小さい頃に親から認めてもらえなかった子どもは大人になっても自分を認めることができない・前編

小さい頃に親から認めてもらえなかった子どもは大人になっても自分を認めることができない・前編

まいどん先生です。毎日暑いですね~!

今回は、タイトルの通り『親に認められる』ということをテーマに記事を書いてみたいと思います。

 

親への不満は将来、子育てに影響する?

支援の場では、登校に関する悩みや毎日の子育ての中で起きる色んなことに対して相談を受けアドバイスをしますが、お母さんのケア・カウンセリングも同時に行っています。

すると、

自分の親。とくに母親から母性愛を感じた記憶がない。だから、親としてのモデルがいない。あの親のようにだけはなるまいという気持ちだけで必死にあれこれ勉強して彷徨いながら子育てをし続けてきた
親には感謝している。それなのに、親が好きかと聞かれるとうんとはいえない。ずっと抑圧されて生きてきた。
親に話をじっくり聞いてきてもらった記憶がない

という話が出てくることがあります。

 

両親への想いというのは、子育てに大きく影響を与えます。
自分の親のように子どもに嫌みを言ったり、感情で支配したり、レールをひいたり、生活優先で子どもの話を聴かなかったり。
知らず知らずのうちに親からの影響を受けています。というよりも、自分がされたことを子どもにも無意識的に仕返してしまっているというほうがしっくりくるかもしれません。

「本当はあの時話を聴いて抱きしめて欲しかったのに」
「あの時のわがままくらい、笑顔できいてもらいたかったのに」
「感情をぶつけず、何があったか聴いて、ちゃんとしかってほしかったのに」

そんな子どもの頃の不満が、今の子育てに影響している。

 

このことにうすうす気づきながらも見ないようにしている方は多いと思います。

でも、気づいてしまうと、つらい。

しかしそれでも、そこに気づいて向き合うことが自分の棚卸しであり、心から楽しいと思えるような子育てのはじまりといえるのかもしれません。

 

目先の課題解決をしたところで、また違う悩みを抱えます。

今度は子どもの人間関係だったり、習い事だったり、進路だったり。

そのような悩みが出てきたときに、根本的に大きく子育てに影響を与えている部分が解決出来ていないままだと、悩みが出てくる度に「私はなんてだめな母親なのだ」と落ち込み、子育てがいやになり、自分すらもいやになってしまいます。

たとえ母子登校や不登校でなくなっても、それは本当の意味でのゴールでも解決でもなんでもないと私は思います。

 

子育ての悩みをはきだしたときに…

あなたは、ご自身のお父さまやお母さまに、子育てについて悩みをはき出したり相談をされたことがあったでしょうか。

その時、どんな返事が返ってきましたか。
それは求めていた反応や、アドバイスだったでしょうか。

お母さまの反応に、何とも言えない複雑な感情を持った。

「そんなこと考えなくていいの。」と言われたり、「そんなの、こうでしょ。あの子は甘えてるのよ。もっと厳しくしないと。」と言われたり。
「それについて考える必要なはいのだ、結論はこうと決まっているのだから、ひとつしか方法はないのだから、疑わずただやればいい」と言われる。
子どもの頃に感じたモヤモヤと同じ不快感を覚える。

 

なぜ自分がそのような疑問や不安を感じたのかをわかろうとしたり、「色んなやり方があるけど、その中のひとつとしてこうかなぁ…」と、こちらに選択の余地があるような提案をしてほしかったのに。

こんなふうに思ったことはありませんでしたか。

 

確かに話は聞いてもらえている。だけど、モヤモヤははれない。
そこはかとない気持ち悪さがある。話を聞いてくれる人がいるし、目の前に自分の母親はいるのに。
孤立していないのに、それなのに、孤独になる。

人間にとって、孤独は苦痛です。

母子登校や不登校に悩んだ時、周りに仲間がいなかったり、心のつながりを感じられないと、「もう無理。耐えられない」となりやすいです。

孤独かつ孤立した状況は、生きる意味や目的すらも見失わせ、将来に期待を持つことも出来ず、絶望し、精神が破綻してしまうことすらあります。
お母さまにご自身の子育てについて相談した時のモヤモヤは、それに近いのかもしれません。

ただ、受け止めてほしいだけなのに。聴いてほしいだけなのに。それすらも叶わず、また家に帰ると戦いがまっているのに。
ケアしてもらいたいと駆け込んだのに、傷は癒えないまま、また戦場に戻らなくてはなりません。

「相談なんてするんじゃなかった…」と思いながら…。

 

もしも自分が求めていたケアが得られたら

しかし、まさに自分が求めていたケアが得られたら。
他人ごとではなく、自分ごとのように受け止めようとしてくれる人がいたら。
「やっと家庭のことを話せる人ができた」と感じられるかもしれません。
そのような味方だと思える人がひとりでもいたら、また戦えるかもしれません。

「まだ目の前の課題は解決してないけど、明日もがんばってみよう」と。

気分転換をしたってその場しのぎでしかなく、数日も経てばまた同じ不安を抱えることになります。

だとすれば、しんどいけれども、諦めずに支えてくれる人と一緒に勇気を出して悩みから抜け出していったほうが、楽かもしれません。

その過程は決して楽なものではないですが、それでも、支えの存在は大きく、
「ちょっと闇から出られた気がする」かもしれません。

 

母子登校や不登校などを乗り越えたいという願いはあるけれど、1週間ですぐにその願いが叶うわけではない。時間がかかるのは知ってる。

でも、「私はいますぐこの苦しみから解放されたい」。

こういった苦しみからの解放というのは、母子登校や不登校でなくなることだけを指すのではなく、「今この瞬間、耐えられない孤独である状態をまずなんとかしたい」ということかもしれません。

 

悩みが深くなって孤独になると、すべてが敵に見えてしまい、わが子ですら敵に見えてしまう。

どうしてわがまま言うの?
どうして私の言うことが聞けない?
なんでそんなに自分勝手なの?
私だってつらいのに。泣きたいのはこっちだよ!
あなたすら私を拒絶するの?

…と、「子どもがかわいい」と思えなくなってしまいます。
母親にとって、これほどつらいことはありません。

 

しかし、孤独でなくなると、少しずつ、「子どもがかわいいってまた思えるようになってきたかも」と思えるようになります。

 

とても長くなってしまったので、今回はこのへんで終わりたいとおもいます。続きはまた次回 🙂 

まいどん先生(公認心理師)

 

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