母子登校の付き添いは「迷惑」なのか。登校班に入れない子の奥で起きていること
ブログをお読みいただきありがとうございます。公認心理師のやましたです。
母子登校が続いているお母さんから、よくこんな相談を受けます。
「朝、登校班に迷惑をかけている気がします」
「うちの子だけ付き添いが必要で、申し訳なくなります」
「他の子は普通に行けているのに、どうしてうちの子だけ……と思ってしまいます」
「付き添いをやめたいけれど、やめたら学校に行けなくなりそうで怖いです」
母子登校という言葉だけを見ると、「お母さんが子どもに付き添って学校へ行くこと」となりますが、実際に母子登校を経験しているお母さんにとって、そんな単純な話ではないですよね。
朝の時間を奪われること。
仕事や家事の段取りが崩れること。
下の子の準備が後回しになること。
登校班の集合時間に間に合わないこと。
他の保護者や先生にどう見られているか気になること。
「迷惑をかけているのではないか」と、毎朝胸が重くなること。
…そして何よりつらいのは、子どもを責めたいわけではないのに、だんだん心の中に怒りや疲れがたまっていくことです。
「どうして普通に行けないの?」
「なんで毎朝こうなるの?」
「私が付き添わないと動けないの?」
「登校班にも迷惑をかけているのに、本人はわかっているの?」
そう思ってしまう自分にも傷つきませんか。優しくかかわってあげたいのに、できない。なんでって。
母子登校の苦しさは、学校まで歩く距離の問題でもないですよね。
本当の苦しさは、毎朝、お母さんの心の中で「子どもを支えたい気持ち」と「もう限界だという気持ち」がぶつかり続けることにあります。
そして、その苦しさを周囲に話しても、なかなか伝わりません。
「しばらく付き添ってあげれば?」
「無理しなくていいんじゃない?」
「お母さんが不安だから子どもも不安になるんじゃない?」
「少しずつ離れていけばいいんじゃない?」
どれも間違いではないのかもしれません。
けれど、母子登校の渦中にいるお母さんからすれば、「そんな簡単な話ではない」のです。
登校班に入る。
集合場所まで行く。
お母さんが少し離れる。
校門まで行く。
教室まで行く。
先生に引き渡す。
帰るタイミングを探る。
ひとつひとつの場面に、子どもの不安、怒り、沈黙、抵抗、確認、甘え、親への試し行動が重なっています。
だから母子登校は、「付き添いをやめれば解決する」という話ではありません。
むしろ、付き添いが必要になっている背景に何があるのかを見ないまま、形だけ離れようとすると、親子関係がさらにこじれることがあります。
👇前回の漫画解説シリーズはこちら
母子登校の子は、ただ甘えているのではない

母子登校が続くと、お母さんはどうしても思ってしまいます。
「これは甘やかしなのかな」
「私が手を出しすぎたのかな」
「付き添いを続けたから、自分で行けない子にしてしまったのかな」
特に、登校班の子たちが自分たちだけで歩いている姿を見ると、その気持ちは強くなります。
同じ年齢の子たちは、朝になると集合場所に行き、登校班で学校へ向かう。
でも、自分の子はお母さんがいないと動けない。
少しでも予定が変わると固まる。
「どうしたいの?」と聞いても答えない。
こちらが提案すると「うーん」と言う。
でも放っておくと動かない。
急かすと崩れる。
待っていると時間だけが過ぎる。
この状態を毎日見ていると、お母さんはどうしても「この子は自分で考える力が弱いのではないか」「私が決めすぎてきたのではないか」と感じます。
もちろん、そういう側面がある場合もあります。
けれど、ここで大事なのは、「甘えているかどうか」だけで見ないことです。
母子登校の子の中には、お母さんの顔色や反応を非常によく見ている子がいます。
お母さんが何を望んでいるのか。
お母さんがどの答えを正解だと思っているのか。
お母さんが怒らない答えはどれなのか。
お母さんが安心する言葉は何なのか。
そういうことを、本人なりに必死に探している。
一見すると、ぼーっとしているように見えるかもしれません。
何も考えていないように見えるかもしれません。
「どうしたいの?」と聞いても答えないので、親からするとイライラするかもしれません。
でも、子どものこころのなかでは、こんなことが起きている場合があります。
「Aって言ったらママ怒るかな」
「Bって言ったら、早くしてって言われるかな」
「行きたくないって言ったら困った顔をするかな」
「行くって言ったのに行けなかったら、またがっかりされるかな」
つまり、子どもは自分の気持ちを探しているようでいて、実はお母さんの中にある「正解」を探している場合があるということです、
これは子どもが悪いという話でも、お母さんが悪いという話でもなく。
ただ、親子の関係が長く密着していると、子どもが自分の言葉を使う前に、お母さんが察してくれることがあります。
「喉が渇いたのかな」
「眠いのかな」
「この場所が嫌なのかな」
「先生が怖かったのかな」
「登校班が苦手なのかな」
「今日は給食が嫌なのかな」
「友達とのことが気になっているのかな」
お母さんの観察力が高いほど、子どもは困った顔をすれば、ある程度お母さんが教科書のように答えを出してくれます。
これは、お母さんが必死にお子さんを支えてきた証でもありますが、でもその一方で、子どもが「自分の言葉で言う」機会が少なくなっていくこともあるので、ここが、母子登校の難しいところだなと思います。
付き添いが必要になったから甘やかしたのではないし、むしろ、お母さんはずっと頑張ってきた。
けれど、その頑張り方が長く続きすぎると、子どもは「自分で感じる」「自分で選ぶ」「自分の言葉で伝える」よりも、「お母さんに正解を出してもらう」ことに慣れてしまうことがあります。

「迷惑をかけないように」が、親子を追い詰める
母子登校のお母さんを追い詰める言葉のひとつが、「迷惑」です。
登校班に迷惑をかけている。
先生に迷惑をかけている。
仕事先に迷惑をかけている。
下の子に迷惑をかけている。
夫に迷惑をかけている。
他の保護者に迷惑をかけている。
母子登校は、お母さんの生活全体を巻き込みますよね。
朝、登校班の集合時間に遅れそうになる。
子どもが玄関で固まる。
「先に行ってください」と連絡する。
そのたびに胸が痛む。
次の日こそはと思うけれど、また同じことが起きる。
集合場所に行けたとしても、子どもが動けない。
お母さんが付き添うことで、登校班の流れが乱れるように感じる。
周囲の目が気になる。
この「迷惑をかけている」という感覚は、かなり強いストレスになっているはずです。
そして、お母さんはだんだん、子どもに対して優しく接する余裕を失っていきます。
「早くして」
「みんな待ってるよ」
「登校班に迷惑でしょ」
「行くの?行かないの?」
「どうするの?」
「ちゃんと言って」
本当は責めたいわけではない。
でも、時間がない。
周りの目もある。
朝の段取りもある。
仕事もある。
登校班のことも気になる。
だから、言葉が強くなってしまいます。
すると子どもは、ますます動かなくなっていきます。
子どもからすれば、「自分が迷惑をかけている」と感じるほど、余計に動けなくなることがあります。
「行かないといけない」
「でも怖い」
「でも行けないとママが困る」
「でも行こうとすると体が動かない」
「でも言葉にすると怒られそう」
「でも黙っていても怒られる」
この状態になると、子どもは登校班に入る以前に、朝そのものが怖くなります。
登校班が怖いのか。
学校が怖いのか。
先生が怖いのか。
お母さんが怒るのが怖いのか。
自分でもわからなくなっていきます。
そしてお母さんもまた、「何が原因なのかわからない」となり、どんどん暗闇に沈んでいく感覚をもちます。
「どうしたいの?」と聞いても、答えられない子がいる
母子登校の支援で、お母さんがよく言う言葉があります。
「本人の気持ちを聞こうと思って、『どうしたいの?』と聞いているんです」
「でも、答えないんです」
「何を考えているかわからなくて、結局こちらが決めるしかなくなります」
親としては、子どもの意思を尊重したい。
無理やり連れていきたくない。
だから、「どうしたい?」と聞く。
けれど、子どもにとって「どうしたい?」は、意外と難しい質問です。
特に母子登校が続いている子にとっては、
「学校に行きたいか、行きたくないか」
「登校班で行くか、お母さんと行くか」
「教室に入るか、保健室に行くか」
「今日は何時間目までいるか」
「付き添いをどこまでにするか」
こうした質問に答えるのって、なかなか大変です。母子登校をしているケースは大体は低学年~中学年なので、そもそもこれくらいの年齢の子に、自分で考えて選択して決めるというのはめちゃくちゃハードルが高いはずです。
超運動不足の私がいきなり、一度も歩くことなく10キロ走るくらいハードルが高いです。
そもそも10キロ走る筋力も、持久力もないし、体力や気力もないからです。練習もしていません。だから、いきなり「10キロ走れ」と言われても、なにをどこからどうしていいのかわかりません。やろうと思ったらできるかもしれないけど、できるとしたら根性で乗り切るしかないはずです。
しかも、そういった質問に答えようとする子は「自分の本音」を言っているつもりでも、それが本音なのか、逃げなのか、怖さなのか、お母さんに怒られないための答えなのか、実は自分でもわからないことがあります。
たとえば…↓







このとき、子どもは決して親を困らせたいわけではないはずです。
自分の中に、言葉になる前の感覚しかないから、答えられないのかもしれません。
「行きたくない」けれど、「休みたい」とも言い切れない。
「怖い」けれど、何が怖いのかわからない。
「ママにいてほしい」けれど、それを言うと赤ちゃんみたいで嫌。
「登校班は嫌」だけど、登校班の誰かにいじめられているわけではない。
「学校は嫌」だけど、学校全部が嫌なわけでもない。
こういう曖昧な状態の子に、「どうしたい?」と聞いても、答えられないのは自然なことです。
だからこそ、母子登校の支援では、いきなり子どもに大きな自己決定を求めるよりも、まずは「自分の言葉で小さく言う練習」が必要になります。
「今、体は重い?軽い?」
「玄関までは行けそう?それとも今はむずかしい?」
「登校班が嫌なの?それとも集合場所が嫌なの?」
「ママに決めてほしい?一緒に考えたい?」
「今の気持ちは、怖いに近い?めんどくさいに近い?わからないに近い?」など。
ただし、これも質問攻めにすればいいという話ではないので注意が必要です。相手を理解するために質問をするということが目的です。
子どもにとっては、質問そのものが圧になることもあるので、そこを気にしながら、「子どもの中から言葉を引き出す」ことをやってみるとうまくいく場合があります。
お母さんが正解を当てるゲームではなく、子ども自身が「今の自分はこうかもしれない」と少しずつ言えるようになること。
そのためには、お母さん側も「察しすぎない練習」が必要になります。
お母さんの「察する力」が高すぎると、子どもは自分で言わなくなる
母子登校のお母さんは、子どもをよく見ています。
朝の表情。
声のトーン。
歩き方。
食欲。
ランドセルを背負うタイミング。
靴を履く速さ。
玄関で止まる位置。
登校班の話をしたときの反応。
学校の先生の名前を出したときの顔。
本当に細かく見ています。
それだけ、お母さんは必死です。
でも、ここに落とし穴がありまして、お母さんの観察力が高すぎると、子どもは言葉を出す前に、お母さんが先に意味をつけてくれるようになるということでして…
「今日は眠いんだね」
「昨日疲れたんだね」
「登校班が嫌だったのかな」
「先生に会うのが不安なのかな」
「給食が気になるのかな」
「友達のことかな」
などです。もちろん、自分の気持ちを言葉にすることが難しい年齢の子たちにとって、親が自分の気持ちを代弁するように言ってくれる言葉たちが救いになることもあります。
子どもが「わかってもらえた」と感じることもあります。
けれど、それが続きすぎると、子どもは自分で言葉を探す前に、お母さんの言葉に乗っかることが当たり前になってしまうこともあります。
「そう」
「うん」
「たぶん」
「わからない」
それで会話が終わってしまう。
するとお母さんは、「やっぱり私が考えないといけない」と思う。
子どもは、「ママが考えてくれる」と思う。
またお母さんが背負う。
また子どもは言わなくなる。
この循環が、母子登校を長引かせることがあります。
お母さんが急に
「もう知らない」
「自分で考えなさい」
「お母さんは付き添わないからね」
…と突き放せばいいというわけでもなく、
「ママには、少し不安そうに見える。でも、違うかもしれない。あきらはどう?」
「ママが決めすぎると、あきらの気持ちが見えなくなるから、今日は一つだけ自分の言葉で言ってみて」
「全部説明しなくていいよ。『いや』『こわい』『わからない』のどれに近い?」
「ママが当てるんじゃなくて、あきらの中にある言葉を一緒に探したい」
このように、お母さんが子どもの代わりに答えを出すのではなく、子どもが自分の中を少し見るための余白をつくることが、母子登校から一人登校へ進むための大事な土台になるケースが多いように思います。
「付き添いを減らす」前に、親子の会話を変える
母子登校の相談では、よく「いつ付き添いをやめるか」「どこまで付き添うか」が話題になります。
登校班の集合場所までにするのか。
校門までにするのか。
昇降口までにするのか。
教室までにするのか。
何分で帰るのか。
何日かけて減らすのか。
もちろん、こうした具体的な段階づけは大切です。
でも、ここだけを急ぐと失敗しやすいんです。
なぜなら、付き添いの距離を減らしても、子どもの中にある「自分で言えない」「自分で決められない」「お母さんの正解を探してしまう」構造が変わっていなければ、別の場所でまた止まるからです。
校門までは行けるようになった。
でも、教室に入れない。
教室には入れるようになった。
でも、お母さんが帰ると泣く。
お母さんが帰れるようになった。
でも、翌朝また玄関で固まる。
登校班に一度入れた。
でも、次の日からまた拒否する。
こういうことは珍しくありません。
母子登校を終わらせるというのは、単にお母さんの体を学校から離すことではなく、子どもの中に、「自分で困れる力」「自分で言える力」「自分で少し耐える力」「相手に伝える力」が育っていくことが大事だとわたしは思います。
そのためには、付き添いを減らす前に、家庭の中の会話を変える必要があります。
たとえば、朝の場面で、子どもが「宿題どうするの?」と聞いてきたとします。
お母さんはすぐに答えたくなります。
「今やりなさい」
「学校で先生に言いなさい」
「昨日やればよかったでしょ」
「どうするの?」
「自分で決めて」
でも、子どもが本当に求めているのは、答えそのものではなく、「困ったときにどう考えたらいいか」の型かもしれません。
そのとき、お母さんが全部決めるのではなく、
「今から全部やるのは難しいね」
「じゃあ、できるところを一つ選ぶ?」
「先生に何て言うか、一文だけ考える?」
「ママが言うんじゃなくて、あきらの言葉にしよう」
「完璧じゃなくていいから、自分で言う練習にしよう」
こうした関わりに変えていくことが必要なケースもあります。
甘やかしでも、つき放しでもなく、子どもが自分の足で立つための、橋渡しのような取り組みです。
母子登校の付き添いも同じで、いきなり「明日から登校班で行きなさい」ではなく、登校班に入るために必要な言葉、困ったときに先生へ伝える言葉、遅れたときにどうするか、朝固まったときにどう立て直すかを、家庭の中で少しずつ練習していくことも大事なのかもしれません。
「優しすぎる」と言われたお母さんの孤独


母子登校のお母さんは、ときに夫や家族から責められることがあります。
「甘やかしすぎなんじゃないの」
「付き添うから行けないんだよ」
「もっと毅然としないと」
「子どもなんて楽な方に流れるんだから」
「登校班で行かせればいいだろう」
「俺らの頃は、行きたくないなんて言ったら怒られて終わりだった」
こう言われると、お母さんは二重に苦しくなりますよね。
自分でも、甘やかしているのではないかと不安。
自分でも、付き添いを続けていいのかわからない。
自分でも、このままではいけないのではないかと思っている。
それなのに、誰かから「お前が甘い」と言われる。お母さんは孤立します。
子どもを守ろうとしてきた。
毎朝、付き添ってきた。
登校班への迷惑も気にしてきた。
先生にも頭を下げてきた。
仕事も調整してきた。
家庭の空気も保とうとしてきた。
それでも、夫からは「甘やかし」と見られる。
学校からは「お母さんが不安なのでは」と見られる。
子どもからは「わかってくれない」と言われる。
自分自身からも「私が悪かったのでは」と責められる。
この状態で、お母さんが爆発してしまうのは、ある意味で自然です。
「私が甘やかしているって言うの?」
「毎日毎日、苦しそうな顔を見ているのは私なんだけど」
「あなたは安全なところから正論を言っているだけでしょ」
「普通になれなんて、どうでもいいことを言わないで」
「私は一人で抱えてきたのに」
単なるヒステリーではありません。
これまで言葉にできなかった孤独が、限界を超えて噴き出したものです。
もちろん、爆発すれば子どもは傷つきます。
夫婦関係もこじれます。
だから爆発していい、という話ではありませんが、でも、「爆発したお母さんが悪い」とだけ見てしまうと、何も見えなくなります。
そこには、長いあいだ支え続け、察し続け、先回りし続け、付き添い続け、迷惑をかけないように頭を下げ続けてきたお母さんの限界があります。
母子登校の支援では、子どもだけを見るのでは足りません。
お母さんの中にたまった孤独、夫婦のズレ、学校との関係、登校班への気遣い、家庭内での役割の偏りまで見ていく必要があります。
「怖い」と言う子に、正論は届かない
母子登校の子どもが「学校が怖い」と言うことがあります。
このとき、大人はつい言いたくなります。
「怖くないよ」
「みんな行ってるよ」
「お化け屋敷じゃないんだから」
「行けばなんとかなるよ」
「頑張ろう」
しかし、子どもが言う「怖い」は、大人が思う怖さとは違うことがあります。
本当に学校そのものが怖い場合もあります。
先生の声が怖い場合もあります。
友達の視線が怖い場合もあります。
登校班の空気が怖い場合もあります。
朝の集合場所で何を言われるかわからないことが怖い場合もあります。
お母さんから離れる瞬間が怖い場合もあります。
また、はっきりした対象があるわけではなく、「なんとなく怖い」という場合もあります。
この「なんとなく怖い」は、大人には伝わりにくい。
だから大人は、「怖いって言えば許されると思っているのでは」「本当は面倒なだけでは」と感じることがあります。
でも、子どもにとっては、その怖さが本物であることが多い。
たとえ大人から見て合理的でなくても、本人の体は反応しています。
お腹が痛くなる。
涙が出る。
足が止まる。
声が出なくなる。
怒り出す。
物に当たる。
布団から出られない。
こういうとき、正論だけでは動きません。
「登校班に迷惑だから行きなさい」
「付き添いは今日で終わり」
「学校は行くもの」
「みんな頑張っている」
これらの言葉が、必要な場面もありますが、子どもの中で「怖い」が大きくなっているときには、その言葉は届きにくいなと思います。
というか、むしろ、「この人には通じない」と感じさせることがあります。
母子登校の子に必要なのは、怖さをすべて肯定して休ませることではありません。
しかし、怖さを否定して押し切ることでもないと思います。
「怖いんだね。じゃあ、今日はどこまでなら行けるか一緒に決めよう」
「怖いのはわかった。でも、怖いから全部やめる、にはしないよ」
「ママは付き添う。でも、あきらの代わりに全部は言わないよ」
「登校班が難しいなら、まず集合場所を見るところから始めよう」
「先生に伝える言葉を一緒に考えよう」
このように、子どもが感じている「怖さ」を認めながら、現実との接点を切らないことも大事な視点かなと思います。
↓こちらは過去に解説用に描いたイラストですが、この図のように、同じところで怖いと感じる対象から逃げるほうが、実は不安が膨らんでしまう例もあります。

「迷惑をかけない子」より、「困ったときに言える子」へ
母子登校で苦しんでいるお母さんは、どうしても「迷惑をかけないように」と考えます。
登校班に迷惑をかけないように。
先生に迷惑をかけないように。
仕事先に迷惑をかけないように。
家族に迷惑をかけないように。
でも、本当に育てたい力は、「迷惑をかけない力」だけでしょうか。
もちろん、周囲への配慮は大切です。
時間を守ることも大切です。
登校班の流れを乱さないことも大切です。
けれど、人は誰でも困ることがあります。
怖くなることがあります。
できない日があります。
遅れる日があります。
助けてもらわないと動けない日があります。
大切なのは、「迷惑を一切かけない子」になることではありません。
困ったときに、自分の状態を言えること。
助けてほしいときに、助けを求められること。
できないときに、できないまま固まるのではなく、次の一手を考えられること。
登校班に入れなかった日も、そこで全部を終わりにしないこと。
お母さんに付き添ってもらったとしても、少しずつ自分の役割を持つこと。
これが、本当の意味での自立に近づく道ではないでしょうか。
母子登校の終わりは、「お母さんがいなくても学校へ行けるようになること」だけではありません。
その先に、子どもが自分の人生の中で困ったとき、「どうせ無理」となるのではなく、「今の自分には何ができるか」を考えられるようになること。
だから、付き添いを減らすことだけを目標にすると、うまくいきません。
付き添いを通して、子どもが何を避けているのか。
登校班という集団に入るとき、何が引っかかるのか。
「迷惑」という言葉がお母さんの心にどれほど刺さっているのか。
家族の中で誰がどの役割を担っているのか。
そこまで見ることで、母子登校は単なる登校問題ではなく、親子関係を立て直す入口になると私は思います。
お母さんが「キレた」ことにも、意味がある

支援の中では、漫画の例のように、お母さんが限界を迎えて怒ってしまった話もよく聞きます。
子どもに強く言ってしまった。
夫に泣きながら怒鳴ってしまった。
「もう無理」と言ってしまった。
「私は毎日見てきたんだ」と爆発してしまった。
そのあと、お母さんは深く落ち込みます。
「あんな言い方をしてしまった」
「また子どもを傷つけた」
「夫にもヒステリックだと思われた」
「結局、私が未熟だからこうなるんだ」
でも、私は、お母さんが怒ったことを単純に「悪いこと」というふうには捉えません。
もちろん、怒りの出し方というものはあるだろうし、子どもを傷つける言葉は減らしていく必要はあると思います。
夫婦でぶつかるにしても、ぶつかり方を変える必要もあるはずです。
けれど、お母さんが怒ったということは、それまで飲み込み続けてきたものがあるということです。
「私は一人で支えてきた」
「誰もわかってくれなかった」
「迷惑をかけないように、ずっと頭を下げてきた」
「子どもの不安も、学校との連絡も、登校班のことも、全部私が抱えてきた」
「それなのに、甘やかしと言われるのはつらい」
この声が、ようやく表に出てきたとも言えます。
家族療法的に見れば、これは家族の中に隠れていた構造が露出した場面です。
お母さんが未熟だから爆発した、というだけではありません。
お母さん一人に負荷が集中していた。
夫が外側から評価する立場になっていた。
子どもが自分の言葉を持てず、お母さんに依存していた。
学校や登校班への気遣いも、お母さんが一人で背負っていた。
その構造が、限界に達して表に出たのです。
だからこそ、ここから変えられることがあります。
「お母さんが悪かった」で終わらせるのではなく、「この爆発は、何が限界だったことを教えてくれているのか」なのだと思います。
母子登校の付き添いを終わらせるには、順番がある
母子登校を終わらせたいと思ったとき、多くの人は「いつ付き添いをやめるか」を考えます。
でも、本当は順番があります。
まず、お母さんが一人で抱えているものを整理すること。
次に、子どもが自分の言葉を出せない構造を見ること。
そのうえで、家庭内の役割を組み直すこと。
そして、登校班や学校との関わりを現実的に調整すること。
最後に、付き添いの距離や時間を少しずつ変えていくこと。
この順番を間違えると、子どもは「見捨てられた」と感じたり、お母さんは「やっぱり無理だった」と感じたりします。
いきなり登校班に戻れなくてもいい。
いきなり一人で校門をくぐれなくてもいい。
いきなり付き添いをゼロにしなくてもいい。
ただし、ずっと同じ付き添いを続けるのではない。
今日の付き添いの中で、子どもが一つ自分で言えたか。
昨日より少しだけ、お母さんが察しすぎずに待てたか。
登校班に入れなくても、次の動きを一緒に考えられたか。
「迷惑だから早くして」ではなく、「困ったときにどう言うか」を練習できたか。
夫婦で責め合うのではなく、役割を分けられたか。
こうした小さな変化が積み重なることで、母子登校は少しずつ形を変えていきやすいですし、実際の支援の中でも、そのようにひとつずつクリアしていって、しぜんな形でひとりでの登校が果たされたケースがとっても多いです、
母子登校で悩むお母さんへ
今、母子登校が続いていて、登校班への迷惑が気になっているお母さん。
毎朝付き添いをしながら、「このままでいいのだろうか」と不安になっているお母さん。
学校には行けているけれど、付き添いがないと「無理」とランドセルを背負ったまま固まってしまう。
登校班に入れない。
「どうしたいの?」と聞いても答えない。
子どものために動いているのに、夫からは甘いと言われる。
先生には様子見と言われる。
自分でも、甘やかしているのか支えているのかわからなくなる。
お母さんの努力不足ではありません。
ただ、今の親子のやり方だけでは、限界が来ている可能性があります。
子どもをもっと厳しくすればいい、という単純な話ではありません。
お母さんがもっと優しくなればいい、という話でもありません。
付き添いをやめればいい、という話でもありません。
ずっと付き添ってあげればいい、という話でもありません。
必要なのは、今の親子の間で何が起きているのかを見立てることなのかもしれません。
子どもは何に困っているのか。
登校班という場面で、何が引っかかっているのか。
「迷惑」という言葉が、お母さんをどれほど追い詰めているのか。
夫婦の間で、どんな役割のズレが起きているのか。
付き添いを減らす前に、どんな会話の練習が必要なのか。
そこを整理すると、母子登校はただの「困った状態」ではなくなります。
親子がもう一度出会い直すための入口になります。
MIKURU・MIRUでは、母子登校や付き添い登校で悩むご家庭に対して、単に「こう声をかけましょう」「明日からこうしましょう」という表面的なアドバイスだけではなく、親子の関係、家族の役割、学校との調整、登校班への不安、お母さんが抱えてきた孤独まで含めて整理していきます。
「うちの場合、何が起きているのか知りたい」
「付き添いをやめたいけれど、どう進めればいいかわからない」
「登校班に迷惑をかけている気がして毎朝つらい」
「子どもにどう聞いても本音が見えない」
「夫と意見が合わず、私だけが悪者になっている気がする」
そう感じている方は、一度ご相談ください。
母子登校は、ただお母さんが頑張れば終わるものではありません。
子どもを突き放せば終わるものでもありません。
大切なのは、今までお母さんが必死に支えてきたものを否定せず、そのうえで、子どもが少しずつ自分の言葉を持ち、自分の足で登校へ向かえるように、親子の関係を組み直していくことだと私は思います。
登校班に入れるかどうか。
付き添いをいつ終えるか。
学校にどこまで行けるか。
これらは大事ですが、でも本当に大事なのは、お子さんがこれから先、困ったときに自分を見失わず、誰かに伝え、支えを借りながらも、自分の人生を少しずつ引き受けていけるようになることではないでしょうか。
母子登校の朝は、苦しいです。付き添いは、消耗します。迷惑をかけている気がして、胸が苦しくなる日もあります。
けれど、その苦しさの中には、親子が変わるための手がかりもあります。
今まで一人で抱えてきたものを、もう一度整理してみてください。
その子が本当に困っていることは何なのか。
お母さんが本当に苦しかったことは何なのか。
そして、これからどんな順番で、付き添いを「終わらせる」のではなく、親子の力に変えていくのか。
もしご興味がありましたら、ぜひ過去のブログなどもお読みいただければ幸いです。
それでは、今回はこれで終わりたいと思います。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!
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