淡路島のたこせんべいの里

 

淡路島のたこせんべいの里

ブログをお読みいただきありがとうございます。

毎朝1歳の娘を保育園に送るために格闘しまくっている山下です。

朝はみなさんから「たすけて~」LINEがくる時間でもあるので、頭の中ではいつも天国と地獄が流れています。

娘の登園準備をしながら、返事をして、準備をしながら、返事をして…

時々、娘に話しかけようとしている言葉をLINEに打ち込み、「…はっ!違う違う…!」となっています。

もしも朝のLINEのお返事が「おむつかえよう」とか「お水のんで」とかになってたらごめんなさい。許してください。

 

今回は、物事の見方次第で相手を肯定的にも批判的にも捉えることができるというお話を書いてみたいと思います。

 

「めっちゃ食うやん」

少し前に、淡路島に旅行に行った時のこと。

淡路島のたこせんべいの里というところに向かいました。

 

なんと売ってるせんべい全種類を試食できる!という太っ腹なお店で、

試食コーナーでお店のひとからティッシュを渡されて、全種類の試食用せんべいがはいった入れ物からたべたいせんべいを好きなだけティッシュに乗っけていって、「ここでせんべい食べていいよスペース」についたら、乗っけたおせんべいを食べていいシステム。

一列になって、20種類以上あるだろうせんべいの箱の中から、食べたいせんべいをとっていきます。ずっと行列ができていました。

ただ、正直、最後にせんべいを食べてよいスペースにたどり着いたときには、もうどれがどれかわからん。覚えてるのは最初と最後だけ。(心理学でなんとか効果といわれるやつ)

 

で、わたしたちの前に20代の女性がめちゃくちゃせんべいをティッシュにのっけていたんですね。

 

「ちょいとお姉さん、その量、店で売ってるせんべいの1袋ぶんくらいありまっせ!」

とツッコミたいくらい、ガンガンせんべいを乗っけていた。一種類につき最低3枚は乗っけていただろう。

 

はじめはそんなお姉さんの様子にびっくりした私。

けど、そのお姉さん、観察していたら(するな)ちらちらとわたしたちや周りのひとの表情をみながらせんべいをティッシュにのっけてくんですよね。

昔のわたしなら、きっと
「おいおい。とりすぎやろ。周りの迷惑考えなはれ。そんだけ食うならせめて商品いっぱい買わなあかんね」

…と思ってただろうと思う。

 

相手の行動理由を知ろうとするということ

あとで主人と車に乗りながら、そのお姉さんの話になった。

私「あのお姉さん、お腹いっぱいになったかなぁ」
夫「ははは。そうやね。それにしても、おせんべいを取る際中、ひとの視線をすごく気にしてたね」
私「あのお姉さんは、生きづらいんかなぁ…」
夫「そうかもしれん」
私「ソワソワしている様子をみるに、何となくよくないことしてるみたいな感覚があったんやろか」
夫「どうなんやろな。どんだけ食べたらいいかわからへんのかもしれん。

とにかく、全種類とらなあかんって思ってるとか、周りをキョロキョロ見て適量がどんなもんなんかわからず困ってたんかもな。

そういえば、昔自立支援をしているグループホームの施設長が、こんな話してたわ。

そこに入所した女性が1ヶ月、ずっとカップラーメンを食べてたらしくてな。

職員は全員身体にわるいから、違うの食べたらって言い続けたらしい。

でも、その女性はずっとカップラーメンを食べ続けてた。

所長だけがカップラーメンを食べるのをやめさせなかったらしいねん。

で、あるときその所長が、なんで毎日カップラーメン食べてんの?て聞いたらな、その女性が、

『3分まったら、カチカチだったものが食べ物に変わってる。その3分間がワクワクして、楽しい。だから、毎日そのワクワクを体験したくてカップラーメンを食べてた』って。

人にはそんなふうに、行動に理由があるよな。

そこをわかろうとしないであのひとおかしいってレッテル貼りするのは、あかんよな」

レッテルを貼ってしまったらそれ以外の見方ができなくなってしまう

この話を聞いていて、支援や子育てにおいても大事なことだよなと思ったんですね。

私たちはつい、「あの人はこうだ」とか「あの子はこういう性格だ」とか、「判断」したがるじゃないですか。

 

「あの人はね~。言い方はきついけど、愛はあるんよ」というような内容はいいけれど、

「これができないということは発達障害に違いない」とか、

「こういう考えができないということは集団生活を送ることができないに違いない」とか、

「学校に行けないならどこ行ってもだめ」とか、

そういう否定的なとらえ方はいかがなものだろうか…と私は思います。

 

先ほどの自立支援の話で言うと、「毎日カップラーメンを食べるなんておかしいでしょ」という職員の価値観により、

「そんなの変だからやめなさい」と伝えるのは簡単だと思うんです。(相手が従うかどうかはさておき)

だけど、「どうして毎日カップラーメンを食べたがるのか?」「いつまで食べ続けるのか?」と考えるのって、ちょっと高度な選択だなと思うんです。

自分たちが「さすがに毎日食べたら体に良くない」と思っていることがいかに正しいかを理解させるために本人の意思に反して「こうしろ」「ああしろ」と言うと、相手の考えがわからないままです。

 

「どうしてカップラーメンなの?」

「なぜ毎日食べてるの?」

「この人が見ている世界はどんな世界?」

…と想像をして、理解しようとする。質問も投げかけてみて、わかろうとする。

 

この行動をとることで、ただ「食べるのをやめろ」から、「なるほど。そんな理由があったんだね。」と肯定的な反応ができる。

そうすると、相手もなんとなく、自分のことをわかろうとしてくれたと嬉しくなるかもしれませんよね。

 

まとめ

こんなふうに、親からすれば「なんで?」「どうして??」「理解できない」ということだらけの子どもの行動も、視点を変えれば、

「私の価値観とは異なるけれど、本人なりに理由があったんだね」

と考えることができると思うんですね。

 

すると、これまでとげとげしい言い方しかできなかったのが、柔らかく、優しくなれると思います。

子どもって、そういう変化には敏感なんです。

 

こういうかかわりが、「共感」「理解」なのであり、テクニックでは補えない、しかし大事な考えだよなと思う今日この頃です。

 

それでは、今回はこのへんで終わりたいとおもいます。最後までお読みいただきありがとうございます。

また次回のブログにてお会いしましょう 🙂

まいどん先生(公認心理師)

 

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