります。
私の支援は、おそらくここが少し独特なのだと思います。
私は、その子を一人の個人としてだけ見ません。
その子の背後にある家族の物語、親の不安、親自身の育ち、学校文化、同調圧力、近代的な自立観…
そして「ちゃんとした人生」への無言の規範まで含めて見ようとします。
なぜなら、苦しんでいるのは、その子の性格の問題ではなく、その子が置かれてきた世界との関係の問題であることが多いからです。
進路選択を焦りたくなる
学校に行けない高校生を前にすると、世の中はすぐに「進路」に話を持っていきます。
でも私は、その前に「関係」を見ます。
進路を決める力より先に、関係の中で傷つきすぎていないかを見る。
社会に出る準備より先に、この子の中に他者への最低限の信頼が残っているかを見る。
自己決定より先に、自己そのものがまだ世界とつながる力を保てているかを見る。
この順番を間違えると、表面的には前に進んだように見えても、あとで深く崩れることがあります。
実際、高校生は「進路を決めたから大丈夫」ではありません。
通信制を選んでも苦しい子は苦しい。
アルバイトを始めても続かない子は続かない。
大学に入っても折れる子は折れる。
そして、ときには無理に復学しても、そのあとで再び大きく崩れてしまうこともあります。
逆に、いったんしっかり立て直したうえで学校に戻った子が、以前よりも落ち着いて通えるようになることもあります。
問題は、所属先が見つかったかどうかではなく、その子がその場所を自分の居場所として経験できるかどうかです。
だから私は、進路の提案をするときも、学校の仕組みや進学先の条件だけを見ません。
その子の特性、その子が傷つきやすいポイント、その家庭の会話の癖、その子が他者と距離を取る仕方まで含めて考えます。
そうしないと、選択肢はあっても、その子の人生にはつながらないからです。
世界の見え方が変わるように支援をする
私は、高校生支援とは、その子を社会に適応させることだけではなく、その子が世界を少し違って経験できるように・視点が変わるようになることだと思っています。
世界は敵ではない。
他者は自分を査定するだけの存在ではない。
家族は圧をかけるだけの場ではない。
学校はただ耐える場所ではなくなるかもしれない。
もう一度通うことも、別の学び方を選ぶことも、敗北ではなくその子なりの選び直しとして持てるかもしれない。
仕事もまた、自分の価値を証明するためだけの場ではない。
そうした感覚が少しでも回復していくとき、子どもの表情も変わっている気がしています。
すぐに前向きになるわけではありません。けれど、どこかで生き方が変わる。
私はその変化を、何度も見てきました。
だから私は、支援を「うまくいく方法の提供」だとは思っていません。
もっと地味で、もっと根本的な作業の繰り返しです。
親の見え方が少し変わる。
子どもの沈黙の意味が少し変わる。
家庭の会話の温度が少し変わる。
世界の見え方が少し変わる。
その積み重ねの先に、登校や復学や進路や就労が結果としてついてくることがある。
私はその順番を大事にしています。
まとめ
支援者の仕事は、子どもを急いで社会に戻すことだけではない。
親の不安に迎合して、すぐに答えを出すことでもない。
むしろ、本人にも家族にもまだ見えていないものを、一緒に丁寧に見ていくこと。
そして、目先の正しさではなく、その子が長い目で見て生きやすくなる方向を選び取る手伝いをすることだと思っています。
高校生は、もう子どもではない。
けれど、まだ一人で生きられるほど強くもない。
だからこそ、この時期の支援には、正しさよりも解釈が必要です。
指導よりも、文脈を読む力が必要です。
励ましよりも、その子の存在がどのように世界と結びなおされるかを見る視点が必要です。
私は、そのための支援をしています。
学校に行けるかどうかだけでなく、その子が社会に飛び出そうと思えるよう、気持ちを作ることを大切にする支援。
親子のあいだに詰まってしまった空気をほどき、本人のなかの感覚や気持ちや欲や方向性が、浮かび上がるのを助ける支援。
そしてその先に、学校に戻るという選択がその子自身の足取りとして見えてくるなら、その道もまた丁寧に支える支援です。
派手ではありません。
すぐに結果が出ることもあれば、すぐ出るとも限りません。
けれど私は、こうした支援こそが、いちばん遠回りに見えて、いちばんその子の人生に残るものだと思っています。
高校生支援とは、進路指導のことではない。
自立支援のことだけでもない。
まして、ただ優しく寄り添うことでもない。
それは、その子が失いかけた世界との関係を、もう一度つなぎなおしていく営みなのだと、私は思っています。
それでは、今回はこれで終わりたいと思います。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!
まいどん先生(公認心理師)
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