『分離不安』と診断される場合何が基準になるのか・後編
ブログをお読みいただきありがとうございます。
前回のブログの続きです。
分離不安症
前回のブログで、色んな不安症について解説をいたしました。
そのほかに、『(母子)分離不安症』というものもあります。
こちらは、親から離れることに過剰な不安感を抱くことが特徴で、以下3つ以上が見られると分離不安症と診断されることもあります。
1 親と離れるのは不安で嫌だ 2 親がどこかへ行ったらどうしよう 3 自分が連れて行かれたらどうしよう 4 不安だから出かけるのは嫌 5 1人でいるのも嫌 6 1人で寝るのも嫌 7 怖い夢を見てしまう 8 不安で頭やお腹が痛い、吐きそう |
母子登校のケースにおいては、「SCに相談をしたところ分離不安のようにもみえると言われた」「ネットでみる限り、うちは分離不安症ではないかと思う」とご相談をいただくことが多いです。
しかし、そのようなご相談をふまえて実際に支援を差し上げてみると、自立や愛着が関係してたまたま分離不安症に似た様子を見せていただけということもあり、お子さんが見せる様子や症状だけで『分離不安症』と判断するかどうかは難しいところです。
参考:『教養としての精神医学 松崎朝樹』
自立が関係してたケース
分離不安症だとおもいきや、実は自立に課題があったということが関係していたケースとはどのような状態なのかといいますと、例えば、
・「親と離れるのは不安で嫌だ」というのは場所や距離や時間による
学校では親と離れることを極端に嫌がるものの、帰宅後はひとりでお留守番ができるというケースもあります。
ほかに、本人もよく行く近所のスーパーなどにお母さんが行くので30分ほどならばお留守番ができるということも。
しかし、仕事に行くとなると極端に不安がって「行かないで」ということもあります。
どんな時でもお母さんと離れたがらない…というのはかなり分離不安症状が強いなと思いますが、そうでない場合は
『お家でお母さんが指示的であることから自分で考えて行動する経験が積めておらず、結果自分のことは自分でしましょうという自主性・主体性を求められる学校が怖いと感じるため母親と離れることに不安がっていた』
『母親が仕事に行くと学校のみならず学童にも行かなければならないため、お家で過ごすようにのんびりと過ごせずずっと気をはっていなければならない状態が続く。おうちでの生活と学校や学童での生活にギャップの差がありすぎることで不安がっていた』
ということが訴えの裏に隠れている場合があります。
・「親がどこかへ行ったらどうしよう、自分が連れて行かれたらどうしよう」と訴えるのは特定の場面においてのみ
このような発言をされたら、「うちの子、大丈夫…?何をそんなに怖がっているの?心の病かしら?」と不安になってしまう方もいらっしゃると思います。
ただ、よくよく会話を振り返ってみると…
…ということに気づかれる方がいます。
ここ最近、登校の調子がいいから「もうちょっと頑張ってみない」と伝えてみると、「そんなのやだ。帰り道、誰かに連れていかれたら怖いもん」「私が学校に行っている間にママが連れ去られないか心配なの」と返事が返ってきたので、この子は分離不安の状態なのだなと思っていたけれども、普段休みの日なんかはお友達家族と親付き添いなしで1泊のキャンプに行けたり、お友達のお母さんが付き添ってくだされば親の付き添い無しで遠出ができてしまうという子もいます。
お楽しみの場合は、こういった不安の訴えがない…ということもあり、その場合は「ママがどこかへ行ったらどうしよう」というような訴えがあったからといって必ずしも分離不安症とはいえない場合があります。
・「不安だから出かけるのは嫌」「1人でいるのも嫌」「1人で寝るのも嫌」「怖い夢を見てしまう」「不安で頭やお腹が痛い、吐きそう」という発言は特定の場面でのみ
こちらも上記と似たような場合があります。普段はこういった訴えはないけれど、
・夫婦喧嘩を見た後
・自分以外の兄弟と親が激しい言い合いをした場面を見た後
・親が自分に注意をした、叱った、感情をぶつけてきた後
・自分の要求(わがまま)が通らなかった時
…このような特定の場面でのみ不安の訴えがあるお子さんもいます。
例えば、
このようなやりとりのあと、しばらくして
と泣いて訴えてきた…そして、なんだかんだでゲームをしたら気がまぎれる気がすると言われ、親は30分ゲームの延長を許可した。そうすると、不安の訴えがすっかりなくなった…というようなやりとりもよくお見掛けします。この場合、お子さんの我慢力であるとか、親の共感力という点が関係していたということも。
もちろんこれらは一例で、子どもの発言が嘘だと疑いなさいというわけではありません。
不安の訴えがある場合は、まずは信じてあげるところからはじめる必要があります。
しかし、ここまでに書かせていただいたように、親子の関わりが関係して「不安」「怖い」という発言を引き出してしまっていたり、自立面で課題があっただけで、分離不安症ではなかったというケースもある…ということを書かせていただきました。
愛着が関係していたケース
愛着が関係していた…といっても、「一体どこから?子どもが何歳の頃の関わりがまずかったの?」と思われる方が殆どだと思います。
母子登校や不登校で悩まれているケースでは、お母さんが「私、結構子どもに暴言吐いてて…でも、やめられないんです…」と相談してくださることもあります。
例えば、「消えろ!」「そのままどこかに行って帰ってこなかったらいいのに」「クソガキ!!」…といった言葉を、カーっとなった時にいうのがやめられない。
「どうせお母さんのことなんて、お手伝いさんとか、都合のいい召使いみたいにしか思っていないんでしょ!どうせお母さんなんて、いらないって思ってるんでしょ!」といった言葉を、言ってはいけないと分かっているのにいうのがとまらない。
実は、私のもとにご相談いただく親御さんの中には、こういったことで悩まれている方は珍しくありません。
また、その中でもカサンドラ症候群に悩まれている方もいて、カサンドラ症候群とは、ざっくり言うとご主人が人の気持ちに対して無関心であったりASDであることから、ご主人と奥さんとの間で感情共有・共感が得られない状態が続くことで奥さんが抑うつ状態になってしまうような状態を指します。
感受性が豊かな奥さんと真逆のご主人とで子育てをしようとした時に、ご主人が奥さんの気持ちを知ろうとしらなければ奥さんの苦労をねぎらうことが難しく、やりとりをしていても「大変だろう。いつもありがとうな」「いつもよくやってくれている。子どものことにも一生懸命。家族の生活を支えてくれている。かけがえのない存在だ」…というような言葉をかけることが難しい。
奥さん(お母さん)は子育ての大変さを理解し合えるような人が身近におらず、どこにも逃げ場が無くなって、お母さんの心がどんどん蝕まれ、崩壊していってしまう…ということもあります。
いわばお母さんはご家族の中で精神的に無視されているのと同じ状態です。そのような状態が続けば心身の不調をきたすのは不自然なことではなく、むしろそりゃそうなるよねと思うのです。
そんな母親の状態をよく観察している子は、実は
『自分が不登校なり母子登校なりの「課題」を作ることで、母親はその課題に意識がいくのではないか』
『母親が自分に注目して一生懸命であれば、母親は自分のもとを去ってしまうことはないだろう』
と無意識的に感じて、分離不安症のような症状を見せていることもあります。
(これについてはこれ以上書きだすと長くなりそうなので、また別の記事で「母親のための母子登校」といったタイトルで解説してみたいと思います。)
あるいは、このご夫婦の例のようなことが親子関係で起きているということもあります。
お母さんあるいはお父さんが、子どもの『気持ち』『感情』に無頓着で、日頃から感情共有・共感があまりできていないケースでは、お子さんが精神的に無視されているということもあり得まして、その場合は愛着形成に課題がうまれてしまうことがあります。
こういったケースでは、子どもの健康や必要なもの(物質)を揃えたり対応するということはバッチリできているけれども、子どもが求めるもとに思いを馳せることが難しくなっていることも。
『習い事もさせている。旅行にも連れて行くし、そんなに不自由はさせていない。何なら、正直周りの子たちよりも結構満たされていると思う。それなのに、なぜ?』
と悩まれているご家庭は多いんです。
そういったケースをよくよく見ていくと、物質的にはたしかに満たされているだろうけれども、家庭内の会話を見るとお子さんが「その日学校でどんな感情を持ったのか。どういう視点で世界を見て感じていたのか」というところに目を向けるというより、「誰と遊んだのか。何を学んだのか」と分かりやすく目に見えやすいところにだけ関心がいっていて、
とお話される方もいらっしゃいます。
そういったご家庭では、お母さん結構感受性が豊かで色んなことに気が付くタイプで、人よりも視野が広いタイプだけれども、そんな自分の特徴を全開で過ごすのは疲れてしまうので、『あえて見ないようにして省エネで過ごすようにしている』こともあり、ある意味わざと子どもの気持ちに鈍感になっているということがあります。
これはおそらく、ご家庭内で子育てをしている母親の気持ちを分かってくれる存在がいないことから、誰かに感情共有を求めようとしても分かってもらえなかった傷つきを何度も経験してきているので、自己防衛的に『周囲に自分の心の内を話して心から理解してもらおうとすることを諦めている』。
そして、子どもとのかかわりにおいても、子どもの感情部分にまで目をやってしまうと、自分が崩壊したり不安定になることに何となく気づいているので、無意識的に触れないようにしてしまっている…というふうに解釈しながら支援をすることもあります。
そのことを実際に親御さんに『私にはこう見えます』とお話することもあるのですが、これを説明するには相当の信頼関係が築けていないと難しいことでもあり、このことをお話するのはわりと支援の後半になることが多いです。
そうして、「実は私にはこう見えていました」と話すと、お母さんはわんわん泣いて、「いつから気づいていたんですか?私、実は子どものことをずっとかわいいと思えていなかったんです」「表面的に、いい母親であろうと演じてきていました。でも、心の底では、この子を愛せていませんでした」と、なんだか『やっと私のことをわかってくれる人と出会えた』と言われているように受け取ることもあります。
いつも、このような話をしたり聴くときは、私も相当な覚悟をもって挑む…というか、本音で関わります。
そして、お母さんの心の傷を、これまで経験されてきたしんどさを、私も同じように感じるのは難しくても、わかりたい・わかろうとしながら、うん、うんと聴き、感情共有をさせていただいています。
そういうことを繰り返していくうちに、お子さんが親御さんから精神的に無視されているような状態が変化していき、親子の信頼関係がしっかりと築けて、不登校や母子登校を乗り越えていったということもあります。
まとめ
今回は、不安症をテーマに記事を書いてみました。
書いてみたものの、「あ、ここはこの説明がいるな」「これをわかってもらうにはこの説明もいるな」と思うところがたくさんあり、まだまだ説明しきれていない部分が多いです。
また、今回ご紹介した内容は、あくまでも一例であって、すべてのケースにおいて当てはまる話ではありません。
しかし、母子登校や不登校のご相談をいただき、根本的なところから解決・乗り越えるということを目指そうとした時には、結構ふかいところから分析してカウンセリングを行うこともあるということを一例としてあげさせていただきました。
母子登校を乗り越え、数年は継続登校ができていたけれど、またしばらくして母子登校や不登校になった…では意味がありません。
表面的な変化…といっていいのかわかりませんが、短期間で身につけたものや丸暗記して得た知識は、時間の経過とともに薄れてしまいやすいです。
定期テストの時だけまとめて勉強するよりも、日頃からコツコツ積み重ねていったほうが確実な学力につながるように、親子の関わりや思考というものも、支援を受けている期間だけ続ければよいというものではなく、根本的に体質改善をしなければ、『親の気が緩んでしまって元の関わりに戻りました』というような状態になりかねません。
そういったことを懸念して、私の支援では短期での受講を希望される方については申し訳ないのですが支援をお断りすることが多いです。
「子どもが不安を訴えがち」ということでお悩みのかたがいらっしゃったら、今回のブログの内容が参考になりましたら幸いです。
それでは、今回はこのへんで終わりたいとおもいます。最後までお読みいただきありがとうございます。
また次回のブログにてお会いしましょう 🙂
まいどん先生(公認心理師)
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