「毎朝、もう限界」―母子登校のリアルを描いたマンガと支援者の視点
ブログをお読みいただきありがとうございます!
今回は、インスタグラムなどで公開中(今も執筆継続中)の『支援者が描く母子登校のリアル』の一部の内容をふまえて解説していきたいなと思います。
まず、これは、私自身の体験ではありません。
ですが私はこれまで支援者として、たくさんのお母さんたちからたくさんのストーリーをうかがってきました。
朝の準備、玄関前の攻防、学校までの付き添い、そしてまた明日も…
「つらいです。もう限界なんです」
そう語るお母さんの多くが、同じような感情にひとりで耐えていました。
支援の現場にいる者として、あまりに多くの母親たちの心を苦しませていった「母子登校」「付き添い登校」を、少しでも色んなかたにしっていただきたく発信していきたいなと考えています。
今、まさにつらさの中にいる誰かに、静かに届くことを願って…。
「母子登校」の日々に、名前のない涙がある
それでも、朝はやってくる。
早朝に目覚め、二度寝できず、仕方がないので眠い目をこすりながら朝ごはんを作って、声をかけて、着替えさせて、準備して…
時計はもう8時を過ぎている。なのに、また、玄関で「行かない!」。
わかってる。
この子がいちばんしんどいことも。
プレッシャーも、怖さも、不安も、全部この子の中にあるってことも。
でも…
毎朝毎朝、泣いて、叫んで、すがられて、力づくで引きはがすように登校して…。
こっちの心も体も、限界なんだけど…?
SNSを開くと、よけいに胸が痛む
「今日は一人時間♡」
「やっと自由にカフェで読書できました〜」
いいなあ、うらやましいなあ、と思う自分と、
「なに甘えてるの」って自分を責めるもう一人の自分。
つい、比べてしまう。
つい、自分を責めてしまう。
つい、子どもにキツくあたってしまう…
「他の子は一人で行けるのに…」
帰り道、ランドセルを背負ってスタスタ歩くよその子の後ろ姿がまぶしい。
教室の前で先生にぺこっと頭を下げて、するりと中に入るあの子。
うちの子は違う。
何度も手を離しても、すぐに戻ってくる。
「ママ、ママ…」って。
自分の足で歩くことが、まだできない。
ある日、教室の中で耳にした「てんとう虫の詩」
「ちいさくても ぞうとおなじ いのちを いっこ もっている」
この一節に、涙がこぼれた。
この子にも、確かに「いのち」がある。
この子のペース、この子なりの歩幅、この子なりの「行けない理由」がある。
大人が期待するタイミングで、育ってくれるわけじゃない。
よその子のスピードに合わせて、成長してくれるわけじゃない。
わかってる。わかっているのに…。
「うちの子、発達の問題かな?」「もう4か月付き添ってるのに…」
夫に言ってみるけど、反応はうすい。
「他の子と比べても仕方ない」「とりあえず連れていけてるんだからいーじゃん」
こっちは必死なのに、どうして伝わらないんだろう。
子どもを学校に送り届けたあと、
エレベーターの中で、誰もいない家のキッチンで、
声を出さずに泣いた。
そんなこと、あなたは知らない。
いいよね。仕事に行けば、あなたには逃げ場があるんだから…。
【解説】母子登校の裏にある「母の孤独」を読み解く
今回は、漫画の序盤を載せています。(続きは各種SNSにて発信中)
この内容を、支援者としてどう読み解くか…をここからは書かせていただきたいと思います。
①母親の「つらさ」はどこからくるのか
この漫画に登場する母親は、早朝に始まり、夜になってもなお「ほっとする間がない」状態に置かれています。
これは単なる「育児疲れ」ではありません。
子どもが学校に行けない/行きたくないという困難を前にして、母親自身が常に「自分の存在を問われ続ける」構造に置かれています。
人間の心は環境との相互作用の中で形づくられるのですが、
この母親が置かれているのは、
- 子どもからの絶え間ない「ママ、ママ」
- SNS上での「理想的な母親像」との対比
- パートナーからの共感の欠如
- 学校や周囲の見えない「憐みの目」
といったことに苦しんでいます。
このような複雑な環境の中に置かれると、人は「自分が何者なのか」がわからなくなります。
- 「子どもを信じて見守ってください」
- 「でも、ちゃんと学校に連れてきてください」
別に誰かに言われたわけではないけれど、きっと「世間はこう言うだろう」という頭の中の両立できない指令の中で、母親の心は摩耗していきやすいです。
②「理解されなさ」のなかにある孤独
この漫画の母親は、
- 夫に相談しても軽く流され
- 学校では形式的な「お迎え」や「引き渡し」が繰り返され
- 子どもとはぶつかり合い続けている
誰にもわかってもらえない。助けを求めても、答えてもらえない。
母親の「ため息」や「無言の涙」を、わかってくれる存在がいない。とてもつらいことです。
③「私は母である前に、人間である」
母親は「今日も付き添いだった…」と呟いています。
この一言には、「母であること」の重みによって「私自身」が見えなくなっている痛みがにじんでいます。
- 子どもを学校に送る機能
- 教師からの要請を満たす装置
- 夫にとっての「協力的な保護者」
として、「誰かのための存在」「誰かのために役割をになう私」に疲れている。
スマホの画面や、眠る前の無言の表情は、
「私は、母である前に、ひとりの人間でありたい」という無言の叫びといえると思います。
④まずはここから
このような状態に対して、お母さんは、あなたは、何から行えばいいのでしょうか。
「登校刺激」「親の関わり方」「行動療法」…どれも有効ではありますが、まずは自分の感情を言葉にしていくことです。
- その日、何がつらかったのか
- どうして涙が出たのか
- SNSを見て、何を思ったのか
そうしたことを、言葉にする。
文字にしてみたり、(ちょっと怪しいですが)一人になれた時に、車の中でブツブツ文句を言ってみたりして、感情をはきだしてみることが大事だと私は思います。
最後に
この漫画は「子どもが学校に行けない」物語に見えて、本当は「母親が孤立し、声を失っていく物語」です。
支援者としていつもおもうこととしては、こういった親御さんに寄り添い・理解してくれる人が近くにひとりでも居たら…ということです。
「今のわたし、まさにこれ」と思われる方がいらっしゃったら、よければ続きも読んでくださるとうれしいです。
マンガの続き(各種SNS)はこちらから
それでは、今回はこれで終わりたいと思います。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!
まいどん先生(公認心理師)
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