意外とやりがちな「もの扱い」

意外とやりがちな「もの扱い」

ブログをお読みいただきありがとうございます!

娘とやりとりをしていて、自分が疲れていて余裕がない時、「ああ~💦絶対あかん表情してる…!」と自覚があるのに、くら~い顔をしたり、ため息をついたりしてしまい…。

私が疲れていようが余裕がなかろうが、そんなもん1歳児には関係ないしわからなくて当然なのに、「私だって大変やのに!」とか思ってしまう。「なんて器の小ささだ!」と思い反省しては時々やってしまう山下です。

 

母子登校相談あるある

母子登校相談で、内容を見ていると、どうも「子どもを物扱い」しているかたをみかけることがあります。

 

「いつかひとりで行ってほしい。母子登校により、この子が自分に自信を持てなくなっているのが親として心配なんです。」

…って、聞こえはいいんだけど、よくよく話を聞いてみたら、「頼むからもう私に迷惑かけないで」って思ってる感じがあるんですよね。

学校から帰ったら、「お母さん家のことしたいの。あんたのために時間割いて付き添って、すごい疲れてる!」とイライラして、子どもを近づけさせないようにしたり。

でも、そんな態度をとられると子どもは不安になって、「ママ、ママ…」になっちゃう。

エネルギーを振り絞ってなんとか優しいママをやるけど、心では拒絶してるから顔は怖い。雰囲気も怖い。

子どもの扱いがどんどん雑になって、「はやくひとりになりたい」が本当の願いになってたり。

…で、これ、お母さんが悪いって言いたいんじゃなくて、ある意味お母さんが環境に適応しちゃってるんですよね。

 

まともに自分の感情を見つめたり、子どもの気持ちを見つめて向き合ってってしたら、崩壊しちゃうからです。

ポケットティッシュに感情移入をしないように、自分の感情にも入り込まない。

つまり、自分を「物扱い」する。

 

感情をみないようにして、自分に鈍感になって、自分を物扱いして、子どもを物扱いすることで、なんとか自分を保ってるんですよね。

ミクルミルは「未来をみる」という意味を込めているのですが、私が母子登校や不登校の深刻化を問題視するのは、いつかその子が大人になったときに「実家と距離とってる」「親がすきじゃない」となる可能性があるからです。

絞り出した優しさと反動の怒りで、二重人格的になったお母さんとの生活を長く続けると、間違いなく親子ともに心を壊します。

わたしは、そんな親子を増やしたくないと思っています。

 

介護と「もの扱い」

認知症の人は人からちゃんと人として見られないと自分は存在しないと感じて自分の殻に閉じこもってしまうといいます。

不思議と車椅子に乗せられた人は「物扱い」されたり、 意志疎通が難しくなってくると「物扱い」されてしまうのだと。

 

この話を聞くと、

「自分もいつかはそんなふうに物扱いされる日がくるのかもしれない。 自分がどこにいて、何をされているのかわからない。

許可なくからだを拭かれたり、口腔ケアをされるかもしれない。

そんなことがあったら、きっと私は怒ってしまう…いや、私のことだから、ふさぎ込んでしまうかもしれないなぁ。」と思う私です。

 

介護の世界では、人が足りない中で利用者さんを見なければならない現場もあるようで、一人ひとりに時間をかけられなくて、「作業」になってしまうこともあるようで。 うーん…仕方ないよなぁ…(よくないけど)

うまくまわしていくには、効率を求めてしまうのもわかるなぁ…

そう思いつつ、これから自分の人生の幕がおりようとしている最後の時間が「物扱い」になるというのはなんとも寂しい思いになる… そんなのつらいよ、悲しいよ、寂しいよと思う。

 

そしてこんなことを考えてみていると、わたしは支援中の子どもたちのことも同時に浮かんできて。

 

「子どもたちが、もしこんなふうに物扱いされていたとしたら…?」

 

子どもなんだからまだわかんないでしょとか、大人の感情や価値観を押しつけて物扱いされてしまうと、

「自分は大事にされてない」とか、「存在しない」と感じて自分の殻に閉じこもってしまう…

これから大人になり、社会に出て行く子どもたちにとって、子ども時代は一瞬なわけで、 その短い期間、多感な時期に、物扱いされて殻に閉じこもってしまったら…。

 

私が関わってきた家庭では、そうやって、殻に閉じこもったまま大人になって親になった親御さんが多かった。

パートナーとも、子どもとも、早々に分かり合うことを諦めて、逃げてしまう… そして家族みんなが、都合のよいときだけやりとりして、だれかがつらいと感じる時に支え合いができない。

そういう家庭を多く見てきました。

そんな家庭が、家族がちゃんと向き合いあって支え合うには、相手をちゃんと人として尊重し、リスペクトすることだと思っています。

 

実際そうやって変わろうと努力をして、大きく変わった家庭をたくさん見てきた。

うまくいってない家庭は、互いの目を見て話さないとか、目線をあわさないってことも多い。

他人の方が目を合わせてるよね?ってくらい、会話はしてる。顔は時々みてしゃべってる。

でも言われてみたら目をあわせてない、視線をあわせてないわってことがある。

目をみないってことは反応をみようとしてないってことでもある。

 

どうしても私たちは忙しいとつい相手の反応を待たないでやりとりしてしまいがちだけど、ちゃんと相手をリスペクトする。

おじいちゃんおばあちゃんだからだとか、子どもだとか、そういうのは関係ない。

そういうところからだと思う。

 

…だから私は、1歳児の娘にも、子どもだから、わからないから…と甘えないように頑張りたいなと思う…というお話でした。

 

それでは、今回はこれで終わりたいと思います。

さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!

まいどん先生(公認心理師)

 

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