「決めつけ」で物事を見たらうまくいかない?
「症状」じゃなくて「私・ぼく」を見て
ご相談をいただく中で、親御さんがスクールカウンセラーや行政の相談窓口などに相談に行くと、「○○(分離不安、HSC、場面かん黙、素行症、ゲーム依存など)ですね」もしくは「その傾向がありますね」と言われたとおっしゃる方を多くお見掛けします。
でも、これは見方によってはレッテル貼り(決めつけ)をしてしまうことになり、
『あぁ、この子は○○(分離不安、HSC、場面かん黙、素行症、ゲーム依存など)というものを抱えているんだ』と親や周囲は症状ばかりをみることになることが多いです。
はっきりとASD(自閉症スペクトラム)やAD/HDやLD(学習障がい)とわかっているケースでも、それだけではその子のことはわかりません。
血液型のA型だからみんな神経質なわけでもないし、O型だからおおざっぱというわけでもない。
それなのに「あなたはA型だからきっちりやりたがるタイプなのよね」と決めつけられて、それ以降はずっと「え、A型なのにそんなに雑にするの?」「A型なんだからちゃんとしなよ」「A型の人にはこう接するのがいいって聞いたから」なんて関わられたらすごい嫌ですよね。
「血液型より、素のわたしを見て」ってなりますよね。
対応はひとつしかないわけではない。個別に存在すべきもの。
その子に特性があったとしても、それはアクセサリーであって、その子そのものではありません。
母子登校だから必ず母子分離不安があっていつでもお母さんの共感を求めているわけではありません。
不登校だから必ず心に深い悩みを抱えて学校に対して不信感を抱いているわけでもありません。
子ども一人ひとり性格は違うし、そうなった背景もきっかけも違います。
以前学校の先生からの相談で、「うちのクラスにADHDの子がいます。このような診断名を下された子は、どうかかわればいいのでしょうか」というのがありました。
でも、これも、症状や診断名しか見ていないのではないかと思うんです。
同じ診断をされている子でも、できることと出来ないことに違いはありますし、確かに傾向的にはこうとお伝えできるところはあるものの、その子の性格(素材)は違うはずです。
ADHDというカテゴリーにひとまとめにして、ステレオタイプ的な偏ったものの見方をしてしまうと、その子の良さを見逃してしまいかねないと思います。
決めつけは子どもの勇気ややる気を奪ってしまう
ステレオタイプ的な偏ったものの見方をしてしまっている方の場合、
「この子は頑固なので言い出したら絶対にきかないんですよ」
「この子は一度『ママ、こわい』と言い出したら絶対私と離れられないんですよ」
というご相談をいただくことが多いです。
そのため、話を客観的に聴いていて親御さんの決めつけや思い込みが強いと感じたケースでは「果たして本当にそうなのでしょうか」とお返しすることもあります。
そして、「もしかしたら、すべてにおいてそうではなくて、特定の場面でだけそういう状態になるのではないですか?」と聞くと、大体は「そうです」と返ってきます。
(そうすると、「あれ?じゃあ、絶対というわけではないですね…」とご自身で気づかれる方もいらっしゃいます)
この思い込みがどこからきているのかを考えますと、もしかしたら、最初に書かせていただいたようなレッテル貼りから、『頑固なHSCの子にはこうしたらいい』『分離不安の子にはこう』という情報のみを切り取ってしまうと、分析の誤りが起きやすいです。
その結果、誤った対応を積み重ねてしまうことになり、余計にお子さんの頑固さやお母さんとの離れにくさを強化していることもあります。
ですので、例えば…

という捉え方をお子さんに対してしているケースでは、実はこれまでの親子のやりとりにおいて「駄々をこねて自分の要求が通った経験をしている」ことにより、頑固なだけということもあります。
ガチャガチャがいい例で、お母さんが「今日はしないよ」と言う→子は「やる!!うわーん!」と大泣き→お母さんは「もう…今日だけよ(この子は一度言ったら聞かないんだから)」と折れてしまう。
ここで親御さんが「もう…今日だけよ(この子は一度言ったら聞かないんだから)」と対応された背景には、【パニックを起こさないようにして、本人の要求は受け止めてあげたほうがいい】という情報をどこかでみて、そのように実践されていたということもあります。
ですが、このようなやりとりが続いてしまうと、子はごねる→得をする→繰り返す という悪循環になりやすいです。
この悪循環は断つことが可能な場合があり、初めは反発があるかもしれませんが「ダメなものはダメ」と貫き通していくことで変化していったケースを沢山みてきました。

という捉え方をしているケースでは、「勉強をしないからやる気がない」のではなく、それ以前に「あんたは部屋の片付けすらできないだらしない子やな」とか「あんたは何をやっても中途半端やな」とかをたくさん言われてきたから、やる気を失い、勉強に取り組めないだけなのかもしれません。
ですので、「なんでこの子はやる気がないの?」ではなく、『そもそもこの子のやる気を奪っていないだろうか?』『この子のやる気が発生するのはどんな場面だろう?』という点から紐解くことで、その子そのものを見ることができるようになるかもしれません。
その子そのものを見れるようになると、
『これまでチクチク嫌味を言い続けてきた結果、勉強が出来ない子というレッテル貼りを親がしていたことに気が付きました。』
『この子は本当は物を大切にできる子だったんだって気づきました。自分の大事なものコーナーはいつもきちんと整理していたんですね』
というような発見をされる方が多くいらっしゃいます。
まとめ
親や周囲の子どもへのレッテル貼りがいきすぎると、いつしか子どもは良くも悪くも求められる自分を演じ続けることになり、自分がわからなくなります。
「良い子」と思われればその評価を下げたくないし、「悪い子」と思われれば「もういいや、どうせぼくは悪い子なんだから」とどんどんその評価を受け入れてしまうこともあります。
その結果、無理な頑張りが続いて精神的に病んでしまったり、『努力したって無駄』と感じて学習性無力感に陥りやすいです。
お医者さんから診断が下された場合は、主治医のアドバイスを最優先に対応をしていくことは大事です。(児童精神科の先生は、大人になって精神を病むより早い段階で受診してもらったほうがはるかに良いと仰っています)
ですが、「場面緘黙や分離不安の傾向があるかも」というハッキリとはいえない段階で「うちの子はこうだから」と決めつけてしまうと、その子そのものを見てあげられず、結果ちぐはぐな対応をしてしまいかねません。
実際、私のもとにご相談をいただくケースでは、「分析の誤り」によるその子に合っていない対応の積み重ねで状況が深刻化しているご家庭は珍しくありません。
もちろん、「発達の傾向としてこうしたほうがうまくいきやすい」ということはありますのでその点は誤解のないようにと思います。
しかし、それだけが対応の全てではないということも、数多くある考え方のひとつとして「そういう考えもあるのか」とお読みいただければ幸いです。
それでは、また次回ブログ記事にてお会いしましょう!
親まなびアドバイザー まいどん先生
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