「この子、発達障害かも?」と不安になったときに読んでほしいブログ
ブログをお読みいただきありがとうございます。
最近は当方の支援を過去に支援を受けた方からの紹介でスタートされるかたが増えてきました。
また、この時期はお問い合わせが多くなるのですが、その中で思うことをブログにしてみたいと思います。
はじめに
最近、うちの子が「学校に行きたくない」と言い始めた。
理由を聞いても「わかんない」「疲れた」と言うばかりで、なかなか本音を話してくれない。
「もしかして、発達障害?」「うちの育て方が悪かったのかな?」と、自分を責めてしまう…。
…そんなふうに、毎日ぐるぐると考え込んでしまうことはありませんか?
子どもが不登校や母子登校になると、「何が原因なのか」「どうすれば元に戻るのか」と焦ってしまうものです。
でも、ちょっと立ち止まって、こんな見方もあるんだよ、という話を今日はお届けしたいと思います。
「ぽさ」っていう見方、知っていますか?
最近、私は「〜ぽさ」という言葉をよく使っています。
たとえば、「発達障害っぽさ」「愛着障害っぽさ」というように、
診断ではなくても、“なんとなくそういう傾向がある”という状態を、そっと指すための言葉です。
はっきり決めつけずに、「もしかしたら、そうかもしれないね」という言葉です。
これは、今の時代にとても大事な視点だと思っています。
達障害と愛着障害って、外から見ると似て見えるんですが、中身はまったく違います。
・発達障害は“脳の特性”
・愛着障害は“関係性の履歴”
です。この違いは、関わり方の根本を変えるほどの差です。
発達特性がある子に「スケジュール通りに動いて」と言ってもピンとこないし、 愛着不安がある子に「もっと甘えていいんだよ」って言っても信頼が土台になかったり、「甘えるってどうしたら?」となりうまく伝わりません。
だから、例えば「愛着障害ぽっさ」がある子に、「発達支援」的な関わりをしても響かないんです。
どれだけ環境を整理して、発達障害のグレーっぽさがある子へのかかわりとしてよいとされていることをしても意味がありません。
愛着に課題がある場合は、まず「安心していいよ」「ここにいていいよ」っていう関係性の構築が必要です。
そして、それができたら、不登校や母子登校の悩みがすっと収まるケースがあります。
「ぽさ」とは何か
「ぽさ」とは、「〜っぽい」という言葉が示すように、確定的な診断や定義には至らないけれど、その傾向や要素が見られる状態を指す語でです。
発達障害、愛着障害、情緒の不安定さ、家庭内の対話不全、自己肯定感の欠如…といった、子どもの不登校や社会的な困難の背景にある“なんとなくある”兆しや特徴を、「〜ぽさ」として受け止める語感をもつ言葉です。
この言葉には、以下のような意図を含みながら私はよく使っています。
・グレーゾーンを否定しないためのことば …
診断がある・ないで線引きせず、グラデーションの中にいる子どもを言語化する。
「っぽさ」は、白でも黒でもないその間にある“まだゆれる状態”を肯定する語です。
・決めつけずに関わるための視点 …
「ASDです」「愛着障害です」と言い切ることにはリスクがあります。(そもそもそれを診断できるのは医師のみ)
でも「っぽさがあるね」と語ることで、関係性や環境の見直しを促すことができると考えています。
今すぐ診断名がつかなくてもかかわりを変えることができるし、本人や親が“腑に落ちる”理解と共感を得ることで、関係性が変わっていきます。
ちなみに、私が「愛着形成に課題あり」「愛着障害っぽい」と考える場合、具体的には
・極端に他者の顔色をうかがう
・拒否されることに過敏
・「自分なんて…」という言葉が自然に出てくる
・家ではよく話すのに、学校や外では黙り込む
・担任との相性ひとつで登校状況が大きく左右される
こうした様子を見たとき、「発達障害かも?」という視点だけで見るのではなく、その背後にもしかしたらあるかもしれない「愛着の課題」や「自己肯定感を下げるようなかかわりをしていないか」「家庭の空気感が重くないか」を見ることが大事だと思っています。
焦って「答え」を出さなくてもいい
最近は、ちょっと話を聞いただけで、医師ではないひとから「発達障害かもしれないですね」と言われたり、
SNSでも「このタイプは○○です」みたいに断定的な情報が飛び交っています。
でも、子どもはそんなに単純じゃありません。
安心できる先生に出会っただけで、学校に行けるようになる子もいます。
少しだけ親子の会話が変わるだけで、朝の空気がふわっと軽くなることもあります。
だからこそ、「答えを急がない」という視点がとても大切なんです。
とはいえ、親が「毎朝うんざりしたかかわりをしてしまう」ということが親子関係においてよくないと薄々気づいているので、答えを急ぎたいという意見もあると思います。
よくあるのは、イライラしないように言いたいことを我慢してやりとりをしてみるものの、心理学でいうダブルバインド(二重拘束)といって、子どもが「どちらを選んでもあなたはダメと言われている」と思わせてしまうようなかかわりになり、結果子どもが不安定になったり、親子関係が悪化してしまうという流れです。
「どうする?もうすぐGWだよ?休みが多いと行きにくくなるよ。それでも休むの?」
「決めるのはあなただけど、行かないとずるずる行けなくなるよ。お母さんはどっちでもいいけど」
…と、 親は“決定権を子どもに渡す”つもりでも、それは実質的には「責任の丸投げ」になることがあります。
そして、子どもはその“空気”を敏感に察知して、「どっち選んでも地雷あるやん…」と感じてしまう。
これは愛着的には、「安心安全感がない」状態。逃げ場がない。
子どもにとっての「親のうんざりした表情」は、 「私が私であることを拒否された」という傷になることも多いです。
また、話を聞いていると「家庭では問題ないんです」と思っている家庭ほど、実は親子間ではすれ違っていることもあります。
(「問題があることを、問題だと感じられない感度」の問題だったりする)
例えば、子どもが「疲れた」と言っているのに、親が「そんなことで疲れなんてしないでしょ」「休みたいなんて甘え」と言う。
これは子どもの視点に立って話を聞けていないよくある例なんですが、本人たちは「うちでは会話は成立している。かみ合っている」と思っていて、そこがまた支援をしているうえで難しいなと思うポイントでもあります。
今の社会は、親が疲れてあたりまえ
こう書くと「親のかかわりが悪いからこうなってる」「親のせいでこうなっている」と誤解されやすいと思うのですが、そういうことが言いたいのではなく、むしろお母さんたちは、本当に頑張っていると私は思っています。
でも、毎朝の登校しぶり、子どもへの気づかい、家事に育児に、もういっぱいいっぱい…。
そんななかで「なんでこの子、学校に行けないんだろう?」と自分を責めてしまうこと、ありますよね。
共働きで余裕がなくなる家庭も多いし、専業主婦であっても社会から孤立して「ひとりで全部抱えてる」って感じている人もたくさんいます。
「こんなに頑張っている自分」を少しねぎらってあげて…と言われても、「そんな余裕すらないわ!」となったり…。
はやくしんどい状況から抜けだしたいですよね。でも、同時に、子どものこころの傷も作りたくない。
そういうジレンマが、不登校や母子登校で悩む子へのかかわりをよけいに複雑にさせるんだと思います。
子どもが本当にほしいのは、「判断」じゃなくて「安心」
「今日も休むの?」「明日からは行くって言ったよね?」
そんなふうにたたみかけたくなる気持ちも、すごくよくわかります。
でも、子どもがほんとうに求めているのは、
「どっちにするの?」という決断ではなく、「どうしたら安心できるか」を一緒に考えてくれる大人の存在なんです。
「話だけでも聞かせてくれる?」
「今日は学校でどんなことがあった?」
…と、質問攻めにするのでもなく、興味を持ち、わかろうとするということが大事です。
「発達障害っぽさ」「愛着障害っぽさ」は、白でも黒でもない「途中の色」を大切にする言葉です。
ラベリングしてしまえば、楽になる部分もあるけれど、ラベリングをしたとたん何かが見えなくなることもある。
「この子には、まだ名前のつかない“しんどさ”があるのかもしれない」
そんなふうに見守れる大人が、そばにいてくれるだけで、子どもはずいぶん楽になったりもします。
おわりに
このブログを読んでくださったあなたは、きっとすでに十分に頑張っていて、
それでも「もっと子どもの力になりたい」と思っている優しい人なんだと思います。
見立てには、時間がかかります。
でも、その時間の中にこそ、子どもとあなたの関係を深めるヒントがたくさんあります。
焦らず、決めつけず、やっていきましょう。
最後に、この内容がすべてではないですが、関わりのヒントとして見立ての時に私が考えることを載せておきたいと思います。
もしどうしていいかわからない…という方は、よければLINE登録をされた方にお送りしている「母子登校解消ステップ」を読んでみてください。取り組みの先に、子どもが安心して笑える日が待っているといいな…と願っています。
それでは、今回はこれで終わりたいと思います。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!
まいどん先生(公認心理師)
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