「おまえのせいで俺はこんなことになってしまった」中学生男の子の苦しみ:後編
ブログをお読みいただきありがとうございます。公認心理師の山下です。
今回は前回のブログの続きです。
親子関係の修復を試みる
「勉強をしなさい」
「結果を出しなさい」
「何このテスト結果!信じられない!外で頭を冷やしてきなさい!」と真冬にお子さんをベランダに出したこともあったというお母さん。
そのようなかかわりがあったことさえ、お子さんが不登校になった時は忘れていたとお話しされていました。
「子どもを押さえつけてきました…私…。正直に話します。あの子が私の言うことを聞いてくれるということに、お恥ずかしながら快感みたいなのもあったんです。恐怖でわが子を支配することに、私、依存していました。自分に自信がない私にとって、あの子の怯える顔は、まるで私の力のようで。」
「あの子のいまの様子は、私への復讐なんですね…そう思えてきました」
カウンセリングを重ねていくうちに、お母さんの懺悔のような発言が増えていきます。
お母さんだって、追い詰められていたし、お母さんだけが責められることではないと思います。ご主人もお母さんの暴走に気づきながらも仕事が忙しいと理由をつけて一緒に向き合おうとされなかったと言います。
お仕事で忙しいご主人。実は実母実父とのかかわりがあまり良いものではなかったお母さん。
孤独感がずっとあったお母さんは、お子さんの「教育」に夢中になり、必死になりすぎていただけなのだと思います。
まずは挨拶すらできなくなった親子関係をどうにか修復させようというところからはじまり、挨拶ができるようになるまで、支援を始められて1か月ほどかかりました。
どんなに無視をされても、お母さんもお父さんも、「ふつうに」接する。
返事がなくても挨拶をするし、腫れものに触れるようなかかわりはしない。
ひとりの人間として、愛する子どもに対し、どんな状態であっても受け止めるぞという意思をもち、かかわっていきましょう、と。
これまではお子さんが親の思うとおりに行動しなければ無視や冷たい態度が多かった、いわば条件付けの関係が当たり前だったのを変えていくことを提案したのです。
あの子が笑った
そうすると、自室にこもりがちだった子が少しずつ部屋から出てくるようになり、挨拶をしてくれるようになったり、何気ない会話であれば出来るようになりました。
「あの子がわらったんです」
ある日のカウンセリングでは、お母さんが嬉しそうに話します。
「勉強のことしか考えてなかった。あの子、あんなふうに笑うんですね。」「私にありがとうって言いました」
…と、お母さんはお子さんとの穏やかな時間をかみしめて幸せそうに私に話をするように。
「山下先生が、あの子のことを『かわいいですね』と言ってくれた時、正直、え、どこが?こんなに親の言うことを聞かない子が?そんな子が、かわいい…?と思いました。でも、無条件であの子を受け入れましょうと言われ続けていき、自分もそうしようとかかわっていくうちに、『あ、かわいい…』と思えて。あの子が赤ちゃんの頃を思い出しました。」
お子さんの行動も少しずつ変わっていきます。
お子さんが荒れだして以降、「お茶」と言ってお母さんにいれさせていたお茶を自分で入れるようになったり、食べた食器をシンクに置いたり。こんなちょっとの変化ですが、お母さんもお父さんもうれしく感じておられました。
「ある意味もの扱いというか、召使いというか。俺をこんなふうにしたお前たちには罰を与える。言うとおりにしてりゃいいんだよというような子どもの様子に戸惑っていましたが、普通に親を人扱いしてくれるようになった気がするし、ちゃんと親として見てくれるようになったというか…なんか変なこと言ってるなって思うんですけどね」と。
お父さんが休みの日は、初めてゲーセンに行ってみたりもしたり。
「コインゲームって面白いな。」と親子で笑いあったそうで、その日帰りしなに何気なく、お子さんのゲームに対し、『ずっとゲームばかりしていることでな…。えっと…ゲームが悪いというわけではないけれど体調が悪くなったり、ふさぎ込んでしまったりしないか俺やお母さんは心配しているんだよ。時々な、寝たり、目を休ませたりしてな、自分のことも大事にしてほしいんだよ。しっかり寝て、また次の日、元気に1日をスタートしてくれたらうれしい。…せめてその日のうちにゲームを終えて眠りについてくれたら安心だ』ということを優しく伝えたお父さん。
お子さんは無言で頷いたそうなんですけど、その日あたりから少しずつゲームが減り、気が付けば昼夜逆転が治っていきました。
お父さんやお母さんの心配がちゃんと伝わったのかもしれません。
セリフとかではない、「大事なあなたのことが心配だ。あなた自身にも自分を大事にしてもらいたんだよ」というメッセージが。
ちょっとずつ学校に戻りだす
この後、息子さんは2年生に上がったタイミングで1日2時間だけ…など、部分的に登校をするようになりました。
親から学校に行けと言ったわけではありません。
ある日、ゲームをしながら「お母さん。俺、明日学校行くから。制服出しておいて」と言ったんです。
半信半疑で制服を出し、「行けても行けなくてもあの子はあの子」と思いながらカッターシャツにアイロンをかけたお母さん。
そのシャツに袖を通し、「送ってほしい」と言ってきたお子さんなのでした。
少しずつ登校ペースが増え、3学期には毎日学校に行くようになりました。
もともと学校では勉強以外では先生もいい方ばかりでお友達もいたようで、楽しく通えていた様子でした。
あの数か月は何だったんだ?というくらい、お子さんは荒れることなく、親御さんとも学校のお友達とも先生ともよい関係を築いて毎日を過ごします。
お母さん曰く、「山下先生のおっしゃる、あの子のすべてが長所なんだという言葉を私は毎日自分に言い聞かせました。あの子が元気に楽しそうに過ごしているだけで幸せだ。あの子は親の所有物じゃない。本人の幸せを願って、おうちに居場所を作り、安全基地で居続けること。簡単そうで難しい、シンプルなことを積み重ねていったからこそ、あの子は立ち直っていったんだと思います」とのこと。
その後
お子さんは高校にあがってしばらくして、親御さんに
「受験勉強も、中1のころもすごくつらくて死にたくてたまらなかった。だけど、その後お父さんやお母さんがぼくを分かろうとして、ちゃんと立ち直るまで見守ってくれたのをわかった。つらい自分の気持ちに寄り添ってくれて、わかろうとしてくれたからこそ、逃げずに少しずつがんばろうと思えたし、立ち直れた」と言いました。
親御さんも、「親の思う理想の息子像、将来図通りになるようにと必死になってきたけれど、それは決して息子のためではなかった。親が満足するために息子を人としてではなく、物のような見方をしてしまっていた。よかれと思ってやっていたことは、結果息子の気持ちを全く尊重せず、無視して受容することもないまずい関わりだった。いまこうやって息子が楽しそうにに過ごす姿をみて、幸せです。どん底を経験したからこそ、いまのこの現状を幸せだ、ありがたいと噛みしめられています」と言います。
実際には本当にいろんなやりとりがあり、親御さんとうんうん唸りながらどうやったらお子さんが笑顔になるねん…と考え続けましたし、思うようにいかずに「もうやめたい」と投げ出したくなったこともあるとお母さんは言いましたし、私もそうやんな…と思います。
「親子の関係を修復しよう」ではじまった支援ですが、結果としてお子さんが学校に戻るということがあったり、お母さんがご自身と向き合い、「子どもに執着して自分の欠けている部分を補おうとするのをやめて自分と向き合うようにしなければ」という気づきがあったり…。
「山下先生との出会いは、私にとって宝物です。私のことを、子どものことを、一番にわかってくれたのは山下先生。」と、最後のカウンセリングの日はお互い泣き、「また連絡してくださいね」「はい、必ず」というやりとりをしたのでした。
それでは、今回はこれで終わりたいと思います。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!
まいどん先生(公認心理師)
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