子どもはあえて「親がひるむ言葉を使っている」…それ、本当?:後編

子どもはあえて「親がひるむ言葉を使っている」…それ、本当?:後編

まいどん先生こと山下です!ブログをお読みいただきありがとうございます。

前回のブログの続きです。

 

行動主義という考えかた

「子どもは自分の要求を通したくて親が困る言葉・怯む言葉をあえて言ってる」

 

この考えは心理学でいう行動主義や、アドラー心理学が関係しているのではないかとわたしは考えます。

行動主義とは

 

心理学の目に見えない「心」「意識」を対象する考えとは異なり、人(動物)の客観的な行動を対象にして、「内観」などの意識に対してのアプローチを退け、刺激と反応との関係を扱います。

行動に着目することで相手を理解する「行動分析」ともいいます。

行動のきっかけや結果に着目をして、アプローチをする考え方です。子どもが何を考えて行動したのかなどはあまり注目しません。

 

子どもが何かしらの行動をしたとして、それが周囲から見て望ましい行動である場合、その望ましい行動を増やしてほしい場合は、子どもの行動という結果に対して、子どもが同じ行動を繰り返したいと思うようなアプローチをします。専門用語で「強化子」といい、褒める・ご褒美をもらえるというものがあげられます。

何か行動をした後、このような強化子をもらえると、人はそういった行動を無意識的にでも増やしていきやすいと考えられています。

(例えば、子どもが宿題をしたらお母さんに褒められたり、お使いに行ったらお駄賃をもらえるなど)

ざっくりとした説明ではありますが、行動主義(行動分析)では、子どものこころではなく行動に注目をしてアプローチをするものと捉えていただくのがよいかと思います。

(ペアレント・トレーニングなどでも行動主義の考え方が用いられています)

 

👇行動主義に関する解説はこちらでも行っています👇

 

アドラーの『個人心理学』という考えかた

アドラー心理学とは

 

個人心理学と呼ばれ、「目的論」といって、「すべての行動には目的がある」と解釈をします。

「感情が人を突き動かす」のではなく、人は目的のために感情を使用するという考えで、「使用の心理学」ともいいます。

例えば、人が涙を流すのも、悲しみを表現するだけの時もありますが、「同情を集めたい」「注目を得よう」という野心や、周囲への抗議や復讐という場合もあると考えます。

『私を泣かせた酷い人なんです!』という訴えをしたいという目的があるから泣いてしまう。

かつ、相手を責めたり、同情を集めることで満足せず、相手を意のままに操り、自分にとって都合のいい状況を作り出そうとしたり、相手を支配するために「悲しみ」や「怒り」という感情を作り出して利用する場合もあるという考え方をします。

誰かに怒るというのは、相手にいらだちを伝え、相手を支配するという目的があるからで、人は無意識下の感情により突き動かされるのではなく、『相手に怒鳴るのは無意識の怒りが原因であり本人は悪くないと正当化するための言い訳でしかない』というふうに考えます。

 

子どもの行動に対して「心」を見ず、行動だけに注目をする

このような行動主義とアドラー心理学を掛け合わせると、

「子どもは自分の要求を通したくて親が困る言葉・怯む言葉をあえて言ってる」

というのは理解がしやすくなるかと思います。

 

例えば、親が子どもに「学校を毎日休んでどうするの」と話しかけた後、子どもが泣きながら「消えたい」と言ったとしたら、

『親の登校刺激的な発言は子どもにネガティブな発言をさせるきっかけになりやすい』かつ『消えたいと泣き出すことで親がこれ以上子どもを責められない雰囲気になりやすい(親にこれ以上登校のことを言わせないという目的がある)』という解釈が出来なくもありません。

 

そういうふうに解釈するとすれば、たしかに上の例で考えると、子どもには「これ以上親に学校について触れられたくない」という目的があるので(これからも学校を休ませてほしいという気持ちがあるので)、親に泣いて「消えたい」と極端なことを言って親が困ったり怯んだりすることを狙っているのではないかと考えることができます。

 

ただしこれは、理論上は…という話です。

 

これらの考え方による子どもへのアプローチのリスク

アドラー心理学の解説部分でも書いた『「同情を集めたい」「注目を得よう」という野心』からこのような行動をとっているとすれば、確かに親は子どもがどんなことを言っても怯まない様子を見せることが効果を表すこともあります。

「これを買ってくれなかったら学校に行かないから」とか「こんなこともさせてくれないなんて俺のことどうでもいいんでしょ」とか「自分は可哀想なんだ。学校でも居場所がないんだ」といったことを、子どもが無意識的になのか意識的になのか、あえて親を困らせたくて、同情を集めたり注目を得たいと思っているならば、なるほど確かにそのアプローチもあるよなとは思います。

 

しかし、『周囲への抗議や復讐』であるとすれば逆効果ではないかというのが私の考えです。

もしも、親御さんへの何らかの復讐でそのような発言をしていたとすれば?

もしも、過去に親御さんがお子さんに対して不適切な関わり(子どもを否定したり、子どもに選択の余地を与えない関わりをしたり、虐待に近い関わりをしたり…)をしていたことへの恨みからそのような発言をいていたとすれば?

もしも、『お願いだからこれ以上自分のことを責めたり傷つけるようなことを言わないで』という切実な思いが含まれていたとすれば?

 

自分がどんなに一生懸命自分なりに訴えていても、親には届かず、『そうやって親が自分にとって都合のいい状態にしたいから、あえてそんなことを言ってきているのでしょ』と捉えられていたとすれば。

そしてそれが、子どもが大きくなり、そんな親の考えが透けて見えてしまっていたとすれば…

親は自分の気持ちなんて分かろうとしていないし、分かるはずもないし、親は自分の養育者ではあったけれど、自分の心を安定させてはくれなかったし、安心感のある環境で育てなかったし、頼れなかったし、心が通い合うことなんてなかった…ということを中学生くらいになって気づいて、完全に親に心を閉ざしてしまう…ということもあるかもしれないですよね。

 

まとめ

今回の記事は、あくまでも私の考えでは…というお話ですが、私は、日々の支援の中で「子どもの行動ひとつひとつに理由があるはず」と考えながら親御さんにアドバイスを差し上げています。

もちろん「自分の要求を通したくて親が困る言葉をあえて言ってる」と解釈するときもあるのですが、すべてのやりとりにおいてそういうふうに捉えることはありません。

 

特にお子さんが小学生くらいのうちは、自分の頭の中の考えを言語化することが難しい時期ともいえるので、どんなに自分が一生懸命「消えたい」「自分のことなんてどうでもいいと思ってるでしょ」と言っても親に伝わらなかったり、ますますそんなふうに言う自分にうんざりするような態度をとられたり、スルーされてしまうと、

親に見捨てられてしまうのではないかという恐怖や、親に出て行きなさいといわれるのではないかという不安や、愛されないのではないかという心配がうまれ、そういった発言をしなくなることがあります。

また、こういった冷たく感じるような関わりをされた場合、子どもは親に愛されたいがために無理して学校に行きだすこともあります。

 

しかしこれは、自分が家庭内において居場所を作ることや、親に笑顔になってもらいたいことや、振り向いてもらいたいことが目的であって、本人が自ら「行きたい」と思っての行動ではない場合があります。

そういった形での復学は、必ずしもと言っていいほど、復学して一定期間が経った後また何らかのきっかけで不登校や母子登校になり、前回よりも複雑な状況(親子関係もボロボロ)になっていることがあります。

 

私の元へは「○○という方法を試したけれどむしろ状況が悪化した」「○○という支援機関を頼って復学をしたけれど継続登校はできなかった」というご相談がおおいのですが、そういったケースでは、今回の記事のテーマのような関わりを経ていた…ということは珍しくはありません。

そういったケースを見るたび、私としては「こころ」「無意識」にも注目をする必要があると強く思います。

 

それでは、今回はこのへんで終わりたいとおもいます。

また次回のブログにてお会いしましょう 🙂

 

まいどん先生(公認心理師)

 

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