
「学校では楽しそうにしてますよ」という先生の言葉が、なぜこれほど母親を追い詰めるのか。
夕方、学校からの着信履歴。
胃がキリキリするのを抑えながら電話に出る。
担任の先生の声は、妙に明るい。
「お母さん、安心してください! 今日は給食も完食でしたし、休み時間は〇〇君と笑って話していましたよ」
「授業中も手を挙げていましたし、楽しそうにしていました!」
ほら、学校に来れば大丈夫なんですよ。
いじめもないし、友達もいますよ。
…というポジティブな報告を受けて、ホッとするけど、なんとなく残る違和感。
「じゃあ、なんで毎朝あんなに暴れるんだよ」「あの子が家であんな顔をして、学校行きたくないと泣いていたのは何だったんだ?演技なの…?」
…と悩んでしまったり…。
今回は、学校をお休みしがち・母子登校で悩まれている親御さんが感じやすい心の中・声をテーマに書いていきたいなと思います。
「学校で元気」=「家が悪い」と言われているような…
なぜ、「楽しそうでしたよ」という先生からの言葉がこれほど刺さるのでしょう。
「学校(私たち)には問題ありません。だから、来れない原因は、お子さんが幼い原因は『家(あなた)』にあるんじゃないですか?」
もし、学校で楽しそうにしているなら。
いじめもないし、勉強もできているなら。
毎朝「行きたくない」と泣き叫ぶのは、家でお母さんが甘やかしているから?
それとも、家が居心地悪くてストレスを溜めているから?
先生にそのつもりがなくても、この報告は、「学校はホワイトです。ブラックなのは家庭です」と言われているようで。
毎朝、髪を振り乱して、殴られながら、あるいは懇願しながら、必死の思いで送り出したあなたの苦労。
それは、「楽しそうでしたよ」の一言で、「なかったこと」にされてしまう。
まるで、自分が「大袈裟に騒いでいるモンペ(モンスターペアレント)」扱いされたような…。
なんともいえないモヤモヤに苦しむことはないでしょうか。
「楽しそう」ってなんなんだ?
でも、ここで一つの疑問が浮かびますよね。
「学校では本当に楽しそうだったのか?」と。
先生が嘘をついているわけではありません。
お子さんは、本当に笑っていたのだと思います。
でも、その笑顔の正体を、先生(そして時には親御さん)は誤解しているかもしれません。
不登校や行き渋りをする子の多くは、「過剰適応」の傾向があります。
空気を読みすぎる。
周りの期待に応えようとしすぎる。
「普通」であろうと必死になる。
彼らにとって、学校は「戦場」であり「舞台」です。
校門をくぐった瞬間、彼らは「元気な生徒」という重たい着ぐるみを被ります。
「嫌われたくない」「変だと思われたくない」という一心で、必死に笑い、必死に授業を受けます。
先生が見ているのは、この「着ぐるみ(演技)」です。
「楽しそう」なのではなく、「必死に馴染もうとしている」。
もしそうだとすると、この演技には、大人が想像する10倍、100倍のエネルギーが必要で、だからこそ、帰ってくると反動でわがままが目立ったり、イライラしたり甘えが強い…ということもあります。
「エネルギーの前借り」と「夜の取り立て」
ちょっと表現がどうかなとは思うんですが、「リボ払い(借金)」に置き換えてかんがえてみるとわかりやすいかもしれません。
お子さんは、学校で「元気」というエネルギーを使っている。
でも、彼らの財布(体力・気力)の中身は、本当はスカスカ。
では、どうするか?
「未来のエネルギー」を前借り(借金)して、無理やり笑う。
学校にいる間は、アドレナリンが出ていて、借金をしている感覚はありません。
「ハイになって」笑っている。
しかし、家に帰って玄関のドアが閉まった瞬間、「取り立て」が始まる。
前借りしたエネルギーの利息を含めた、莫大な請求書が回ってくる。
そして、帰宅後の「無言」「不機嫌」「暴言」「崩れ落ちるような爆睡」へ。
…というパターンも実は支援のなかで、よくお見掛けします。
先生は、昼間の笑顔しか見ていないので、夜に借金取りに追われてこまる子供の様子は想像がなかなかできません。
この情報の非対称さが、お母さんを孤独にするのかもしれません。
先生は「あんなに楽しそうなんだから、明日も来れますよ」と言う。
だけど、あなたは知っている。
「今日は全財産を使い果たしたから、明日は絶対に欠席する」。
色んな角度でみてみよう
先生の「楽しそうですよ」という言葉に傷ついた時、どうか、ご自分を責めないでください。
そして、お子さんを「二重人格だ」「家ではワガママなだけだ」と疑わないでほしいです。
外で必死に仮面を被っている子が、家でだけはその仮面を脱いで、暴れたり泣いたりできのは、ご家庭が「安全基地」として機能しているということでもあるからです。
もし、家でも「いい子」でいたらどうなるでしょうか?
そのうちメンタルダウンします。
お母さんに当たり散らせているのは、彼らにとって「絶対に自分を見捨てない」という信頼できるサンドバッグだからです。
(殴られる方はたまったものじゃありませんが…)
先生への「翻訳」の仕方
とはいえ、先生との溝をそのままにしておくのも辛いものです。
もし余裕があれば、先生にこう伝えてみてください。
怒るのではなく、事実として。
「先生、ありがとうございます。学校で頑張っていると聞いて安心しました」
「ただ、あの子は帰宅すると、糸が切れたように動けなくなったり、反動で荒れたりしていて…家での様子と合わせて見ていきたいです」
このように伝えながら、
「学校での様子が全てではない」
「楽しそうに見えても、エネルギーを消耗している」
という視点を、先生わかってもらえる場合もあるかもしれません。
まとめ
支援をしていますと、「うちが過保護過干渉だから子どもは学校に行けなくなっているんだ」とご自身を責めてしまっているお母さんとよく出会います。
もちろんそういうケースもあるけれど、それだけではないことがあります。
…というか、ほとんどが、過干渉・過保護過が原因であるということではないです。
もちろん自立が進んでいないと、学校に行ったときに、同じクラスの子と能力値に差がうまれ、学校が怖くなることもあります。
だけど、実はその子には特性があったり、家庭内でコミュニケーションがかみ合っていなかったり、ご家庭をじっくり観察していくと、根っこの部分で何かがあり、それが解消されていないから登校への不安などの状態が表れているばあいがあります。
脅しやにんじんぶら下げで学校に行かせるというのは実はそんなに難しいことではありません。
しかし、それで学校に行けても、わたしは意味がないと思っています。
私は、家族療法・解釈学というものを大事にしながら支援をしていまして、物事を深く考えることがすきというタイプの親御さんにこのカウンセリングを好んでいただく傾向があるなと思っています。
「うちはなぜ、こうなっているんだろう」とお考えのかたがいらしたら、ぜひ過去のブログやHPなどをご活用いただけますと幸いです。
それでは、今回はこれで終わりたいと思います。
さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!
まいどん先生(公認心理師)
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