【マンガ解説】「学校が怖い」の正体とは?真面目なお母さんが陥る「自立」という名の落とし穴

【マンガ解説】「学校が怖い」の正体とは?真面目なお母さんが陥る「自立」という名の落とし穴

   

毎朝繰り返される、玄関先での攻防。

「行きたくない」と座り込む背中。

時計の針は容赦なく進み、焦りと苛立ちが胸の奥で渦を巻く。

 

「ママにはクラスがうるさいのどうにもできないよ」

「どうしろっていうの」

そう言いながら、動かない我が子を引きずるようにして教室まで連れて行く。

 

その後ろ姿を見送りながら、ふと湧き上がるのは「達成感」ではなく、

鉛のように重たい「徒労感」ではないでしょうか。

 

「ひとりで頑張るのに疲れました…助けてください…」

心の中でそう叫びながらも、誰に助けを求めていいかわからない。

 

今日は、そんな「真面目すぎて、ひとりで抱え込んでしまうお母さん」と、

学校という場所で「見通しの立たない恐怖」と戦っている子どもたちのお話です。

 

ある親子のエピソード(マンガ)を紐解きながら、

その苦しさの「正体」と、そこから抜け出すための「視点の転換」について、

じっくりと語ってみたいと思います。

 

1. 「真面目すぎる」がゆえの孤独な戦い

このマンガに登場する「あきら君ママ」は、決して冷たいお母さんではありません。

むしろ、その逆です。

ものすごく真面目で、一生懸命で、お子さんのことを誰よりも考えています。

 

「ママにはどうにもできない」と言いながらも、結局は身体を張って教室まで連れて行く。

それは、「学校に行かせること」が親の責任であり、子どものためであると信じているからこそです。

しかし、この「真面目すぎる性格」が、皮肉にもお母さんを追い詰めてしまっています。

 

「人に頼るのが苦手」 「この『べき論』の強さ」

周囲の人は、そんなお母さんの姿を見て、

「もう少し力を抜けばいいのに」「誰かに相談すればいいのに」と感じるかもしれません。

でも、当のお母さんにとっては、その「頼り方」がわからないのです。

 

「ひとりで抱え込みすぎる癖があるから、

お子さんが困っていても『自分で何とかせぇ!』になってるなぁ…」

そう分析した通り、お母さんの心には余裕がありません。

 

余裕がないと、人はどうなるか。

「白か黒か」の極端な思考に走りやすくなります。

 

これまで手取り足取り世話を焼いていたのに、

ある日突然、「これじゃダメだ!」とスイッチが入ってしまう。

「あきら君を自立させるぞ!」と、急激な方針転換をしてしまうのです。

 

この「急激な変化」こそが、

実は繊細なお子さんにとって最大のパニックの引き金になることを、

この時のあきら君ママはまだ知りませんでした。

 

2. 「どうしたいの?」という問いかけの残酷さ

ある月曜日の朝。

「今日学校行かない」というあきら君に対し、お母さんは自立を促すモードに入ります。

着替えを手伝うのをやめ、こう問いかけるのです。

 

「着替えるの面倒くさい!どうすればいいの!」

と泣く我が子に、

「…どうしたいの?」 「どうして欲しいの?」

 

一見、これは子どもの意思を尊重する、とても教育的な問いかけに見えます。

コーチングや育児書でもよく見るフレーズです。

しかし、あきら君の反応はどうだったでしょうか。

 

彼はこれまで、お母さんが先回りして「察して」動いてくれる環境にいました。

お母さんが「面倒くさいってことは、手伝ってほしいのかな?」と、

空気を読み、言語化し、行動していたのです。

 

それが突然、遮断される。

「ママはこれから、あきらが自分でできるなと思うことは、あまり口出ししないことにするよ」

この宣言は、大人からすれば「成長へのステップ」ですが、

あきら君の視点から見るとどう映るでしょうか。

それは、「今まで僕を助けてくれていた命綱が、予告なく断ち切られた」という恐怖体験でしかありません。

 

「急に手を離されたみたいで不安だろうな…」

あきら君は、単に「わがまま」を言っているのではなく、

「どうしていいかわからない」という混乱の中に突き落とされているのです。

 

「指示待ち」だったのではなく、

お母さんというナビゲーションシステムを頼りに生きてきた彼にとって、

ナビが突然「自分で目的地を入力しろ」と言い出し、

しかも画面が真っ暗になったような状態。

 

ここで発生しているのは、

親子の会話ではなく、「異なる言語」のぶつかり合いです。

 

お母さんは「自立」という言葉を投げかけ、

あきら君は「不安」という言葉で泣き叫ぶ。

お互いの周波数が合わないまま、時間は過ぎ、心だけがすり減っていきます。

 

3. 学校が「怖い」という感覚の正体

さて、ここからが本題です。

なぜ、あきら君はそこまでして学校に行きたくないのでしょうか。

なぜ、着替えひとつでこれほどパニックになるのでしょうか。

 

その答えを紐解く鍵が、マンガの中に出てくる「山下解説」です。

 

「学校が怖い、というのがわかりません。わからない人が多くて当たり前だと思うんですよ」

「想像はできても、同じくらいの痛みを感じるってすごく難しいんです」

と、お母さんは不思議に思います。

 

ここで、私はよくこんな例え話をします。 少し想像してみてください。

あなたは今、初めて参加する何かの集まり…例えば、

地域の有力者が集まる厳格な会合や、まったくルールのわからない異国の儀式に、

たった一人で放り込まれたとします。

  • 前情報(アジェンダ)は一切ありません。

  • 知り合い(ママ友)もいません。

  • 隣の人はベテランで、完璧に準備をしています。

  • そして突然、司会者に指名されるのです。「はい、ではあなたの意見をどうぞ」と。

どうでしょうか。

心臓が早鐘を打ち、冷や汗が流れ、

「どうしよう、何をすればいいの!?」とパニックになりませんか?

 

周りの人が当たり前にできていることが、自分にはできない。

何を求められているのかもわからない。

でも、何かしないと怒られるかもしれない。

この時の、胃がキリキリするような緊張感。

「見通しが立たない」という恐怖。

 

これこそが、あきら君が学校という場所で、毎日、毎時間、感じているストレスの正体なのです。

 

「楽しい場所だよ」「慣れるしかないよ」 大人はそう言います。

それは、大人がすでに「学校のルール」を知っているからです。

でも、そのルール(暗黙の了解)が読み取れない子にとって、

そこは地雷原を歩くような緊張の連続です。

 

4. あきら君に見えている景色

マンガの中で描かれた、あきら君の授業風景を見てみましょう。

彼の目には、教室はどのように映っているのか。

 

  • 先生の声: 「ボソ…一行とんでるよ」

  • 周囲の反応: 「クスッ(あはは…)」

  • 自分の状態: どこを読んでいるのかわからなくなる。焦る。汗が止まらない。

  • 先生の指示: 「はい、次の人よんで」

  • 結果: ガタン、と音を立ててパニックになる。

彼の中では、「突然何かが起きる」「突然振られる」ことの連続です。

先生が次に誰を指すのか、教科書のどこを読むのか、周りがなぜ笑ったのか。

その因果関係や予測がつかないまま、次々とイベントが降り掛かってくる。

 

これを「学校が怖い」と言語化できればまだ良い方です。

多くの子供は、この得体の知れない恐怖を言葉にできず、

「お腹が痛い」「行きたくない」「ママがいい」という表現に変換します。

 

もし、あなたが上記の「異国の儀式」に毎日強制参加させられるとしたらどうでしょう。

そして、唯一の頼みの綱だったパートナー(お母さん)から、会場の入り口で、

「ここからは自分一人で考えなさい。もう私は口出ししないから」 と手を離されたら?

 

「…え? めっちゃ冷たいことしてないですか…?」

そう、お母さんは気づいてしまったのです。

良かれと思ってやった「自立の支援」が、

実は「戦場に武器を持たせずに我が子を置き去りにする行為」に近かったということに。

 

5. 「甘え」ではなく「装備」が足りないだけ

この気づきは、とても痛みを伴うものです。

「私が悪かったんだ」と、自分を責めてしまうお母さんもいるかもしれません。

でも、どうかご自分を責めないでください。

お母さんは、ただ「知らなかった」だけなのです。

あきら君の世界が、そんなふうに見えているということを。

 

そして、彼に必要なのは「突き放して鍛えること」ではなく、

「見通しという名の地図を持たせてあげること」だったということを。

 

あきら君が「ママ、着替えさせて」と言った時、それは単なる甘えではありませんでした。

これから向かう「予測不能な戦場(学校)」に行くために、

せめて安全基地である家の中では、お母さんというサポーターにエネルギーを補給してほしかったのかもしれません。

 

あるいは、着替えというタスクですら、

彼にとっては手順が複雑すぎて、「見通し」が必要だったのかもしれません。

 

お母さんの表情がハッとする瞬間。

「そうか、冷たかったのか」と気づけたお母さん。

これは、あきら君の「痛み」に寄り添うための、最初の一歩でした。

 

6. 視点を変えれば、支援は変わる

子育てや支援において、最も難しいのは「自分の物差しを一度捨てること」です。

私たちはどうしても、自分の経験則で物事を判断してしまいます。

 

「学校なんて楽しい場所」

「着替えくらい自分でできる」

「わからないなら聞けばいい」

 

その「普通」の感覚を脇に置いて、

 

「もしかしたら、この子には世界が歪んで見えているのかもしれない」

「音が爆音のように聞こえているのかもしれない」

「次に何が起こるか予測できず、暗闇にいる気分なのかもしれない」

 

そうやって「子どもの眼鏡」を借りて世界を覗いてみること。

それができた時、初めて本当の意味での「支援」が始まります。

 

「甘えさせる」のではなく、「安心して挑める準備を手伝う」。

「代わりにやってあげる」のではなく、「やり方の見通しをつけてあげる」。

 

例えば、 「どうしたい?」とオープンクエスチョンで聞くのではなく、

「AとBならどっちが楽?」と選択肢を示すことなら、できるかもしれません。

 

「自分で考えなさい」と突き放すのではなく、

「今日は1時間目だけ頑張って、辛かったら保健室に行こう」と、

逃げ道のシミュレーションを一緒にすることなら、安心できるかもしれません。

 

7. ひとりで見つけるのは難しい「隠れた地図」

ただ、こうした「子どもの特性に合わせた翻訳」や「適切な地図の渡し方」を、

お母さんひとりで、しかも毎日の家事や仕事に追われる中で見つけ出すのは、至難の業です。

 

渦中にいると、どうしても

「なんでできないの!」「私の育て方が悪いの?」という感情の波に飲み込まれてしまいます。

それは、あなたが弱いからではありません。

あまりにも真面目に、真剣に向き合いすぎているからこそ、

客観的な視点を持つ余裕がなくなっているだけなのです。

 

あきら君のお母さんが、もしこのマンガのような「解説(客観的な視点)」を、

もっと早い段階で知っていたらどうだったでしょうか。

きっと、玄関先でのバトルは減り、

あきら君の背中に「いってらっしゃい」とかける言葉の温度も変わっていたはずです。

 

子どもの行動には、必ず理由があります。

その理由は、大人の論理では理解できない場所に隠されていることがよくあります。

その隠された理由を読み解く「暗号解読」のような作業が、

私たち大人ができる最大のサポートなのかもしれません。

 

もし今、あなたが 「どうしてうちの子は…」 「私の対応は間違っているの?」 と、

暗いトンネルの中で立ち止まっているのなら。

そのトンネルの壁に、小さな灯りをともす方法があります。

それは、お子さんの「困り感」を正しく翻訳し、

親子それぞれに合った「オーダーメイドの関わり方」を見つけることです。

 

私は普段、そんな「親子の通訳」のような時間を積み重ねています。

「あ、だからあの時あの子は泣いたんだ」

「私のせいじゃなくて、やり方の相性が合わなかっただけなんだ」

そんなふうに、絡まった糸が一本ずつ解けていく瞬間をご一緒できることは、私にとっても大きな喜びです。

 

ひとりで抱え込んで、真面目さゆえに自分を追い詰めてしまう前に。

あきら君ママのように「ハッ」と気づく瞬間を、共有できる場所があることを、

心の片隅に置いておいていただければと思います。

子どもが見ている景色を知ることは、親自身の心を軽くすることにも繋がっているのですから。

 

それでは、今回はこれで終わりたいと思います。

さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!

まいどん先生(公認心理師)

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