家庭教育が必要なのはなぜか?MIKURU・MIRUの考える家庭教育支援とは

家庭教育が必要なのはなぜか?MIKURU・MIRUの考える家庭教育支援とは

ブログをお読みいただきありがとうございます。家庭教育を専門とする、公認心理師のまいどん先生です。

今回は、家庭教育が必要なのはなぜかというテーマで記事を書いてみたいと思います。

なぜ家庭教育が必要なのか

お子さんがいつか社会に羽ばたいていく時には、お子さんが、
・自分で身の回りのことができる
・精神的に誰かに完全に寄りかからずに自分の考えを持ち物事を考えて答えを出そうとできる
・働いて稼ぎ、生活できる
…という、3つの『自立』ができているとよいと一般的にはいわれています。

そうなるためには、おうちである程度のしつけや、物事の捉え方や考え方や、生活スキルや、お金のことなどについて、親から子へと教えておく必要があります。

学校や習い事や地域の集いでも、こういうことは教えてもらえることもあるとは思いますが、家庭でしか教えられないことやできないことはたくさんあります。

子どもにとっては、おうちが自分にとっての一番の居場所であり、大人になるまでに最も長く過ごす場でもあります。

そのような、最も安心してすごせるおうちで、大好きなお父さんお母さんに、日々の生活の中で色々と教わりながら、本人のペースで成長し、大人になる準備をする。

家庭教育は、そのために必要なものです。

家庭教育ってなに?

一般的には、家庭教育は、文字通り『家庭における教育』であると考えられています。

教育には、家庭教育のほかに、学校教育地域教育というカテゴリーがあり、子どもを育てるという意味では完全に役割分担できるものではないものの、ざっくりと、

学校では勉強や集団生活を。
地域では異なる家庭同士での関わりや集いから、助け合うことを。
家庭ではしつけなどを。

…と、それぞれの場で学べるものが異なっていると考えられています。

家庭である程度の自立(トイレに行く、いすにすわってじっとする、相手のいうことを理解して行動するなど)ができていれば学校で勉強や集団生活が送りやすく、学校で集団生活がどういうものなのかを知っていたりつながりがあれば、地域においても学校でできた友達のご家族とも楽しく過ごせたり、助け合うことができるよねという考えです。

これがおうちでなかなか自立ができていないと、学校でも苦労してしまうし、学校で集団生活が送れないことで地域でのふれあいが怖くなったり避けてしまうこともあるので、「家庭教育というものはすべての教育の出発点だ」なんて言われたりもします。

一般に言われている「家庭教育」の問題点

そんな家庭教育。
あえて問題点をあげるとするならば、『家庭を学校教育化』してしまうおそれがあるということです。

ここまで、学校に通うには家庭での教育も大切だと書きましたが、それもいきすぎると、大切なことを見失ってしまうことにもなりかねません。

例えば、
・学校から帰宅したら決まったルーティンで行動しなさい。(手洗いうがい、宿題、時間割をそろえる)
・家庭のルールを守りなさい
・家庭内におけるスケジュールに合わせて行動しなさい
・宿題はやるだけではだめ。きっちりやりきりなさい。弱々しい文字はやり直し。計算はわからないままにしてはいけない
・弟や妹には優しくし、譲りなさい
・友達には優しくしなさい。その親御さんには失礼のないようにしなさい…など、『こうあるべき』ということを一生懸命訴え、身につけさせようとしすぎて、教える・指示する・命令する・従わせるという関わりばかりになってしまう。

これは見方によっては、学校における先生と生徒の関係と同じともいえます。

このように、家庭が学校教育化してしまい、『学校に通わせること』『学校に適応できること』ばかりのおうちでの教育に偏ってしまうと、学校でもおうちでも、『いつでも言うことを聞かなければならない存在と私・僕』という関係のなかで子どもが生活することになり、ある意味型にはめた関わりで子どもの生まれ持っての個性をつぶしてしまうおそれもあります。

そして、親は必死に家庭教育を実践している。家庭教育が大事なんだから…と一生懸命やっているのに、それなのに、やれ過干渉だ過保護だと言われてしまう。

いやいや、学校や地域で適応できるようにやってるのに、じゃあどうしたらいいっていうのよ?家庭を学校教育化させないって、一体なにをどうしたらいいの?

私だって仕事もあるし、ある程度子どもには自立してもらわないと生活もできないし。いまちゃんとしつけておかないと後々苦労するかもしれないのに…。

頑張って家庭教育に取り組まれている方ほど、こんなふうに思われることも多いのではと思います。

教育は手段であって、目的ではない

私は、家庭教育を専門に支援(親御さんへのカウンセリング)をしている身です。

相談される親御さんの悩みは、入り口は「子どもがひとりで学校にいけない」「子どもが不登校」と、登校に関することです。

「家庭教育を専門にするなら、学校(地域)でうまくやっていけるように、学校に戻そうとするんでしょ」と思われるかもしれませんが、そうではありません。

極論をいえば、学校に行かなくても家には十分な知識を与えられる環境が整っていて、集団生活は習い事などで学べて、地域のひととのふれあいも定期的にあれば、それでもよいとすら考えています。

なぜなら、教育は手段であって、目的ではないからです。

私が考える子育てにおいて大切なこととは、子どもが
『自分の存在そのものが重要で、家族は自分にとっての拠り所。離れていても自分がいつでも物理的に、精神的に帰ることができる場所』と十分に認識することだと思っています。

いつかは社会に羽ばたいていく子どもたち。

もちろん知識は必要で、集団生活の経験が少ないと人間関係の構築に躓きやすかったり、あらゆる経験の少なさから先を見越して行動することが難しくなり、仕事をするにも会社は偏差値の高い大学を卒業した人材や、学生時代に部活動などで培った心の強さや逞しさをもった人材を取りたがります。そりゃそうです。

でも、学校教育化した家庭で育った子は、社会に適応しなければならない・集団の輪から大きくはみ出してはいけない・結果を出さねばならないという、ある種の強迫観念的な『べき論』にずっと苦しむことになります。

必死に適応しよう・しなきゃと結果ばかりに目がいき、うまくいかなかったら「自分は仕事に向いてない」「自分はダメなやつ」と必要以上に落ち込んで、立ち直れなくなる。
周りはイキイキしてるのに。
なんであんなに落ち込まないでいられるんだろう。悩みがなさそうなんだろう。
自分よりわがままな面もあるのに、先輩や上司に可愛がられているんだろう。
自分はいつだって、いいやつでいようとして、結果を出そうとまじめにやってきているのに。どんどん周りと差がついてしまう。
どうしよう…もういやだ、にげたい…やめたい…

大人になってから、こんなふうに悩む日々になってしまうかもしれません。

こういうことが起きるのは、たんに自立の問題だけではなく、

『自分の存在そのものが重要で、家族は自分にとっての拠り所。離れていても自分がいつでも物理的に、精神的に帰ることができる場所十分に認識すること』

ここが抜けているのが理由であるとも考えられます。

たとえ仕事でうまくいかなくても、「自分は重要な存在なんだ。家族がいる。つらくても、しんどくても、帰る場所がある。自分はダメなやつではない。やり方が間違っているだけだ。立ち上がり、乗り越えよう。」こういうふうに思って頑張れるようになるには、なによりも家庭、親の存在が重要だと思っています。

たんに毎日学校に行けていればいいわけでもない。「問題」がなく「順調」だからいいというわけでもない。

子どものころに、うまく言葉にできないけど心がぐちゃぐちゃになってモヤモヤしているときに、お母さんが一生懸命話をきいて、自分のみている世界を理解しようとしてくれた。

「あなたはまじめよね」「できる子よ」「力があるのよ」という励ましという名の『もうそれ以上悩むな』という圧を与えられることもなく、今現在、この瞬間において必死に悩んでいる自分と向き合おうとしてくれた。

親の都合や感情で怒鳴ったりせず、自分の行いのなにが問題なのかを説明し、正しい物事の考え方や行動の仕方を教えてくれた。
その上で間違いがあったならば真剣にしかってくれた。
どんな黒い自分も、明るい自分も受け入れてもらえて、どんな発言をしても大丈夫という安心感が家庭にはあった。
離れていても、お父さんやお母さんは自分を想い続けてくれていると自信をもって言える。

そういう感覚が、子どもが大人になるまでに備わっているということが何よりも大切だと私は考えます。

支援を受けたいといってくださるお母さんの多くは、ここまで書いたような目指したい姿のための親子の関わりができなかったと仰います。

なぜなら、自分自身が育った環境が家庭が学校教育化していたり、機能不全家庭であったりして、親には自分にあまり興味を持ってもらえなかった。成績や行動ばかりに注目がいって、自分の心の中を知ろうとしたり、向き合ってもらえなかった。寂しかった。悲しかった。だから、頼れるのは自分だけと思ってきたし、そう思って乗り越えてきた。

だからつい、子どもにも厳しくしてしまう。あるいは甘くしすぎてしまう。自分よりも生きやすくなってほしいと願えば願うほど、空回りしてうまくいかなくて、それと同時に母親である自分をキライになって、自信がなくなって、子育てが向いてない自分。「私があなたの親じゃなければよかったのに。ごめんね。」なんて思ってしまう。
そういう方が多いです。

『自分の存在そのものが重要で、家族は自分にとっての拠り所。離れていても自分がいつでも物理的に、精神的に帰ることができる場所』と十分に認識すること

もしもこの感覚が自分にあったならば、私は子育てにここまで悩んだり苦しむことはなかったかも

そんなふうにお話しいただくことも少なくありません。

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まとめ

MIKURU・MIRUでは、学校に行くことを第一に考えませんし、無理に行かせようとはしません。

親子の関係性を最重要と考え、また、お母さんへのケアとサポートに特に力をいれています。

とはいえ、最終的には学校に戻っていったほうが家庭が目指したい場所に向かいやすくなるならば、その方法を考えて取り組むことはします。

そして、学校に戻っていったとすれば、その後も親子のふれあい・関わりから目指したい姿に向かっていくためにお母さんを全力で支えます。

MIKURU・MIRUでは、母子登校相談が最も多く、復学率は、継続相談が3か月以上のケースのみでみますと1年間で7~8割です。

決して100%ではありません。

その理由は、

・子ども自身が自らひとりで学校に行きたいと思わなければ意味がないこと

・脅しなどの力技で復学させても、その時はよくても後々トラウマになったり親子関係が悪くなる可能性が高いこと

・目指しているのは教育そのものではないこと

だからです。

しかし、MIKURU・MIRUでのカウンセリングを通じ、子育ての相談をして安心感を得つつ、昔得られなかった『自分をわかってくれる人がいる』という心があたたかくなる体験することができた。何度もそういう体験をしていくうちに、母親の傷つきも癒えていって、子どもと穏やかに関われるようになった。

そして気が付けば、子どもはひとりで登校するようになった。親子の関わりもどんどん変わり、我慢や諦めの中で子育てをすることがなくなった。

「支援と出会えて良かった。私はひとりじゃない。この子もひとりじゃない。」

そんな言葉を多くいただいています。

これからも、このようなご家族が増えていきますように。これからの未来を穏やかに歩けるご家庭が増えていきますように。

そういう支援をわたしは心がけ、家庭教育の支援者として支援をし続けています。

それでは、今回はこのへんで終わりたいとおもいます。

また次回のブログにてお会いしましょう 🙂

まいどん先生(公認心理師)

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