親になっていたことで失われていく「私」
6月に入りました。もう今年も折り返しです…これを私は何回言い続けるのだろう…と思ったまいどん先生こと山下です。
ブログをお読みいただきありがとうございます。
支援を受講されはじめて、お電話でのカウンセリングを受けていただくと、ご自身に自信が持てなくなって、落ち込んでおられることが本当に多いなと思います。
色んなお話をおうかがいしていて、いつも、ここまで落ち込んでしまって、自信がなくなって余裕がなくなるくらい、お母さんは頑張って、我慢して、耐えてきたんだろうな…と想像しています。
私の想像以上のしんどさがあるんだろうなとも思いながら、みなさんのお話をお伺いしているわけですが、そんな今日は、なぜ親としての自信がなくなったり、子どもと上手く関われないことで落ち込んでしまうのかをテーマに記事を書いてみました。
自分の人生に『母親』という役割が追加したことで…
お子さんを産み、お子さんが産まれてきてくれたことで、親としての生活がスタート。
それまでのお母さんはどんな生活を送ってこられて、周りはあなたをどのような人だと受けとり、関わり、あなたはどういうことに喜びや、やりがいや、達成感を持ったでしょうか。
仕事、趣味、スポーツ、勉強…これらを楽しんでいるあなたはどんな人でしたか。
親になる前は、『個人としての私』として毎日を過ごしていたと思います。
そして子を産み親になり、周りは『個人としての私』よりも『わが子のお母さんとしての私』としてあなたを見るようになっていきました。
「○○(自分の名前)さん」ではなく、「○○ちゃん(子どもの名前)ママ」と呼ばれることが当たり前になっていき、名前で呼ばれるのは職場が多く、プライベートでご友人に名前を呼ばれることが(そもそも会うことが)減っていったり、ご主人にも「ママ」「お母さん」と呼ばれたり…。
親である以上、子どもが起こすことの責任は親にあり、親が正しく導かなければならないとか、『いい親』『いい子ども』『ちゃんとしている親』『ちゃんとしつけられた子』であらねばならない…
いつしかそういう呪縛みたいなものがお母さんとしてのあなたにまとわりついていったかもしれません。
子どもが他人様に何か迷惑をかけてしまった。
子どもが勉強や宿題をちゃんとしようとしない。
子どもが精神的に弱かったり脆かったりする。
それらはすべて親の責任で、親がもっとちゃんと教育しなきゃ…と、どんどん強迫観念的になってゆく。
はじめはこの子と幸せになろうと思ってはじまった『親としての私』なのに、いつしか『子どもをちゃんと育てあげなければならない私』へと子育ての目標が変わっている方はいないでしょうか。
がんばりすぎていませんか
ちゃんとしなきゃ。
ちゃんと育てなきゃ。
…と必死になって、子どもとの穏やかな時間よりもしつけや教育のほうに力が入ってしまって、子どもの成長に喜びを感じる余裕がなくなって、子どもの出来ていないところにばかり目がいって、指摘して、嫌がられたり反発されたりして、それに怒って子どもを傷つけたり抑え込んでしまったりして自己嫌悪…。
私って、なに?
私は一体なにをやってるの?
私はなにがしたいの?
私、子育て向いてない。
この子がわからないし、育てにくい。
そんなふうにしんどくなっていませんか。
この問題は、子育てをしていくうちにいつしか『個人としての私』が失われているからともいえます。
親になり、必死に毎日を過ごしていくうちに、『職場での私』や『母親としての私』に偏りすぎて、『個人としての私』でいられなくなってしまった。
そうすると、子育てがうまくいっていないように感じたり、子育てがイヤになったりすると、『母親としての私』に欠陥があるんだって思ってしまって、自分に自信を持てなくなって、今までやってきたことなんだったんだろうって思って、消えてしまいたくなったり、逃げ出したくなったりするときもあるんじゃないかと思います。
個人としての自分
職場での自分
趣味の場での自分
生徒としての自分
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人はこのように色んな顔を持つものでもあり、それらすべてをひっくるめて『自分』であるはずなのに、『親である自分』でしかいられなくなると、子育てに悩んだりうまくいっていないときにすべての自信が失われてしまいます。
個人としての私が失われてしまったことで、『自分は何者なのか』すらわからなくなってしまうんですね。
親である前に、個人としての私であるはずなのに、いつしか日々の子育てに追われてしまって、自分を大事にできなくなっていませんか。
まとめ
本来、ひとは色んな顔を持つものなのですが、『子育てがうまくいかない=私がだめ』となってしまうかたは、いつしか『私=母親』という認識に変わっていることが多いなと感じます。
いろんな場で見せる顔があるはずなのに、母親としてちゃんとしなければということばかりに気がいって、頑張ってしまって、個人としての自分を忘れてしまっていると、どうしても、子育てで悩んだらすべてがうまくいっていないような感覚になりやすいです。
そこを切り離すのが難しいんじゃないですか…という声が飛んできそうだなと思うのですが、それでも、切り分けて考えるということは私はとても大切だと考えます。
私は、仕事では「支援者」であるわけなのですが、生活のすべてが「支援者」であろうとしていたとすれば、この12年ほどの支援者生活は送れなかっただろうと思っています。
「心を病んだり、色んなものを背負いすぎて、自分なんてダメだ。何やってもだめ。向いてない。周りに迷惑ばかりかけて…最低…」
そんなふうに考えて、早々にリタイアしていたと思います。
もちろん支援においては全力で向き合いますし、日々悩むことばかりなのですが、それは支援者としての自分であって、個としての自分とは切り離して考えています。
支援というのは私の一部であるものの、しかしながら自分というものもなくしてしまっては上で書いたようなことが起きてしまうと自覚しながら、完全に切り離すのは難しいけれども、そういうふうに意識をしながら日々を送るようにしています。
最近あなたは、お母さんとしてではなく、「個人としての私」を大事にした瞬間はありましたか?
それでは、今回はこのへんで終わりたいとおもいます。
また次回のブログにてお会いしましょう 🙂
まいどん先生(公認心理師)
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