子どもが反抗的・あるいは心を閉ざしがち…なぜ

子どもが反抗的・あるいは心を閉ざしがち…なぜ

ブログをお読みいただきありがとうございます(*'ω'*)

最近、あまりにも甘いものが好きすぎてこのままでは体重が右肩上がりになってしまう…という恐怖から、「そうだ、せめてケーキや大福ではなく果物にしよう!」と考えるようになりました。

いちごや柑橘類など、あちこちの果物やさんに行っていろんな品種のものを買ってしまっています。

しかし感想は、「うめー」「あまーい」「酸味がいい」「香りがいい」しか出てこず、語彙力がほしいなと思う今日この頃です…。

 

はやく成長してほしい。自立してもらいたい。ただし…

みなさんは、お子さんに対して、

自立してほしい。自立・自律し、親がいなくても生きていける子になってほしい。

頭ではこのように考えているけれども、心のどこかで、

いまは従順な子どもでいてほしい。親の言うことを「はい」と素直に聞いてくれるような子であってほしい。

というのが本心でもあったりしませんか。

 

『なぜ私は、この子の成長をただ見守り、喜び、待てないのだろう。焦りと不安でいっぱいになってしまうんだろう。』

そんなふうに考えたことはありませんか。

 

これは先日アップした👇のブログでも少し似たようなテーマでふれているのですが、ご自身の育ってきた環境が関係しているかもしれません。

 

子育てはよくもわるくも連鎖する

「条件付き子育て」は世代を超えて引き継がれやすいということをご存知でしょうか。

条件付きの愛情を受けて育った子どもが親になったとき、自分が親からされたことはネガティブなものであったと認識しているのにもかかわらず、自分の子どもに対して同じ手法を使ってしまいやすいというものです。

 

誰しも一度は、「しつけ」のためと思い子どもに教えようとするものの、気が付けば感情任せに怒鳴ったり、一貫性のないことを言ってしまうことがあると思います。

そんなつもりはなかったのに、子どもの態度にどんどんイライラしてしまって…

 

あんたね!いい加減にしろよ!甘えてんじゃないわよ!(怒鳴って叩く)
ふうん…ひとりで学校には行けないのに、おやつのためにお留守番はできるのね(嫌味や皮肉を言う)
なんでそんなこともできないの!(答えようのないことを延々聞く)
片付けなかったらおもちゃぜーんぶ捨てるからね!(罰予告・脅し)

こんなふうにかかわってしまったことがあるという方は多いと思います。

 

「自立させたいなー」と思っていても、「子どもに任せてもすぐに自分の頭で考えて動き出すとは思えないし、これまで親が言わないと行動出来なかった子なんだから、親が声をかけないとだめでしょ。自立が大事って言葉でいうのは簡単よね。」そんなふうに考えている方も少なくないと思います。

 

子どもは、時に親の判断に適応するために、子どもは親の愛の獲得のためにときに、自分に嘘をつくことがあります。

親に従順な子は、「いい子」とされ、「えらいね」「おりこうさん」と褒められます。

しかし、反対に、その期待に添わないと、親は子どもに無関心になって『自分への愛を引っ込められた』と感じさせたり、「もうゲームなんて取り上げるから」と罰を与えてしまって、『親に従順でないと愛されない』という恐怖心すら植え付けさせられてしまうことがあります。

条件づけの子育ては、子どもに無能感と羞恥心ともよばれる恐れの混じった感情を身につけさせ、大人になると、やる気を失った服従するだけの人、道徳的な抵抗を少しも企てることのできない人になってしまうとすらいわれるくらいです。劣等感を植え付けられ、自分に自信を持てなくなってしまう。

そしてそんなふうに、条件付けの関わりで大人が子どもを屈服させることが日常化すると、その子どもが成長して大人になったとき、その人の中に永遠に跡が刻み込まれます。

 

「なんか今の言い方、私の親にそっくりだわ…この詰め寄られ方して嫌だったのに…私ったらおなじことを子どもにもしてる…」なんてハッとしたことがある方は、もしかするとこういった過去の出来事が背景にあるかもしれません。

 

社会性と条件付けの愛の父性

しかし、生きていく上では社会性が求められますよね。

社会性を身につける上で重要なのは父性であり、父性とは条件づけの愛といわれます。

警察であり、教師であり、完全で絶対的な正しい存在として子どもに圧力をかけるのが父性でもあります。

しつけや規律を受け入れていくことで社会性が身につくこともあり、時に条件付けの子育ては必要なときもあります。

しかし、大事なのはバランスで、ご両親ともに条件付けの子育てをしていてはうまくいかないどころか、上で書いたような劣等感や自信のなさから、自分の意見を持てなくなってしまう子に育つこともあります。

 

家庭でも学校でも当然のように、子どもは大人の言うことを聞くものだとされていますが、自分にとって、最も自分を理解してくれる存在がいなければ、条件付けの環境に耐えることは難しいです。

そのための母性であり、日頃からよく話を聴き、「あなたはこんな困難を乗り越えてきたんだよ。半年前にはできなかったことができるようになったね」「つらいときはお母さんが応援していることを思い出してね」と常に味方でいてあげることによって、厳しい環境にも耐えられる子になっていきやすいとも考えられます。

 

よく、「家の中に教師はいるけど親はいない」「家の中に警察官は居るけど親がいない」というケースをお見かけします。

学校の先生のように厳しく指導し、教えようとするお母さん。警察官のように厳しく取り締まるお父さん。

私自身も父性について説明するときに「おうちの中の警察的役割」と表現することがありますが、あまりにも抑圧させすぎてしまうとかえって逆効果でもあります。

 

子どもにとって親は親でしかなく、先生のような振る舞いをする人や、警察のようにいつでも厳しく取り締まるような人は子どもは求めていません。

 

親が言っても聞かないのに、学校の先生が同じことを言ったら言うことを聞いた…なんてこともよくありますが、これは立場の違いが関係しています。

学校においては先生の言うことに従うのが当たり前ですし、社会では警察の取り締まりに従うのも当たり前です。

ですが、最も心が落ち着きだらけられる家庭においては、そうではありません。

 

外で頑張ってきたからこそ、おうちでお母さんには甘えたいし、お父さんに「大目に見てほしいなぁ」なんて思うもの。

先生に「甘えさせてください」とも言えないですし、警察に「これくらい、いいじゃないですか」とはなかなか言えません。

家庭においては、子ども達は権威と服従の関係を求めてはいません。

 

支援を受けていただくご家庭の中には学校の先生をされているケースもめずらしくありませんが、

「子育てと学校教育はまた別物だと痛感しています。学校での成功体験も、テクニックも、わが子に対しては一切通用しません」と仰る方も多いです。

親子の関わりを支援を受講することで変えていくことで、

「子どもを想う気持ちは同じなのに、やりかたがちがうだけでこんなにも関係性がかわり、子どもが成長し、輝きだすんだって嬉しくなりました」と卒業されていかれるケースを沢山見てきました。

 

愛情の駆け引きで相手をコントロールすることを無意識にインプットされると、その連鎖から抜けだすのが難しくなってしまう

表面上の行動だけにとらわれると、「子どもが何を考えているのか」や、「世界をどう見ているのか」という大切な視点が失われてしまいます。

結果重視の関わりは、褒めるか罰するかという観点だけで子どもを見るようになってしまいますし、子どもを愛せなくなってしまうこともあります。

 

「どうしてこの子は、わたしの思い通りにならない。どうして周りの子と同じようにならないの」と。

 

そして、ついつい、

もうゲームとりあげね

と罰や圧力を使った問題解決方法を取ってしまい、子どもに逃げ場が無くなってしまったり、罰を与える親に怒りをおぼえます。

こういったやりとりが繰り返されると、抑圧から解放されたい気持ちから(フラストレーション)、親に反抗的な態度を示したり、『無』になって心を閉ざしてしまいがちです。

かつ、こういったやりとりをしてきている親御さんが、将来子どもたちにとって、『親としての最も身近なロールモデル』になり、世代を超えて連鎖されてしまうわけです。

 

また、親子のやりとりでよくあるのが、『愛情の駆け引き』です。

わがままを言う子どもに対し、

ママの言うことを聞けないなら、寝る前の絵本なしね。

…といい、子どもが何度も「ごめんなさい」「許して」というまで無視をし続けたり、冷たく当たったり、いないものとして振舞ってしまうというパターンです。

これは、子どもにとってはものすごい恐怖です。

自分を無条件で愛してくれているはずの母親が、自分に愛を向けてくれなくなった。

母親は愛情を示さないということで、子どもを無意識的にコントロールしてしまっているともいえます。

 

そしてこのやりとりの怖いところは、一度これで親の思うような結果を得られてしまうと、親はついついこのやりとりを成功体験とし、子どもが言うことを聞かなくなると同じ手をつかってコントロールしようとしてしまうところです。いずれ、子どもには通用しなくなってしまって、より厳しい関わりをせざるを得なくなり、親子の関係はどんどん悪化したり、子どもの反発が酷くなってしまいやすいです。

 

かんじんなことは、目で見えません。日々の子どもとの対話の中で、子どもの世界を理解して、たとえ親と反対の意見をもっていても、それでも受け止めようとしていくことで、親子の関係性や絆は深まっていきます。

そうして家庭の中が、「自分が発言したことを恥じたり、拒絶されたり、嫌われることは絶対にない」という確信と安心感を持てる場となります。

難しいことではありますが、しかし、子どもの安定した情緒・成長のために、愛情を駆け引きにしないようにするということは大切なことでもあります。

 

まとめ

通常、人はきれいな花を咲かせたいなぁと思ったら、通常は土を耕し、肥料をまき、種をうえ、太陽の光をあびさせ、水をやります。

配られる種は人によって違っていて、咲くまではどんな花になるのかはわからない。

大体は年月がたてば、大体似たような時期に芽が出て花が咲き、見る人を癒してくれます。

しかし稀に、出たはずの芽が埋まってしまったり、成長途中でとまってしまうことがあります。

「なんとしても自分の種を花を咲かせたい!」と思う人もいるだろうし、「流れのままに見守ってみよう」という人もいるだろうし、肥料をかえたりあの手この手を試そうという人もいるでしょう。

 

手を変えて試そうとする人は、色んな情報を目にします。

肥料がよくない。
光の量がよくない。
水の量がよくない。
土がよくない。

とにかく自分も、周りと同じように芽を出させ花を咲かせたい。しかも、周りよりとびきりきれいなものを。

だけど実は時間はかかるけれども、成長を信じてじっと待っていれば、必ず芽を出し花を咲かす種だとわかることがあります。
それならそうと早く教えてほしいのに、花が咲くまではそれがわからない。

それに気づかず、『私はこうやって花を咲かせました』『あの人もいつの間にか花を咲かせている』そんなことに惑わされ、焦り、土や肥料や水をあげすぎて種に傷をつけたり腐らせてしまう。

本当は、そんなことをしなくてもきれいな花を咲かせる種だったのに。

手をくわえたことで、傷がついて不格好な花を咲かせてしまう。そしてその花は、なぜ自分だけ不格好なのだろうと悩むようになるかもしれません。

 

これはあくまでもたとえですが、子どもたちにはそれぞれ、生まれながらの気質があります。

性格は十人十色であり、その子にあった、オリジナルの関わりが大切です。周りのお子さんと比べ、焦って矯正しても、かえってその子の可能性をつぶしてしまうことすらあります。

支援の場では、よく私は親御さんに、「親が焦りすぎです。これまでできなかったことがやっと出来るようになったのですから、長い目で見てあげてください。この前できなかったことが出来るようになった途端、さらに次へ次へと成長しろとお尻を叩いたり、親の思うような行動をとらなかったからとガッカリするのはよくないです」とお話します。

中には『今は時期ではないだけ。タイミングではないだけで、この子は絶対このタイミングで花を咲かせる』と確信している子もいて、それを親御さんにお伝えしますが、「うーん…そうなったら…いいんですけど…」と半信半疑…いえ、疑ってはいるけど、山下がいうなら信じてみるかぁ…みたいな反応をされることも多いです。笑

 

が、予測したあたりのタイミングでお子さんが本当に成長した姿を見て、「あの時この子の成長を信じてくれていたのは私ではなく先生でしたね」なんて笑ってお話されることもあります。

ジッと耐えて成長を待つことは難しいことではありますが、子どもの成長・育ちを信じ、長期的な視点でお子さんの自立を目指していきましょう。

 

条件付き子育ては世代を超えて引き継がれやすい。

条件付きの愛情を受けて育った子どもが親になったとき、自分が親からされたことはネガティブなものであったと認識しているのにもかかわらず、自分の子どもに対して同じ手法を使ってしまいやすい。

愛情の駆け引きで相手をコントロールすることを無意識にインプットされてしまい、その連鎖から抜けだすのが難しくなってしまう。

条件づけの愛は、抑圧は、子に無能感と羞恥心ともよばれる恐れの混じった感情を身につけさせることになる。

 

それでは、今回はこのへんで終わりたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

親まなびアドバイザー まいどん先生

 

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