分離不安と母子登校

分離不安と母子登校

「学校に行けない」
「母子登校が続いている」

こうした状況に出会ったとき、まわりの大人たちはすぐに「症状」を探しはじめます。

 

「これは分離不安症じゃない?」

「発達障害の傾向があるのかも」

「うつの初期症状かもしれない」

 

もちろん、症状に目を向けることは悪いことではありません。医学の進歩のおかげで、多くの子どもや親が救われてきたのも事実です。

でも、私は支援者として、何百組もの親子を見てきて思うのは…

本当に大事なのは、症状ではないということです。

 

症状に引きずられると見えなくなるもの

例えば、朝になるとお腹が痛くなる小学生。
医師にかかれば「心身症」という診断名がつくかもしれません。

けれど、支援の場でその子の話を聞いてみると――

  • 前日に友達から「遊ばない」と言われて傷ついた
  • 先生のちょっとした注意を「嫌われた」と受け止めた
  • 家でお母さんが妹にばかり手をかけていて、自分は大事にされていないと感じている

そんな背景が浮かび上がってきます。

お腹の痛み=症状に目を奪われてしまうと、その子の心の声を聞き逃してしまうことがあります。

 

心の声に光を当てるということ

私の支援は、子どもや親が語る言葉を「聴く」ことから始まります。

「今日は学校に行けなかった」といの事実を症状として切り取るのではなく、
「なぜ行けなかったのか」「その時どんな気持ちだったのか」「お母さんはどう感じたのか」
を丁寧にみています。

 

ある高学年の女の子は、母子登校の毎日が続いていました。

期間は約2年。

「2年がんばったけど、もう限界で…」と私のもとにご相談をいただきました。

 

表面的には「分離不安」と片づけられるかもしれません。

けれど、話を深めていくうちに、彼女の口から出てきたのはこんな言葉でした。

「ママが笑っていないと、私も怖くなる。」

これは分離不安の症状うんぬんより、親子の関係性に何かがあるとわたしは思いました。

 

お母さんは、学校から帰ってくると、疲弊しきっていて、とにかくお子さんに対して攻撃がやめられなかったんです。

 

「高学年にもなって、はずかしい…」

「いつまでママがいないと怖いとかいうわけ?赤ちゃんなんですか?あなたは。」

「晩御飯なんて作れるわけないでしょ!疲れてんだよこっちは!!」

…と、爆発することがやめられなくて、お子さんはお母さんの顔色をうかがってばかり。

お母さん自身、そういった言葉がけがマイナスになるとわかっていたのに、やめられなかったと言います。

 

このケースでは、「毎週の電話があることで娘に当たらなくなってきた」という声とともに、じわじわとお母さんと離れて学校でひとりで過ごすことができていきました。支援を受けられて半年で、このケースはお子さんのひとりでの復学が果たされていったんです。

 

とくに「行きなさい」と何かを促したわけではありませんでした。

 

実は、親御さんからはこんな話をいただいていました。

「私は子どもの頃、親に気持ちを聞いてもらえなかった」
「だから、今こそいい母親でいようと必死になってしまう」

こうした親の育ちかたが、母子登校や不登校に影響を与えているケースは少なくありません。

 

親の心の声にも耳を傾ける

あるお母さんは、不登校の娘さんに対して毎朝こう言っていました。

「学校に行かなくてもいいよ。でも、早く行けるようになってね」

一見やさしい言葉ですが、娘さんは「結局ママは行ってほしいんだ」と感じていました。
その背景には、お母さん自身の「自分は親から期待に応えられなかった」という罪悪感があり、お子さんはますます自分が嫌になって学校に行けなくなりました。

 

わたしからは、こんな話をしました。

お子さんが学校を嫌がった時、多くの親は最初は学校へ行ってほしいと思って無理に働きかけていかせようとしがちです。

ですが、なかなか状況が思うように変わらずあれこれ調べていくと、「無理に行かせるのはよくない」と誰かから指導されたり、何かで読んだり、

「確かに学校だけが人生を生きていくうえでの唯一のルートではない」と納得するふりをしたりして、
ある時期からは子どもが学校に行かなくても、親は「学校に行け」とは言わなくなり、子どもを受け入れる状態が生まれてくることもあります。

 

でも、「高校ぐらいは出ておいてほしい」という気持ちが、親にはどこかにあることがおおく…。
言葉の表現としては「そんなに嫌だったら、学校には行かなくてもいいよ」と優しく言いながらも、心のどこかで「学校に行ってほしい」と思っていたりします。

 

そんなときによくあるのは、

「学校は行っても行かなくてもどちらでもいいよ」と親は言いつつ、子に「休む」と言われたら表情がきつくなる。とか、

「休んでいても自分でどうするか考えられていて素晴らしいよね」と言いつつ、「勉強は?しないの?」と言ったり、

勉強をしていてわからないところが出てきたら「はあ…やっぱり授業をうけないとわからなくなるよね…」と言ったり…。

こんなふうに、随所にメッセージとして「学校に行かないあなたを親は認められないのよ」ということを伝え続けてしまうことがあります。

すると、こどもはどちらのメッセージに従ったらいいのかわからなくなるんです。

親が言葉にはしなくても雰囲気が「学校に行かないくせに」と思ってしまう。

それがひしひしと伝わることから、子ども自身が「学校に行かない状態でいる」ことにある種の罪悪感を持ってしまうということが往々にしてあります。

 

お母さんはハッとしたような感じで、「まさに…私、そうやって娘に罪悪感を植え付けていたんですね…」と言いました。

そういった、「裏の言葉」を無意識に伝え続けることをやめていただくうちに、そのお子さんは少しずつ学校に通うようになっていった…というケースもあります。

 

「症状」ではなく「こころの声」に寄り添う支援のちから

わたしが大切にしていることは、こうです。

  • 評価しない
  • 急がせない
  • 沈黙も大切にする

なぜなら、語りはじわじわとにじみ出るものだからです。

 

私はこの支援スタイルを「家庭共育支援」と呼んでいます。

家庭は、親が子を「教育する」場ではなく、
親と子が共に育ち合う場だと考えるからです。

  • 子どもは「自分の物語」を語り直しながら自立していく
  • 親は「自分の物語」を見つめ直しながら、子どもとの関係を新しく育む

そうして初めて、「不登校が解決する」といったこと以上の、家族のきずなや、生きる力が育っていくと考えています。

 

「うちの子は分離不安なんでしょうか」

「うちの子はどうやったら、母子登校から抜け出してひとりで登校できるようになるんでしょうか」

「うちの子は復学できますか。多分発達グレーだと思うんですけど…」

 

この時期、多くのご相談をいただき、そのたびにこういったご質問をいただきます。

10年以上このカウンセリングという仕事をしていて、「目でみてわかることだけに注目して対応をしても実はあまりうまくいかない」ということを、嫌というほどみてきました。復学だけにとらわれてしまうと見えないストーリーがあるし、症状だけにとらわれてしまうと分かり合えないことがあると思っています。

MIKURU・MIRUの支援は、カウンセリングでは、復学支援をしていません。

ですが、結果的にカウンセリングを受けられたケースの7割ほどは学校に復学をされています。

「家庭共育支援」という、親子ともにどんどんぐんぐん成長していくうちに、状況がよくなっていったケースがたくさんあります。

 

無理に学校行け行けといいすぎると親子関係に亀裂が入ることもありますし、逆に見守りだけで何もしないと時間だけが経過してしまうこともあります。

「あの時はつらかったけど結果的にはあのとき子どもが学校に行きづらくなったことが、親子の在り方を見直せるいいきっかけでした」

と、支援を卒業されていく姿を見届けるたびに、親子会話がよくなるこの支援をよりがんばっていきたい、と思う私です。

 

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それでは、今回はこれで終わりたいと思います。

さいごまでお読みいただきありがとうございました。また次回のブログもお読みいただけると嬉しいです!

 

まいどん先生(公認心理師)

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