
自立をめざす。家庭の秩序を立て直す支援が機能するとき、何が起きているのか
MIKURU・MIRU代表、公認心理師のやましたです。
わたしは、過去に不登校復学支援・家庭教育支援を行う支援機関で10年間チーフ家庭教育アドバイザーとして活動し、現在は独立し、家庭を支援するカウンセラーとして活動をしています。
支援者としては15年目に突入し、1000件以上の不登校・母子登校のケースに携わってきました。
親の変化が子の行動変容を促す
不登校支援というのは、色々なアアプローチがありますが、そのなかに、「家庭内の秩序や役割の整理を重視する」アプローチ方法があります。
父親・母親・子どもの位置を整理する。
親の反応を一貫させる。
家庭内の境界を明確にする。
子どもが家庭の中心になりすぎている状態を変える。
家庭内の役割や対応の一貫性を整えることで、子どもの行動が変わっていく。
こうした働きかけによって、長く膠着していた家庭の空気が変わり、子どもの行動が変化していくことがあります。
私は、この考え方を学び、実践し、拙著の中でも家族の再編を書いてきました。
だから、このような考えを知らないまま批判したいわけではないし、むしろ、その方法が現実に家族を動かすこともあるということを、力を持っていることを知っているからこそ、その力がどこに届き、どこに届きにくいのかをきちんと考えたいと思っています。
単純に「厳しくしたからうまくいく」「親が変わったから子どもが動く」ともいえません。
むしろ、家庭がひとつの「組織」として再編され、父親・母親・子どもの位置や役割が整理されることで、家の中に秩序が戻り、その中で子どもが新しい振る舞い方を取り始める…というふうにわたしは解釈しています。
家庭が組織として立て直されると、子どもはその中で「合理的」に振る舞い始めることがあります。
これは、急に内面が成熟したというより、その家庭という集団の中で、どう振る舞えばよいかがはっきりしてくるからです。
人は孤立した個人としてだけ生きているのではなく、関係の中で位置を与えられた存在でもあります。
だから、家庭の構造が変われば、子どもの行動も変わる。
この意味で、家庭の組織化を重視する支援が現実に機能することは、十分に理解できます。
ただし、ここで一つ立ち止まりたいことがあります。
家庭が整い、子どもの行動が安定することと、子どもがひとりの存在として深く受け止められていることは、同じではありません。
家族の一員として役割を与えられ、その役割に沿って振る舞えるようになることは、たしかに大切です。
けれど、その子が役割以前にどんな痛みを抱え、何に傷つき、何を意味して学校に行けなくなっているのかという問いは、なお残ります。
家庭の組織化は、たしかに子どもの行動を変えることがあります。
でも、子どもが何に傷つき、何を意味して学校に行けなくなっているのか。そこまで扱うことが、支援には欠かせないと私は考えています。
家庭の再編と合理化の先に。
実際、こうした支援によって家庭が動き出すことはあります。
朝の混乱が減る。
母親だけが抱え込む構造が変わる。
父親が家庭の中に位置を取り戻す。
親の反応のぶれが減る。
子どもが家庭全体の重心であり続ける状態が少しずつ変わる。
その結果、子どもの行動に変化が出る。
家庭の形が変わることもあれば、復学につながることもある。
これは机上の空論・理屈だけではなく、現実に起きることです。私はそういったケースを数多くみてきました。
なぜ、こうした支援がうまくいくのか。
私は、家庭がひとつの集団として再編成されるからだと考えています。
ここで言う「集団」というのは、
誰が親として軸を取り、誰が不安や混乱に飲み込まれすぎないで、
どこまでが親の仕事で、どこからが子どもの課題なのかや、
家庭の中の位置と流れが整理され、家族が家族として機能し直す
…という意味です。
不登校が長引いている家庭では、しばしばこういった点が曖昧になっています。
母親が子どもの状態に強く引きずられている。
父親は評価者のような位置にいて、情緒的なやりとりの中には入りにくい。
親の反応がその場しのぎになり、一貫性が失われている。
子どもの不安や拒否が、そのまま家庭全体の空気を決めてしまう。
こういう状態では、家庭の中に予測可能性がありません。
家族は皆、それぞれにしんどいのに、誰も流れを整えられない。
野球にたとえるなら、守備位置や守備範囲が曖昧なチームに近い状態です。
ショートが追うのか、セカンドが追うのかが決まっていない。
外野が前に出るのか、内野が下がるのかも曖昧。
そうなると、ボールが転がるたびに誰もが迷い、結果として誰も十分に動けなくなります。
家庭の中で予測可能性が失われるというのは、それに近い状態です。
たとえば、朝になると母親だけが必死に声をかける。
父親は少し離れた場所から「甘やかしているからだ」と言う。
子どもの機嫌ひとつで、その日の家庭全体の空気が決まる。
母親は子どもに気を取られ、父親は母親の関わり方にいらだつ。
子どもは子どもで、親の不安と苛立ちの両方を感じながら、ますます動けなくなる。
こういう家庭では、誰か一人が悪いのではなく、家庭全体の流れが不安定になっています。
そこに、役割と境界を整理し、親の対応を統一する働きかけが入ると、家庭の中に筋道が戻ります。
すると、子どもからすると、「次に何が起きるか」が以前よりわかりやすくなります。
親からすると、「どう振る舞うか」が以前よりぶれにくくなります。
家全体としては、緊張が無秩序に流れる状態から、一定の秩序を持った状態へ移っていきます。
そしてこういった変化が、子どもの行動にも影響します。
ここで重要なのは、子どもが急に深い自己理解を得たから動くわけではない、ということです。
そうではなく、家庭という集団の構造が変わることで、その中での振る舞い方が変わるということです。
私はこの点を非常に重要だと考えています。
新しく整えられた家庭という集団の中で、どう振る舞えばよいかがはっきりしてくる。
多くの場合、子どもが動き始めるのはそのためです。
急に精神的に成熟したからでも、急に深い自己理解を得たからでもなく、家庭という集団の構造が変わることで、その中で合理的に振る舞いやすくなるのです。
人は、孤立した個人としてだけ生きているわけではありません。
自分が属している集団の中で、どのような位置を持ち、どのような役割を期待されているかに強く影響を受けます。
家庭も同じです。
家庭の秩序が変われば、子どもの振る舞いも変わる。
それは不思議なことではありません。
この意味で、家庭内の秩序化を重視する支援は、
個人の深い内面そのものを直接変えるというより、集団の構造を整えることで行動を変える力を持っていると言えます。
そしてこの力は、支援場面ではかなり高い効果を表すと思います…というか、結果が出るのを目の当たりにしてきていました。
だから私は、このような支援の価値を否定しません。
ただ、むしろ、ここには見落としてはいけない真理があると思っています。
人は、自分一人の「性格」や「意志」だけで動いているのではなく、
自分が置かれている関係の構造の中で動いている。
家庭が変われば、子どもも変わる。
フロイトとアドラーとフランクル。
ここで、ちょっと回りくどいのですが、心理学者のフロイト・アドラー・フランクルの流れに触れておきたいと思います。
なぜ、私が家庭という小さな集団の構造を変える支援を、「それだけでは足りない」と考えるようになった経緯を説明するのに、この流れがわかりやすいと思うからです。
フロイトは、人間を「快楽を求め、苦痛を避ける存在」として理解しました。
人はつらいものを避け、少しでも安定し、楽になりたいと動く。
家庭でのルールの一貫性のなさや緊張や予測不能さが減り、家庭の中の「しんどさ」が少し軽くなる。
親も子も、以前より過剰な不安にさらされにくくなる。
そういった意味で、家庭の対応やルールの一貫性には、『苦痛の軽減』という力が働くと考えられます。
アドラーは、それに対して、人間を「単に快楽を求める存在」としてだけでは捉えませんでした。
「人は劣等感を乗り越え、所属し、貢献し、位置を持ち、意味のある役割を得ようとする存在でもある。」と説きました。
人間はよりはっきりと「集団の中の存在」として理解されるようになりました。
家庭での対応の一貫性・ルールの一貫性順守などを重視する支援は、このアドラー的な考えに近いところがあると私は解釈しています。
家族の中での位置を明確にする。
親が「親として」かかわる。
子どもが「子どもとして」の位置に戻る。
家庭という集団の中で、誰がどこにいるのかを整理する。
親の立場と子の立場をはっきりとさせる。境界線をしっかり引く。
こういったことを意識して取り組み、子どもが動き始めるのは、家庭という集団の中で、どう振る舞えばよいかがはっきりするからだと私は考えています。
けれど、『夜と霧』で有名なフランクルはさらにその先に進みました。
人間には、快楽重視の部分もある。
力や役割や所属に惹かれて「演じてしまう」「適応してしまう」部分もある。
けれど、人間はそれだけでは説明がつかない。
人は、苦しみの中でもなお、「意味を問う存在」である。
「なぜこんなことが起きたのか」
「それでもどう生きるのか」
「この出来事は自分にとって何だったのか」
そうした意味の次元を抜いて単純化して考えてしまうと、「人間理解」は薄くなってしまう。
…フランクルはそう考えたそうです。
家庭の再編の先に。
私が「家庭のルール・一貫性・親としての在り方・自立」を重視する支援から、親子の絆を重視するように変化していったのは、この流れに少し似ているような気がしています。
家庭の構造を整えると、子どもが変化する。変わる。
役割や境界が明確になると、子どもの行動が変わる。
けれど、苦痛が減ることと、役割を得ることだけでは、根っこからの変化とは言えないのかもしれない。と、私は最近考えるようになりました。
その子が何を意味して、何が背景に・根っこにあって学校に行けなくなっているのか。
親御さんとのこれまでの関係の中で、何を引き受け、何を失い、何を言えなくなっていたのか。
そこまで扱わなければ、十分なこころや関係性の回復には届かない。
私はそう考えるようになりました。
私がよく文章でつかう「傷つき」は、必ずしも虐待やいじめのような、大きな出来事があるというようなことだけを指しているのではありません。暴力など、重大な出来事だけではなく、もっと日常的で、もっと見えにくいものも含んで考えています。たとえば、
怖いという自分の感情を、周りに理解されずに「気にしすぎ」と言われ続けること。
しんどいのに「頑張ればできるでしょ」と返されること。
嫌なのに「それくらい我慢しなさい」と扱われること。
親をがっかりさせないように、元気なふりをすること。
家庭の空気を悪くしないように、言いたいことを飲み込むこと。
学校で何かあっても、「こんなことを言ったら余計に心配させる」と感じて黙ること。
…こうしたことが重なると、子どもは少しずつ、自分の感じ方よりも周りを優先するようになります。
私は、これも立派な傷つきだと考えています。
同じように、「回復」も、ただ学校に戻ることだけを指していません。
それまで「別に」としか言えなかった子が、「それは嫌だ」と言えるようになる。
親の顔色を見て動くだけではなく、「自分はこう思う」と少しずつ言えるようになる。
しんどいのに無理して合わせるだけではなく、「今日はもう無理」と言っても親が怒らないと知る。
学校の話になると固まっていた子が、少しずつ「何が嫌なのか」「何が怖いのか」を言葉にできるようになる。
こういうことが起きて初めて、その子は自分の感じ方を大事にできている・回復し始めていると考えます。
私は、こうした変化を含めて「回復」と呼んでいます。
この意味で、自立だけを目標にした支援では足りないのではないか、と考えるようになりました。
自立を目指すこと自体は大切です。
けれど、何から離れられないのか、なぜ離れにくいのか、そこを扱わずに「親は手を引くべきだ」「子どもは自分で決めるべきだ」と進めると、構造だけが先に変わり、深い不安や傷つきが残ることがあります。
親の不安を自分が支えてきた子がいる。
親の期待を先回りして動くことで関係を保ってきた子がいる。
親から離れることが、見捨てることや裏切ることのように感じられる子がいる。
学校という場が、単なる学びの場ではなく、自分がダメだと確認する場所になっている子もいる。
こういうときに、ただ「自立しなさい」と言っても、その子自身の内側・こころのしんどさは残ります。
すると、表面上は動いていても、学校に行けていても、別のところで苦しさが出ることがあります。
学校には行くけれど、どこかいつも張りつめている。
親には従うけれど、内側では不信感が残る。
一見しっかりしているように見えて、急に崩れてうつっぽくなるなどです。
だから、自立はゴールになりえても、出発点をそれだけにすることはできない。
私はそう考えています。
家庭のルール・役割・対応の一貫性・親としての在り方を見つめ直すのは、大事なことです。
しかし、それだけで終わらず、ある程度家庭内でのかかわりがかわってもなお残る、その子の苦しさの意味、親の背負ってきたもの、親子のあいだで言葉にならないまま流れてきたものを扱う。そういった、細部を大事に扱うこと。
私はそこを支援の中心に置くようになりました。
家庭を・親子関係を再編する支援は結果を生み出しやすいということを、私はずっと見てきました。
それでもなお、それだけでは人間を十分に支えきれないと感じるようになり、だから私は、考えが変化してきています。
親御さんの内面や過去にもフォーカスする。時には夫婦関係にもメスを入れる。
そういった、家庭全体を俯瞰でみた支援を行うことが大事なんだと思うようになりました。
まとめ
もし今、子どもの不登校を前に、
家庭の中をどう整えればよいのか・自立に導くのかは書籍などを見て何となくわかるけれど、それでもなお苦しさが残る。
親としてどう関わればよいのか迷っている。
子どもの行動だけでなく、その背景にあるものも含めて整理したい。
表面の対応ではもう動きにくいと感じている。
そんな状態にあるなら、一人で抱え込まないでほしいと思います。
不登校支援では、家庭の構造を整えることも必要です。けれど、それだけでは変化が一時的というケースもすくなくありません。
子どもが何を意味して学校に行けなくなっているのか。
親子のあいだで何が言葉にならないまま流れてきたのか。
親が何を背負い、子どもが何を背負ってきたのか。
そこまで含めて見立て直すことで、初めて流れが変わることがあります。
私は、ただ安心させるだけでもなく、ただ自立を急がせるだけでもなく、親子関係と家庭の空気を見立て直しながら、結果として復学まで見据えた支援を行っています。
何をどう見ればよいのか整理がつかない。
家庭の中で起きていることを、もう少し深く理解したい。
どこから関わりを変えれば流れが変わるのかを知りたい。
そういうふうに考えておられる方は、ご相談いただければとおもいます。
それでは、今回はこれで終わりたいと思います。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!
まいどん先生(公認心理師)
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