低学年の不登校。色んなことが怖くなった特性があるわが子。

低学年の不登校。色んなことが怖くなった特性があるわが子。どうしたらいいんだろう…

ブログをお読みいただきありがとうございます。

今回は、カウンセリングを受けていただいたご家庭から、

「我が家の出来事が誰かにとって道しるべになるならば…よければ、詳細に書いていただいてもいいので、ぜひ事例として紹介してください」と言っていただきまして、お言葉に甘えて記事を書かせていただきたいと思います。

家庭の特徴

  • 神経発達症(ASD、ADHD、アスペルガーあり)と診断をうける
  • 二次障害として登校しぶり、強迫性障害を発症
  • 本人に合った環境探しのため転校を経験
  • お母さんは「私のこころが安定することが何よりも大事なのではないかと考えた」と話す
  • お父さんはお子さんが大好き。でも、夫婦で意思疎通がうまくできない

このケースは、行き渋り→様々な登校を試す→転校→母子登校→不登校…という流れを進みました。

その後、お子さんと相性の良いフリースクールを見つけることができ、本人が居場所と仲間をみつけて、お母さんの心も安定したという事例です。(支援月数約1年)

復学をしたわけではないけれども、お母さんがどんなふうに悩み、前に進み、ご家庭が変わっていったかを書いていきたいと思います。

すごく長くなると思いますが、お読みいただけると嬉しいです✨

※プライバシーの問題で、事実をもとにしたフィクション内容になっています。

 

入学してからここまで。このままでは親子ともに倒れてしまう…

最初にご相談をいただいたのはお子さんが小1の頃でした。

冬の寒い時期で、「付き添い登校をしている」というご相談に、「寒い中お子さんに付き添われていて、お母さん頑張ってるんだな…」と胸がきゅうっとなったことを覚えています。

このお子さんは就学前にwisc検査を受けておられており、発達凸凹があるものの知的な遅れがないし、集団指示も問題ないということで通常級で入学しました。

新しい生活に前向きで楽しみにしていたお子さん。

この子はとっても頑張り屋さんで、「やるぞ」と思うと爆発的な頑張り・集中力を見せるお子さんです。

新しい環境に慣れようと、本当に一生懸命頑張っていたのですが、GW明けごろ、学童であるお子さんから暴力をふるわれたことをきっかけに行き渋りがはじまりました。

おそらくこれはきっかけにすぎず、本人が頑張りたい!と努力をし続けストレスがかなり溜まっていたのだろうと推測します。

急に精神状態が悪くなり、強迫症状が出ていったといいます。

何とか頑張って学校に行くものの、体調が悪くなったり、色んなにおいや音がうるさくて息苦しくなったり、ドキドキが止まらない。

怖い、落ち着かない、嫌だ、行きたくない…!!!!

…と、これまでためこんでパンパンに膨らんでいた風船が割れてしまいました。

 

そこからそのお子さんは、一日に何十回も手を洗ったり、何度も着替えたり、誰かに触られるだけでパニックになってしまったり、他人が触ったものに触れられないし、洗いたがりました。本人はとってもつらかったでしょうし、そんな様子を見ているお母さんはもっとつらかったんじゃないかなと思います。

 

このお子さんのお母さんはとても感受性が強く、物事を見る解像度がめちゃくちゃ高いお母さんです。

お子さんが見ている世界を想像して説明するとき、「そこまで表現するの?!まるで映画を観ているような感覚になる…」というくらい、詳細にその時の様子をお話してくださっていました。

そんなふうにお子さんをみれているお母さんだったので、本当につらかったと思います。

 

行き渋りがみられだしてからは、保健室登校や、母子登校などを試したものの、登校への拒否感が強くなり、

お家で暴言・暴力が見られるようになります。

さらにクラスの子に「ズル休みしてる!!!」と言われたことを気にして、学校へ行けない罪悪感が強くなっていきます。

汚れることへの不安、お母さんと離れることへの不安も強くなり、家族に何度も除菌と洗濯をお願いしたり、お母さんに「外に出ないで」と言うようになってしまいました。

 

その後このお子さんは、神経発達症(ASD、ADHD、アスペルガーあり)と診断され、医師からは二次障害として登校しぶりや、強迫性障害を発症している状態という説明があったそうです。

お子さんの強迫症状もあるし、神経発達症のこともあるし…ということで、お子さんに合う環境を求めて転校をされます。

幸いにもお母さんの血のにじむような努力の結果、どのクリニックにいっても「うちではみることがむずかしい」と言われていた強迫症状はなくなっていったのですが、学校が怖くなってしまったお子さんをどう支えようか…と悩む毎日のお母さんでした。

付き添い登校ならばなんとか行ける…ということで、週に2・3日、頑張って登校をされましたが、徐々に親子ともに限界を感じていかれました。そのころに、私の元にご相談をいただいたという流れです。

 

小1の2月。付き添い登校に疲れ、学校を休むことに。

最初のご相談の時はギリギリ学校に行かれていたのですが、申し込みをされた頃、親御さんは

「付き添い登校に疲れてしまった。無理して親子ともに苦しみながら行くのもよくない気がする。なにより母親のメンタルがよくない。これは親子の関係性を考えると一番よくないと思う。だから、カウンセリングを通じて私がご機嫌でいる・安定するということを意識していきたいです。復学を目指すというより、今後不登校になることをいったん受け入れていきたいなとおもっています。」

と仰っていました。

 

お子さんはゲームや動画など、ハマると何時間でもやりたい!と言うのですが、「ルールを作って守らせないと社会生活に適応できなくなってしまう」という不安があったお母さんは、どう接したらいいかとても悩まれていました。

「もういい、好きにしたら!」という日もあれば、「ルールなんだから、守ろうよ…」という日もあったり。

無理にやめさせようとすると荒れたり暴言をはかれるので、どうしよう…と毎日悩んでおられました。

他には、ごはんへのこだわりもあるお子さんで、一生懸命作ったのに「まずい」「こんなの食べられない」と言われたり…。

「お母さんの声が大きいのがいやだ!大嫌い!あっちへ行け!」と言われてしまったり…。

 

やってもやっても前に進んでいる感じがない。

子どもに否定的な言葉を投げかけられ続ける。

自分ばかり我慢して、感情を押し殺し続けなければならない。

かといって離れようにも子どもが自分と離れることを怖がるから、ずっと一緒にいなければならない。

ご飯も3食食べさせたいけど食べてくれないし、親の思うタイミングで食べてと言うと嫌がられるので本人がおなかがすくのを待つしかない。

改めてこうやって書いてみても、あの頃、お母さんはすごく頑張ってたんだな。耐えていたんだな…と思います。(泣きそう)

 

それなのに、そのお母さんはこのようにいいました。

「不登校や発達障害の対応について色々な意見をがあることを知り、今まで色々試してみて、何が正解か分からず混乱してきました。

凹の部分は療育せねば、居場所を見つけてあげなければと必死になってました。

でも、今日子どもの発言を聞いて、最終的には、親子が幸せであるかどうかなんだと思いました。

思い返してみると、幼少期から親が良かれと思って意図してやったことで、上手くいった試しがないのです。

今本人にとって必要なのは「ありのまま」を認めることで、遊びながら勝手に学びたいのだと感じ、勉強や訓練は本人がやる気になった時にもっとあとになるんだろうなあと感じました。」

勉強のこと、自立のこと…いろんな不安があるだろうにもかかわらず、このお母さんは、いつも落ち込んでも、必ず前を向いて立ち上がるんです。なんて強い人なんだろう…と思いました。

ただ、私は「光が強すぎると影ができる」と考えており、「ネガティブは悪」と負の感情を持たないようにしすぎると、かえって反動がやってきやすいので、大丈夫かなぁ…とひそかに心配をしておりました。

 

「この子が見ている世界をしりたい」

このお母さんは、とにかく「わが子を理解しよう」「自分のことも大事にしよう」ということを取り組んでいかれました。

どんなに毎日暴言をはかれても、

「愛されたくて言っているのだな。言葉をそのまま受け取らず、何を言いたいのかをできる範囲で汲み取りたいなと思った 言葉をそのまま受け取ると悲しいし、傷ついてしまうことがある。でも、どうしてそう言うのか?母には自分を出せる。愛されたいから、ぶつけられるからぶつけたいんだなと思うようにしています。うまくいかない日もあるけれど、頑張りたいです。子供が癇癪をおこしたり、暴れちゃうのも、きっと本当はそうしたいわけじゃない。表現方法がわからないのかな、認めるフェーズなのかな、と思っています」

「親子会話の記録をするといろいろと気づきが得られる。前向きになれる気がする。自分の考えを書き出して返事をもらうと、気づきが毎日あふれてくる」

と言っていました。なんなんだ?女神か?と思いました(語彙力)。

 

よく、親子会話を記録しようとすると、「会話を覚えておかなきゃ」と思うとぎこちなくなるということがあるのですが、

「逆に記録する前の方が自分がかたくなってました。この一言を言ったら、この子どうなるんだろう?と言葉えらびに緊張があったんですよね。包括的に見るというか、時々、間違った対応だなと思えていいなと思いました。

記録に残すことで子供の変化に気づきやすくなって、この子は変わってきていると思えて、いい意味でゆるくなってきたと思います。

ああ、今こう言ったけれど、つぎはこうしようと思えたり… 。

前向きにとらえられています。力が抜けてきている感じがあります。

自分の理想として、子どもにはこうなってほしい・こうなってほしくない…という希望、理想はいっぱいあります。

でも、いますぐどうにかするというよりも、今は子供の「お母さんに見てほしい。伝わってほしい」という気持ちをていねいにうけとめる作業をしていきたいです。

信頼関係ができたときに、自然にまたできることとか、こちらのお願いが届いたりするのかなという感覚があります。

ひとつひとつの子供の発言に振り回されないようにしようと思えました。」

と、親子会話もコツコツ書いては振り返り、楽しみながらかかわりを変えていかれました。

 

このころは、カウンセリングの中で、「お母さんなんて嫌い!」と言われても、頭の中で、

この子はきっと、こんなふうに言って私を試してるんだ。

愛されたい。僕を見捨てないで。見放さないでって言ってるんだ。

学校に行けないことを気にして、「ぼくなんて…」と時々言う彼。

きっと本人も不安なんだろう。

その不安の気持ちを、私にぶつけてきてるんだ。

半分、僕の苦しみをもらってよ…!って。

その苦しさを、私はもらってあげたい。

…と、真正面からお子さんの言葉を受け止めないようにして、暴言は本心ではなくて「助けてっていうさけびなんだ」と思えるようにしていこうという話をしていました。

 

小1の3月。学校からの連絡・年度末が…つらい…

用事があり、学校に行くのがしんどい。

ちょこちょこ電話「どうですか」がしんどい。

最低限の連絡にしてほしい。

せっかく自分の中で決めた軸を持っていかれそう。

 

…不登校中のご家庭は、このようなことに悩まれると思いますが、このご家庭でも同じことが起きていました。

「学校とかかわると、学校に戻されるというか、戻らないといけないんじゃないのかという気持ちに引っ張られそうになる」と。

このケースでは、学校環境がどうしても本人に合わないと判断し、学校ではなく居場所をみつけてあげたいと考えておられたので、学校からグイグイこられるとお母さんもしんどくなっていました。

「○○くんはいつくるの」と言われたり、「生活リズム大丈夫ですか」と気にされたり、「お母さんが元気でないといけませんよ」と言われたり…

親子で無理をして行ってみたけれど、子どもの感覚過敏などから、学校に行けば行くほど荒れてしんどそうにしているのをみて、違う選択をとっていこうとされていたので、「学校に来れないのは子どもが弱いから」「親の対応がよくないから」みたいに言われてしんどくなってしまうということは、あえて学校を休んで違う選択をとお考えのご家庭にとってはつらいことでもありますよね。

 

それまでお母さんは、「こどもの心の安定を最優先に考えたいと思っていましたが、学校とかかわると欲が出てしまって結果もめて自己嫌悪になる」と仰っていました。

子どもにあう勉強法を探そうと、それはもう片っ端から調べて試して…とやってきているお母さんです。

でも、焦って「少しでも漢字をやらない?」と言ってお子さんが荒れてしまって、後悔する…ということを何度か繰り返しており、「このままでは子どもに無理をさせてまた強迫症状などが出てしまうかも」ということで、学校にお願いして、「行こうと思ったらこちらから連絡をしますので、そっとしておいてほしい」ということを伝えて、それでなんとか学校と距離を取れるようになっておられました。

 

それでも、学年度末になるとまたソワソワされたお母さん。

「年度末ってこんなに心が揺さぶられるんですね。ただ月をまたぐだけなのに、なんともいえない圧力を感じやすくなっているんだなと思いました。周りは学年が変わり、進むぞ!みたいな状態。でも私たちはいま、先が見えてない。それでも、この子に合った環境をと思って、自分たちなりのペースで…と思うのに、焦ってしまっているし、不安になって、不安定になっているなぁ…」とご自身を見つめておられました。

そして、

「なんかしなきゃと思って空回りしていました。今、こうやって山下先生とカウンセリングで話してたら、なんだか自分が恥ずかしくなってきました。息子が強迫性障害で苦しんで、親子ともに地獄をみて、何とか這い上がった。そこから転校もして、私は息子に新しい環境で頑張らせようと急かしてしまって…親子で消耗してしまいました。地獄だった頃のことが、最近夢にでてくるんです。そうだ、私は、息子には幸せになってもらいたいけど、無理して学校に行かせて、また強迫症状を出させたいわけじゃないんだよなって…」と泣いておられました。

 

そしてそのあと、「オンラインフリースクールをダメもとで利用しようかなと思って」

…と、オンラインのフリースクールを利用されはじめました。

最初はオンラインでンターさんと遊ぶということがハードルが高く、30分やりとりするだけでも刺激が強い様子でした。

 

小2の4月。我慢が限界になり、爆発

ここまで、どんなことがあっても前を向いていこうと努力されてきたお母さん。

しかし、たくさん我慢をしてもいたので、爆発してしまいます。

 

「お母さんもう世話ばかりするの疲れたよ!召使じゃないんだよ!!もっと優しくして欲しい。お母さんだっで楽しいことしたい」言って、お子さんに感情をぶつけてしまった。泣いてしまった、と…。

そりゃあそうだよ…ずっと光の戦士でいたんだからさ…毒をはかないと、やってられないよね…と私は思っていました。

 

「怒りと悲しみに支配されている感じがします。

怒りは、家族を受け入れなければと感情を抑え続けてきたものが、限界に来てしまった感じがします。

息子も夫も含め、ありのままの家族を愛せないと言うか、憎しみのような気持ちが湧いてきてしまいます。

1日中自由に気楽に過ごしている息子を見て、怒りが湧いてきてしまいます。

息子は何も悪くないのに、私が不安があったり、満たされていないのでそう思うのだと思います。

どうして私を苦しめるの? 私にももっと気遣って、優しくしてよ…

私だって世話を焼いて欲しい。子供に戻って愛されたい…もう疲れた…何もしたくない…

私は苦しいばかりで、幸せじゃない。

誰か助けて欲しい…このような感情が次から次へと湧いてきます。」

このお母さんの話に、そうだよな…あんなに自分を押し殺して頑張ってきていたんだもんな…と思う私です。

 

ここまで読まれた方のなかには、それならばひとりで出かけてはどうか?と思われた方がいるかもしれません。

でも、この時、お子さんは少しの時間ならばお留守番はできるけれども、お母さん自身エネルギーがなくなっていて、お母さんが外出することが難しくなっていました。お母さんもまた、ずっとギリギリだったんです。

外に出るのがしんどくて、家にこもっていたい…と思うくらい、エネルギーが残っていない状態でした。

当たり前ですけど、自分がしんどい時に、むしろ自分が助けて!!!という時に誰かを支えるのって、すごくしんどいんです。

自分がメンタル持っていかれたら、じゃああの子を誰が支えるの?ということが、お母さんがなんとか立っていられる理由でした。

 

「自分1人の時間を作ってどこかに出かければいいと思うのですが、そんな気力も湧かなくて…本当はひとりで家でゆっくりしたいです。

 24時間息子と家にいて、たとえ別の部屋だとしてもすぐ呼ばれるし、食事の用意をするのに疲れました。もうこの生活が5月で1年になります。

息子は以前みたいに優しくしてくれることもなくなっていて、なんのために私はがんばっているのかわからなくなり、報われない気持ちです。

この生活がずっと続くのかと思うと、逃げ出したくなります。

このような状態なので、息子に愛情を持って接することや言葉がけが難しくなっていて、

なるべく会話をしないで淡々と接して耐えている状態になっています。

辛いです。

何をどうしたらいいのか、わからなくなってます。」

不登校中の親御さんや、発達障害のお子さんをお持ちの親御さんがこれをよんだら、

 

そうそう…!そうなんだよ…!

わかるっ!わかるよ…!!!

 

…と、ムスカのような共感をされるかもしれません。

 

頑張り屋さんで、弱音を吐かない人は、実はこんなふうに、自分の中に色んな感情を押し込んでいます。

「私さえ我慢すれば…頑張れば…」と、無理をしてしまいがちです。

自分だって、しんどいのに。

自分だって、休みたいのに…。

 

強迫症状がなくなってからも、お子さんはしばらく分離不安が強くて、お母さんと家の中でもうまく離れられなかった。

それが克服できるようになり、お留守番ができるようになった。

でも、お母さんは頑張りすぎて、折れかけ。ご主人はお母さんのケアをしてくれない…。

そりゃあ、外部の支えがないと、やってられへんよな…と思い、切なくなりました。

本当は、私のカウンセリングがなくっても、ご主人が支えてくれていたら…と。

 

そう思いながらも、私はお母さんとのカウンセリングのなかで「しんどい時にむりに笑おうとしなくていい。むりに全力で子どもとかかわるとバランスを崩してしまう。よいバランスを見つけていこう」と伝え続けていました。

 

私はこんな仕事をしていますけれど、新しい出会いがあるたび、苦しくなるんです。

新たな出会いがあるたびに、どんなふうにお母さんが頑張ってきたのかを聞くたびに、

つらかったね。ずっとひとりで頑張ってきたんだね。

よく我慢したね。もう大丈夫だからね…!

と、心の中で叫んでいます。

 

小2の5月。お母さんはさらに精神的に不安定になってしまう

このころ、お母さんは頑張りすぎにより、メンタルや体調を崩し、寝込み、元に戻ったかなと思ったらまた寝込み…をくりかえしていました。「もう、入院したい…」というくらい落ち込みます。

 

「1週間くらい、静かなところでゆっくり過ごしたいです…」

「主人と話が全然かみ合わないし、主人が息子とかかわるたびにバランスが崩れる。カサンドラっぽくなっている。

自分を殺していたことが爆発してしまいました…。

息子が私に対して感情的になって怒ってくることに、苦しくなっています。

子供の頃の私がひょこっとでてきて、苦しくなります。

私は子供の頃、他人に口だされたり、感情になられたり、怒られることがすごく苦手でした。

この子に同じつらさを味合わせたくない…と思ってきました。

私は子供の頃、たくさん怒られて、感情をぶつけられて、無視される経験をしていて…

この子の特性的にも、そういうことはぜったいやったらだめなんだと思うのに、「そういう」かかわりをしてしまう私がいます。

ただ…自分の感情的になることを許してあげないといけないなとも思いました。

ため込んでいるうちに、爆弾がでかくなっていって、気が付けば投下していて…

私には子育てが向いてない。逃げ出したい、しばらく1人で遠くに行きたい、と思ったり。ぐちゃぐちゃな気持ちでした。」

と、ずっとポジティブでいようといたお母さんの反動が、このようなかたちであらわれていました。

 

このころは、「きっとまたいい波がやってくる。今お母さんは、お子さんの暴言が多い時期に振り回されて、落ち込んでしんどいなと思ってるけど、もう少し耐えたらまたお子さんの性格上落ち着くはず。これまでも、そういうことを繰り返してきましたよね。落ちては浮上するということを繰り返してきていたから、今回も大丈夫ですからね」ということをよくお話していました。

 

小2の7月。フリースクールの利用がふえる

何度も落ちて上がってを繰り返していたのですが、ちょっとずつ、細々と利用していたフリースクールがお子さんにとっての居場所になっていきます。

最初はメンターさんとのオンライン面談もドタキャンがあったり、ほかのお子さんとのオンライン上の交流もいやがっていたお子さんでしたが、メンターさんのことを信頼しだし、「メンターさんと直接会って話してみたい」という発言が出てきました。

このころから、ちょっとずつ、外食ができるようになったり、浮き沈みは激しかったですが、お子さんが人との交流を求めるようになっていきます。

この様子を見ていて、私はつくづく、人というのは環境次第で伸びるし、不安定にもなるよなぁ…と思っていました。

どんなにメンタルが強い人でも、四面楚歌だったら、簡単に心が折れてしまうということはあり得る。

子どもにとって、自分が何を言っても受け入れてもらえる安心できるような環境であれば、その子はぐんぐん伸びる。

様々な支援をしてきて、恐怖で支配するようなかかわりよりも、お子さんをちゃんとひとりの人間として扱い、尊重し、ていねいにかかわれる場に身をおけた子は、自ら前に進んでいったということが多かったからです。

 

お母さんは、ずっと、「きっといつか、毎日コツコツ子どもとのかかわりを意識して積み重ねていけば、この子は伸びて自立していけるはず」と、信じていました。

不安に飲まれそうになりながら、ずっと信じようとして、頑張ってきていました。

その積み重ねが、このころから少しずつ、少しずつ、身をむすんでいきます。

 

「時々、息子がお母さん好き。やさしいな…とポロっと言ってくれるようになったんです…!

暴言ばかりだったのに…。すごく励みになります。

かと思えば、たまに以前のことを思い出して「お母さん学校にぼくをおいてったの思い出した。意地悪」と責められることもありますが…

でも、前ほど私も悲しくならず、「あのときお母さんひどかったね。悲しかったね。もうしないからね」で終わりにできるようになってきました…!

山下先生が私を支えてくれたおかげで、積み重ねることができています」

…と、嬉しそうにお話してくださることがふえていきました。

 

小2の9月。勇気を出して、色んなところとつながってみよう

市の親の会にも参加してみようと勇気を出して参加したり、お仕事をされはじめたお母さん。

「やっと誰かと話をしてみようと思えるようになりました」

「お子さんの不登校に悩む親が、同じ市でもこんなにいるんだ…!と驚きでした。

でもこれ、小学校低学年の親御さんはなかなか参加できないんだろうなと思っていて…。

うちは息子がお留守番できるようになりましたけど、分離不安が強かった時はこんなふうに家をあけられなかったです。

きっと、あの頃の私のように、誰かとつながりたいのにつながれないで苦しんでいるお母さんって多いんだろうなって…」

と、そんなことをお話しされていました。

 

ここからよい循環に入っていきます。

お母さんが外でお仕事をしたり、自分の生活圏内で頼れる先を作ることが増えていき、お母さんに心の余裕ができはじめます。

息子さんはこのあたりから、オンラインフリースクール内で仲の良いお友達ができて、そのお友達と楽しく遊べるようになりました。

お母さんは、「学校に行かないことで同年代の子と遊んだり接することができなくなるのが心配」とずっとお話しされていたのですが、

年上のお子さんとも楽しくやりとりができるし、フリースクール内でイベントを企画してみたり、年上の子に注意されたり、同い年の子にちゃんと自分の意見を言ったりと、オンラインの中でも協調性をはぐくむ経験をつめるようになっていました。

 

「思いっきり、いまの彼をサポートしたいです。

学校環境がどうしても特性的に合わなくて、どこにも居場所がなくて、傷ついていた息子が、こうやってオンラインの中でだけど、居場所をつくれた。仲間ができた。一番しんどい時期から振り返ると、すごくうれしいです。

学校のような場で集団生活を経験できていないことが、将来彼の人生にどう影響するのかは怖いですけれど…

でも、本人がいま、心が安定して、楽しい!と思える毎日なら、それを守ってあげたい。

あの子はきっと、キラキラした目で小学校に入学したとき、こんなふうに仲間をつくって、自分らしく過ごすことを夢見ていたはずです。

それがうまくいかなくて、学校に行けない劣等感をもったり、自分を責めたりして、毎日苦しそうでした。

自分を認められないから、荒れて、私に暴言をたくさんはいていたと思います。

でも今は、ほぼ丸1年半人とかかわれなくてさみしい思いをしてきた分を取り戻そうとしているように見える。

一生懸命、オンライン上の仲間とつながって、楽しく過ごしたいと思っている彼を、守ってあげたいです。

こういうふうに自然に思えるようになったんだなと思いました。

あなたがうれしそうなのがうれしいよという私の様子に、息子も安心しているように見えます。

何よりうれしいのが、ずっと続いてた夜の夜驚症がなくなったことです。

学校に行きだしてから、ほぼ毎晩うなされて、暴れて、親子ともに朝までぐっすり眠れる日がありませんでした。

それがなくなって、すごくうれしいです。

完全に寝かしつけなしで、ひとりで寝られるし、朝も自分で起きてこれる。

起きたら勝手に違う部屋に移動して、朝からオンラインでつながり活動してる。

この短期間でこんなにも成長を実感できるのうれしいです。

気持ちよさそうな寝顔みれるのがうれしい。ご飯食べてくれるとうれしい。うれしいことはたくさんある。」

…と、お母さんは幸せをかみしめていました。

 

ちょっと旅に出てきます

このように安定が続き、お母さん自身、私の支援以外にも依存先を作るようになっていきました。

身近なところで、しかも生活圏内で頼れる先があるのが一番だと私は思っていて、「この前こんな会に参加して…」とお話してくださることがすごくうれしかったです。

 

そして自然と、お母さんも私も、一度カウンセリングを離れてみて、地域の人や同じ不登校のお子さんを育てているママさんたちとつながりながらやってみるのがよさそうという話になりました。

 

「不確実なことをどうなるかわからないのに、ずっと焦りと不安でいっぱいでした。

 不安が大きくなったら 小さな喜び見つけるようにする…カウンセリングを通じて、そういう思考ができるようになってきました。

先生と過ごした時間は、密度がすごく濃かったです。

ここまでわかってくれる人との出会いは、初めてです。

こんな貴重な経験で、すごく意味があった期間だった。

私の経験したことを、うちの過程の経験談がもし役立つなら、シェアしてください。

少しでも、前を向けるヒントになったらうれしいです。

私は詳細に書いてくれてもいいので…

低学年の子が不登校を選択するのはとても勇気がいること。発達障害の子は、学校環境が合わないことは多いです。

支援級も合わない。市の教育センターも無理。

毎日通うフリースクールもきつい。

じゃあ、どうしたらいいの?ってなってる家庭はたくさんあると思うので…。」と。

 

発達障害のお子さんの特性はそれぞれですが、グレーではなく診断がついたお子さんの話を聞いていると、

支援級に無理に行かせようとしてもダメ。

母子登校をしても先生や生徒を見たら逃げ出してしまったり怯えてしまってダメ。

無理をさせると壁に頭を打ち付けたり、自傷行為がはじまってダメ。

ほかの居場所も探し求めてあちこち行くけど、相性が合わなくてダメ。

…だから、親が子供を家でみるしかない。

離れられないから働けないし、在宅勤務をしようとしても、母が働くと子どもが不安定になって辞めざるを得なくなってしまう。

家で勉強をさせようにも、毎回バトルになってしまう。

無理に勉強をさせようとしたら殴られて無理。

ゲームや動画をとめさせようにも、体が大きくなるにつれて抵抗が強くなってどうしても止められない。

…となり、結果、親と子が24時間ずっと一緒にいて、親は自立や生活リズムを意識したかかわりをしたいのに、うまくできない…勉強もどんどん遅れてしまって、焦りと不安だけが強くなるというケースが多いです。

 

今回ご紹介したご家庭は、たまたまお子さんにとって相性のよいメンターさんとの出会いや、オンライン上の仲間がみつかったからこそ状況がよくなっていきましたが、このフリースクールさんとの出会いの前に、このお母さんもまた、たくさんの場を探したりチャレンジしてはうまくいかないということを嫌というほど繰り返してきていました。

だからこそ、「あきらめないで、一緒にがんばろう」という気持ちがこのお母さんにはあり、このようにブログでの公開をしてよいとお話してくださいました。

 

最後に。支援を離れるけれど…

最後に、お母さんからいただいた言葉を載せさせていただきます。

支援を離れるにあたり、「卒業という言葉は少し寂しいので、ひとり旅に行ってくるお母さん」と「それを見送る私」という表現をしました。

そんなひとり旅に出ていかれるお母さんからのメッセージです。↓

昨日はお電話をありがとうございました。寂しくて電話を切った後も泣いてしまいました。

 山下先生の支援を受けるようになってから今日までの私は、自分の心の成長を人生で最も感じられた期間だったかもしれないです。

子供のことも自分のことも、ここまで丁寧に向き合う機会が持てたことが嬉しいです。

息子と会話がある時もない時も、足音や声を愛おしいと感じられて、私のそばで元気に生きていてくれて、日々小さな変化や成長に気づけることは親になってこんな幸せなことはないなと思えるようになりました。

こういう眼差しを向けられるようになったのは、山下先生にコーチしてもらいながら、心の筋トレ(!?)を毎日続けてきた成果かなと思います! 過去に親子でつまづいた傷は、今でも思い出すとチクっとしますが、これから先どんなことがあってもなんとか乗り越えられるんだ、私にはなんとかできる力と生命力がある、という自信に変わったような気がしています。

山下先生にメンターとして伴走してもらいながら修行の旅をしてきましたが、明日からは迷った時は頭の中にミニ山下先生を召喚して!?ひとり旅に出てこようと思います

支援が始まってから、いつもそばにいてくれている感覚で安心して過ごせました。こんなに安心できて近くに感じられるカウンセラーさんはいないのではないかと思います。出会えたことが幸せで、感謝の言葉が見つかりません。本当にありがとうございました

 

今回は、支援→復学ではなく、居場所をみつけて、親子関係がよくなり、親子の絆が深まったケースをご紹介しました。

できれば私は、このように悩まれるご家庭にとってよりたくさんの選択肢がある世の中になってほしいなと思っています。

学校に行けなくなった子の居場所を探そうとしたとき、フリースクールを探したり、転校先を探したり、習い事を探したり、問い合わせたり、見学したり、それに伴う出費の負担など、全部親がやらないといけなくなります。

分離不安が強いケースだと、子どもが寝静まってから眠い目をこすりながらそういったことを夜な夜な行わないといけないということもあります。

「しょせんは他人事なんだな」という絶望感を持ち、孤独感をつよめ、お母さんは追い詰められてお子さんに対して精神的に追い詰めるようなことを言ってしまうというのも決して珍しくはないはずです。

 

そういう家庭を、できる限りへらしていきたい。

家庭それぞれが、安心して未来に向かって歩いていける世の中になってほしい…そんなことを思いながら、支援をしています。

 

それでは、今回はこれで終わりたいと思います。

さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!

まいどん先生(公認心理師)

 

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