なぜ、うまくやろうとするほど苦しくなるのか。

教室の隅で震えているあなたへ

冬の学校の廊下は、芯から冷えます。

あなたは今、椅子に座り、膝掛けにくるまりながら、 教室の中から漏れ聞こえる先生の声や、 子どもたちの笑い声を聞いているかもしれません。

あるいは、保健室の隅で、 カーテン越しに保健の先生の事務作業の音を聞きながら、 ただ時間の経過を待っているかもしれません。

 

「ママ、行かないで」

「廊下から見ていて」

「トイレに行く時も、声をかけて」

 

我が子の小さな手は、 驚くほど強い力で、あなたの服の裾を握りしめています。

その震える指先から伝わってくるのは、 言葉にならない恐怖と、緊張です。

振り払うことなんて、できない。

 

けれど、このままここに座り続けていて、 一体、何が変わるのだろう。

 

そんな思いが、胸の奥をよぎることもあるかもしれません。

通りかかる他の先生の視線。

PTAで来校した保護者の 「あら、お母さんも一緒なの?」という、 悪気のない一言。

そのたびに、身がすくむような感覚に襲われ、 まるで自分が、そこにいない存在になってしまったような、 不思議な孤立感を覚えることがあります。

これが、「母子登校」の現場で起きていることです。

 

 

なぜ、子どもは動けなくなってしまったのか。

文部科学省の統計上、 学校に来ている彼らは「不登校」には含まれません。

数字には表れず、 行政の支援の網からも、 語られる場からも、こぼれ落ちやすい状態です。

「学校に行けているんだから、いいじゃない」

「お母さんが少し、甘やかしすぎなんじゃない?」

そんな言葉を向けられ、 誰にもつらさを打ち明けられないまま、 「付き添い」という時間を、 一人で引き受け続けているお母さんが、 日本には、少なくありません。

 

まず、一つだけお伝えしたいことがあります。

あなたが今、そこに座っていることは、 決して「甘やかし」の結果ではありません。

そして、そこから抜け出すための鍵は、 「無理やり引き離すこと」でも、 「もっと頑張って関わること」でもありません。

 

なぜ、子どもは動けなくなってしまったのか。

なぜ、あなたもまた、 その場所から動けなくなってしまったのか。

 

私はなぜ、「学校に行かせる支援」をやめたのか。

私はかつて、「学校に行かせる支援」をしていました。

正確に言えば、「学校に行けるようになること」を、支援の最終目標に置く現場に、十年以上身を置いていました。

そこでは、不登校は「問題」であり、問題には「解決策」があり、正しい関わりを積み重ねれば、子どもは再び学校へ戻っていく…そう信じられていました。

そして実際に、結果は出ていたのです。

朝、布団から出られなかった子が、少しずつ起きられるようになる。

母子登校だった子が、親と離れて教室に入れるようになる。

欠席が続いていた子が、週に数日、やがて毎日登校できるようになる。

データ上は「成功事例」です。

保護者からも、「ありがとうございました」「助かりました」と言われました。

私自身も、「人の役に立てている」という実感を持っていました。

私はそのような支援観を持ちながら、2022年に独立をし、しばらく復学ありきのスタイルで支援をしていました。

 

けれど、ある時から、私の中に小さな違和感が溜まり始めたんです。

「うまくいったはずの子」…違和感。

その違和感は、とても地味で、言葉にしにくいものでした。

復学した子どもたちが、なぜか、あまり幸せそうに見えなかったのです。

学校には行っている。出席も安定している。先生からの評価も悪くない。 それなのに、表情が硬い。感情の起伏が乏しい。自分の話をしなくなる。

そんな子が、少なくありませんでした。

 

ある子は、中学に上がった頃に再び不調を訴えました。

別の子は、高校進学を前に急に無気力になりました。

また別の子は、「理由はないけど、しんどい」と言って、部屋から出なくなりました。 そのたびに私は考えました。

 

「やり方が足りなかったのだろうか」

「もっと早く介入すべきだったのだろうか」

 

でも、どこかで、それとは違う何かが起きている気がしていました。

 

正しさが親を追い詰めるとき

当時の私は、「親が変われば、子どもも変わる」「家庭が安定すれば、登校も安定する」と考えていました。

これは、理論的には正しい。

でも、現実の親御さんの心は、理論通りには動きません。

 

・もっと共感しなければ

・もっと感情的にならずに

・もっと適切な距離感で

「正しい関わり」を学べば学ぶほど、親御さんは自分を責めるようになっていきました。

 

「今日の声かけ、間違っていたかもしれない」「私は、支援を受ける資格がある親なんだろうか」。

正しさが、親御さんの首を締めていたのです。

 

私は、支援者として「安全な側」に立ちながら、無意識のうちに「できていない親」を評価する側に立っていました。

私は、問題を解決しながら、同時に問題を作っていたのかもしれません。

 

子どもを「治そう」とするのをやめた日

決定的な転換点は、ある母子登校のケースでした。

とても勉強熱心で、私のアドバイスをすべて実践してくれるお母さんがいました。

でも、お子さんの状態は良くならない。 お母さんはボロボロになっていました。

その姿を見た時、私は思わず、支援者としての立場を超えてこう言ってしまったのです。

「……もう、この子をどうにかしようとするの、一度やめませんか。復学を目指そうとするのを、やめてみませんか」

お母さんは驚き、そして泣き崩れました。

「じゃあ、私は何を信じればいいんですか」 その言葉に、私はこう答えました。 「一緒に、この子をわかろうとするところからはじめませんか」

 

その日を境に、私は「子どもを動かす支援」をやめました。 ゴールを「登校」から、「親子が安心して息ができること」に変えたのです。

 

回復は、内側から起きる

支援の軸を変えると、不思議なことが起き始めました。

「いまは無理に学校に行かせようとしなくてもいい」「まずはこの子のことを、親が理解するところから」と腹をくくった家庭から順に、家の空気が変わり、親の笑顔が増え、子どもが話し始めたのです。

そしてある時、子どもが誰に言われたわけでもなく、「行ってみようかな」と動き出す。

その言葉は小さくても、誰かを安心させるための言葉ではなく、確かな「自分の声」でした。お子さん自らが、「ひとりで行こうかな」と言い出すことが驚くほど増えていったんです。

 

私が今、ここにいる理由

そんな背景があり、私はもう、「学校に行かせることをメインにおいた支援」はしていません。

でも、「復学を手放した」わけではありません。むしろ、お子さんがひとりで学校に通う(しかも継続的に)瞬間を、何度も目にしてきました。

正しさを手放し、親御さんに正論という名のパンチをしなくなり、親という役割や子という役割に親子を縛り付けないようにし、マニュアル的な操作をしなくなり…。

そうして、自然とお子さんは復学していき、親子関係も変な力が入らず、そのご家庭らしさを残したまんま、その親子は、ご家庭は末来に進んでいかれている。

 

MIKURU・MIRUという名前には、「未来(MIKURU)」と「見る(MIRU)」という意味を込めています。

先に答えを示すのではなく、一緒に、今を見つめること。

「正しい親」になるためではなく、「自分らしく子どもを愛せる親」でいるために。

 

私は、だれかを変えたいわけではありません。あなたのお子さんを、無理に動かしたいわけでもありません。

ただ、支援を通じ、お母さんがお母さんという役割の中で失わせてしまった、「私らしさ」を取り戻し、お子さん本来のポテンシャルを発揮しながら、お互いに尊敬・尊重し合えるような関係を築くことを、お手伝いしたいという思いが私にはあります。

 

母子登校という、見えにくいSOS

「母子登校」とは、保護者の付き添いがないと子どもが登校できない状態を指します。

一見、「甘えているだけ」に見えるかもしれません。しかし、現場で起きていることはもっと深刻です。

小学2年生のA君。校門まではお母さんと手をつないで行けるのに、児童玄関(下駄箱)の前に立った瞬間、急に足が震え出し、一歩も動けなくなってしまいます。

「怖い、怖い」と涙を流し、お母さんのコートを握りしめて離しません。

このA君の姿を見て、「ただの甘えだ」と言えるでしょうか?

私には、彼が「命がけで何かから身を守ろうとしている」ように見えます。

母子登校や行き渋りは、子どもが言葉にできない「苦しさ」を、身体全体を使って表現しているSOSなのだと思っています。

 

不登校は「氷山の一角」である

私たちはつい、目に見える現象を何とかしようと焦ってしまいます。

 

「どうすれば、一人で教室に入れるようになるか」

「どうすれば、朝、腹痛を訴えなくなるか」

 

しかし、海の上に浮かぶ氷山を想像してみてください。

海面から顔を出している白い氷の塊。

これが、皆さんが目にしている「学校に行けない」「離れられない」という現象(症状)です。

多くの一般的なアドバイスは、この海面に出ている氷をハンマーで削り取る方法を教えます。

「背中を押しましょう」「ご褒美で釣ってみましょう」。

 

一時的には氷は消えるかもしれません。しかし、水面下には、その何十倍もの大きさの「本体」が沈んでいます。

本体が溶けない限り、浮力によって、氷はまたすぐに形を変えて浮き上がってきます。

MIKURU・MIRUでは、ハンマーで氷を砕くような対症療法ではなく、海面下の「親子の物語(文脈)」に温かい海流を流し込み、氷山そのものをゆっくりと溶かしていくアプローチをとっています。

でも、結果的にまわり道にみえて、実は近道なのかもしれません。

 

それでは、今回はこれで終わりたいと思います。

さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!

まいどん先生(公認心理師)

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