「ランドセルを見るだけで吐き気がする」。普通の幸せが憎くてたまらない、そんな自分が嫌になる。

 

「ランドセルを見るだけで吐き気がする」。普通の幸せが憎くてたまらない、そんな自分が嫌になる。

「ランドセルを見るだけで吐き気がする」。普通の幸せが憎くてたまらない、そんな自分が嫌になる。

通学路。朝の8時と、夕方の4時。

…この時間帯になると、外に出るのが怖くなりませんか?

黄色い帽子。重そうなランドセル。友達とふざけ合いながら歩く、甲高い笑い声。

「行ってきます!」

「ただいまー!」

そんな、どこの街にもある「平和な日常の風景」ですが、それが、今のあなたにとっては、鋭利な刃物のように心臓を突き刺してくる…。

 

スーパーの買い出しに行く時、自転車ですれ違う制服姿の中学生。

「あの子は普通に通えているのに」

「なんでうちの子は、部屋から一歩も出られないの?」

その瞬間に湧き上がる感情は、「羨ましい」なんて可愛いものじゃなく、もっとドス黒くて、粘着質な…はっきり言えば「憎悪」に近い感情でもあるかもしれません。

「あの子も行けなくなればいいのに」

「そんなに楽しそうに笑うなよ」

…と。

そして、そう思ってしまった直後に、

「私、なんて最低な母親なんだろう」

「よその子の不幸を願うなんて、人間として終わってる」

そんな強烈な罪悪感をもってしまって…。

 

今日は、そんな誰にも言えない「黒い感情」に苦しむあなたに、書きたいことがあります。

ただ、あまりにも長く「普通」という呪いと戦いすぎて、心が複雑骨折しているあなたへ。

なぜ、「ランドセル」がこれほど憎いのか

まず、あなたのその感情の正体は何なのでしょうか。

あなたが憎んでいるのは、子どもたち個人ではなくって、彼らがふつうに背負っている、

「あなたが手に入れられなかった未来(普通とよばれるもの)」なのではないでしょうか。

 

不登校になる前。

「行ってきます」と元気に登校する我が子。

「今日の晩御飯なにー?」と帰ってくる笑顔。

運動会で走る姿。卒業式の晴れ姿。

そして、ランドセルはそんな「幸せな未来」の象徴であり、制服は、「社会に受け入れられている安心」の証明書で。

 

今のあなたは、砂漠で水筒を失くして彷徨っている状態と同じといえるのかもしれません。

喉がカラカラで、死にそうな時に、目の前で冷たい水をガブガブ飲んでいる人を見たらどう思いますか?

「よかったね」と微笑ませんよね。

「なんでお前だけ!」と奪い取りたくなるのが、生物としての正常な反応なんだと思います。

 

あなたがよその子を見てイライラするのは、性格が悪いからではなくって、

あなたがそれだけ「我が子に普通の幸せを与えてあげたかった」というように願ってきたからではないでしょうか。

それは愛情の裏返しであり、喪失感(グリーフ)でもあります。

愛が深いからこそ、失った時の絶望が「嫉妬」という形で噴出しているだけなのだとわたしはおもいます。

SNSという名の「自傷行為」をやめよう

あなたのこころをえぐってくるのは、通学路だけではありません。

スマホの中にも、地雷は埋まっています。

 

4月の入学式シーズン。3月の卒業式シーズン。

SNSを開けば、溢れかえる「桜とランドセル」「制服と証書」のキラキラした投稿。

「無事に卒業しました!」

「明日から中学生!楽しみだね!」

 

その投稿を見るたびに、スマホを壁に投げつけたくなる衝動。

「うちは卒業式にすら出られなかったのに」

「楽しみなんて一つもないのに」

そんなことを考えながら、スマホをさわってしまっていませんか。

 

不登校になやむ親御さんにとって、他人のキラキラした子育て投稿を見ることは、カッターナイフで自分の腕を切り刻む「自傷行為」と同じなので、ちょっとSNSから離れてみませんか。

 

「友達の投稿だから『いいね』しなきゃ」

「情報を遮断したら、社会から置いていかれる」

そんな義理立ては捨てて、ミュート機能を使っったり、アプリを消してみたり…

あなたが傷ついてまで見なければならない情報はないはずなので、やめてみませんか。

 

状況が落ち着くまでは、他人の幸せを見ないという方法は、結構こころを健康にしてくれます。

「普通」という病、「みんなと同じ」という呪い。

あなたがこれほど苦しいのは、私たちが「みんなと同じ=正解」という呪いがあるからなのかもしれません。

「学校に行くのが普通」

「友達が多いのが良い子」

「部活に入るのが青春」

私たちは親になる前から、この価値観を刷り込まれてきました。

だから、我が子がそのレールから外れた瞬間、

「私の育て方が間違っていたのか」「この子の人生は終わったのか」とパニックになりやすいんだと思います。

 

でも、少し冷静になって考えてみると…

ランドセルを背負って歩いているあの子たちは、本当に全員幸せなのでしょうか?

実は、いじめに耐えながら通っているかもしれません。

先生の顔色を伺って、心を殺して座っているだけかもしれません。

何かに苦しんでいるかもしれません。

ランドセルという「箱」は、中身(その子の心)までは見せてくれないものです。

一見、順調そう・幸せそうにみえても、中身はわからないものです。

外からは「順調」に見えるあの子たちも、それぞれ別のなにかがあるかもしれないし、ないかもしれません。

 

「普通に見える」ことと、「幸せである」ことは、イコールではありません。

あなたが憎んでしまいそうになるような「あの子たち」は、実は幸せの象徴ではなく、「普通という枠のなかにいる子」に過ぎません。

憎んでもいい。羨んでもいい。

それでも、感情は理屈ではありませんよね。

「頭ではわかるけど、やっぱり制服を見ると胸がえぐられる」

その気持ち、痛いほどわかります。

だから、無理に聖人君子になろうとしないで、よその子を見て「チッ」と舌打ちする自分を、許してあげてください。

「ああ、私、まだ傷ついてるんだな」

「普通になりたかったんだな」

「悔しいな、寂しいな」

そうやって、自分のドス黒い感情を、そのまま認めてあげてください。

「いいお母さん」の仮面の下で、嫉妬に狂う自分を抱きしめてあげてください。

 

毒は、吐き出さないと腐ります。

誰もいない車の中で「ふざけんな!」と叫んでもいい。

ノートに罵詈雑言を書きなぐってもいい。

ご自身の気持ちを吐き出しながら、折り合いをつけながら、目の前のわが子とどうこれからを歩いて行こうか…と考えてみるのも悪くないかもしれません。

 

ランドセルはただの「革の箱」だ

最後に。

ランドセルは、ただの教科書を入れる革の箱です。

制服は、ただの布切れです。

それらは、あなたのお子さんの価値を1ミリも決めません。

今はまだ、その箱が輝いて見えるかもしれません。

 

でも、10年後、20年後。

大人になった彼らにとって、小学校に行けたかどうかなんて、どうでもよくなっているかもしれません。

では、そんなわが子をこれからどう導くのか?ということは、また別の話になるとは思うのですが、私の支援は、親子会話を変えていきながら、親子の環境を変えていきながら、じっくり体質改善をすることをメインにしています。

そんなことをメインにしながらも、復学率は7割。私は復学支援をしていませんが、結果的に、復学という副産物を

 

 

それでは、今回はこれで終わりたいと思います。

さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!

まいどん先生(公認心理師)

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