親の「判断の押しつけ」は子どもの主体性をはぐくめなくなる?
ブログをお読みいただきありがとうございます。
MIKURU・MIRU代表の山下です。
現在支援のお申込みや問い合わせが増えてきておりますが、当方ひとり親方状態でして、支援枠には限りがあり…💦
支援を受けていただく場合、こちらの支援の内容を十分にご理解いただいていることを前提に、親御さんとカウンセラーとの相性などをふまえお引き受けするか判断させていただいております。
民間支援だとどうしても費用がかかりますし、親御さんのご負担もあるので(カウンセリングを受けたり親子会話をシェアしていただいたり…)、十分にご検討いただいてから支援の受講をご検討いただければと思っています。
私にもそういうところがあるのでよくわかるんですけど、現状が不快だと思うと、人はその不快な状態に耐えられないので、『こうなったのは自分の行いが悪かったから起きたんだ』と無理やり自分をそれらしい理由で納得させようとしたり、とにかくじたばたしたくて情報収集しまくって、よさげと思ったものを片っ端からやってみたくなるものです。
私はメンタルが不安定になると急に何かをはじめたくなる人でして、ピアノを習おうとしたり、YouTubeで見よう見まねで出来そうな趣味を見つけようとしたりする傾向があります。
状況が変わらないのが気持ち悪い。薄々本当の問題は自分にあると気づいているけど、向き合いたくない。
だから、何かをやって気分転換してスカッとして、現状を変えるというより目先の不快をなんとかしようとしてしまいます。
でも、結局そういう流れではじめたことって長続きしなくて。
誰に何か言われたわけじゃないのに、キラキラしてる自分じゃないと思われるのが嫌だとか、あの人かわいそうみたいに思われたくないとか、そういう気持ちもありながらやっているものだと、結局自分をよく見せたいだけで、変わりたいとか、楽しみたいという理由でやってないので、技術向上のために練習が必要になってきたり、スランプに陥ったときに乗り越えるエネルギーがないんですよね。
ですので、こころが不安定な時の『何かやりたくなる』のそれと同じな可能性がありながら支援を受けると親御さんがしんどくなることもあるので、私はご相談をいただいた内容によっては、あえて「今すぐ支援を受けたほうがいいです」と言わないようにして、ちょっとクールダウンしてみて、冷静になってみて、それでもやってみたいと思うか考えてみてというメッセージを送ったりします。
(じっくり悩んで決めていただいたほうが、ご納得の上で支援を受講いただけると思うので)
やってみたらコスパが良すぎたというお声をよくいただくんですけれど、それでもやっぱり月々2万5千円の出費って高いですよね 🙄 💦
またまた本題に入るまでが長くなりました…今回は、ご家庭でのやりとりあるあるのひとつ「判断の押し付け」をテーマに記事を書いてみたいと思います。
基本は共感。聴く。
以下は支援を受けていただいている親御さんによくお話することです。
余計なことの代表的なものは、『指示・助言・体験談・感想』です。
たとえば、子どもが「ドッジをした」と話した時にふんふんと聞くのがよいところを「お母さんもこどものころドッジすきだったわ」とお母さんが自分の考えを話してしまう。
子どもが「おなかがすいた」と言ったら、「これ食べる?美味しいで」とみかんを差し出す。
えっ、それのどこがあかんの?!
…と思いますよね。
しかし、子どもは「ドッジをした」に続けて言いたかった・お母さんに共有したかったのは「最後まで内野にいられた」というできた!という興奮だったのに、お母さんが「お母さんも子どものころ…」と母親の過去の話を聞かされることになり、話初めに『これを言おう』と思っていたことが言えなかった。
「おなかがすいた」に続けて言いたかったのは「今日の晩御飯なに」だったけれど、みかんを差し出されて晩御飯のメニューを聞くのを忘れてしまった。
…という流れになりかねません。
まずは子どもの話を「ふんふん。」「それで?(続きを待つ)」「それからどうなったの?」と最後まで聞いてみることが大事です。
もしかすると予測していた通りの話を子どもがしてくれるかもしれませんが、ときに「想像していた流れにならなかったわ。途中で口を挟まなくてよかった」となることもあるかもしれません。
無意識にやりがちな「判断の押し付け」
上で書いたように、親子会話において『指示・助言・体験談・感想』を控えたほうがいいシーンは実は結構あるのですが、特に「指示」「助言」は「判断の押し付け」とも表現できますよね。
子どもは大人ほど経験を積んできていません。
物事の想定や詰めが甘い…みたいなことは当然ありますし、何度も失敗を繰り返しますよね。
そもそも失敗から学んでへんくないか?と思うようなこともあるかもしれません。その場合は、子ども自身が「まあなんとかなったからこれはこれでいいや」と思っていて、困る経験をしていなかったから起きた出来事を失敗とすらとらえていないのかもしれません。
そんな様子をみたら「何やってるの?こうしたらええやん!」とついつい親が子どもの代わりにどうすればいいのかを考え、選択し、指示(提案)をして、判断の押し付けをしてしまいがちです。
でも、その手順をふみ、結果を体験しないと人は学びません。
答えだけを教わってうまくいっても、サポートがなくなれば「どうしたらいいかわからなくなる」んです。
実際は「教えてあげている」「助けてあげている」つもりのそれは、子どもが親の判断に依存したりさせたりする支配関係を作り出しているともいえます。
じれったいけれど、「観察」してみる
もちろんこれが就学前のお子さんであるとか、小学校低学年の場合はいきなり全部自分で考えろと言われると、ゲームでチュートリアルなしでいきなり実戦に出されてしまうみたいなことになるのでやめたほうがいいです。
何も教えてもらえずにいきなり「とにかくあのボス倒してきて」と言われたら「え!どうやって?」「何をどうしたらいいの?」「推奨レベルは?!」「装備これでええんか!」などとパニックになるはず。
チュートリアルで、「体力が減ってきたら薬草をつかおう。宿屋に泊まるのもあり」「お金がたまったら装備を整えてみよう」「レベルを上げるために経験値を稼ごう」「町の人の話をちゃんと聞いて覚えておこう」など、基本的なことを教わって、流れを掴んでから冒険に出たほうが安心ですよね。
「体操服は帰宅後すぐに洗濯かごに入れようね」と教えたり、一緒にやってあげたり、やっているところを見守る。
あるいは「帰ってきたらすることがあったね。なにするんだっけ」と思い出させてみる。
そういうチュートリアル的なことをちゃんとやってから、親が余計な干渉をせずに見守ってみる。
提出したほうがいいプリントを忘れていても、提出期限が翌日ならばあえてなにも言わないで送り出してみる。
子どもが学校でみんながプリントを提出しているのを見て、「明日は絶対にもっていかなきゃ」と考えて帰宅後すぐにランドセルに入れるところを「ほら、だから前もってちゃんと翌日の準備をしなさいと言ってるでしょ」と小言を言わずにニコニコしながら見守ってみる。
そういうやりとりが、子どもの主体性をはぐくむともいえます。
まとめ
とはいえ、私自身も普段のやりとりにおいて、家族や友人に「それはこうしたらいいんじゃないの」と言ってから「はっ!」とすることがあります。
相手が言いたかった・話したかった流れを止めてしまったかも…と思うとモヤモヤしたりもします。
カウンセラーをしている私でも普段かなり意識をしないと、「ついつい」「よかれと思って」言ってしまうものですが、子どもを伸ばす。成長を促す。ということを考えると、干渉しすぎない。判断を押しつけない。ということを取り組んでいったほうがいいのかもしれません。
それでは、今回はこのへんで終わりたいとおもいます。最後までお読みいただきありがとうございます。
次回のブログもお読みいただけると嬉しいです 🙂
まいどん先生(公認心理師)
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