不登校や母子登校の原因は何?どういう視点で見れば答えが見つかる?
ブログをお読みいただきありがとうございます。
暖かい日が増えてきていますが…今年は(も)花粉がきついですね~💦
かたくなに周囲に「私は花粉症じゃない」と言い続けてきていたんですが(熱があるとわかると一気にしんどくなるタイプ)、もう認めざるを得ないくらい、外にでると鼻水がでてきます…。
さて、今回は「視点」をテーマに記事をかいてみたいと思います。
群盲象を評す から子どもの捉え方を学ぶ
盲目の人達が象を触れてその感触から象を理解しようとするインドの寓話があります。
彼らはそれぞれが象の一部分を触り、その感触から得た印象を述べます。
しかし、実際には象の全体を触ったわけではないので、鼻を触った人は「御輿を担ぐときの棒のような生き物」と言い、牙を触った人は「杵のような生き物」と感想はみな異なりました。
それぞれ自分の感想こそが正しいと主張し、他の主張を批判しましたが、それは一部分に過ぎず、全体像を知らないことによる盲点に気づかなかったという、自分の経験や見解が限られている中で物事を判断することはできるが、それが全体の理解に繋がるわけではないというお話です。
これを子育てに置き換えてみると、「親は子どもが異なる経験や感受性を持って成長することを理解する」「親は子どもの異なる一面を理解し、固定的な定義や枠を設けず、全体像を見失わないように観察するよう心がけることが大切」ともいえます。
この寓話を聞くたび、私は支援にも通ずるなと思っています。
物事をみるとき、一面だけをみて判断をすると、間違いなく失敗すると言っても過言ではないほど、状況はおかしなほうにいきやすい
たとえば、『毎日お母さんと一緒じゃないと学校に行けない小1の男の子』がいるとします。
そんな親子を見かけたあなたは、自分の価値観として、『学校はひとりで行き帰りするもの』として疑わないとします。
その場合、
あなた
そもそもなんでお母さんと一緒じゃないと学校に行けないのかがわからない。
親も何でわざわざついて行くかもわからない。
学校って、当たり前に毎日ひとりで行くとこなんじゃないの?
親って、当たり前に毎日ひとりで登校させるもんなんじゃないの?
何でそんなことになってるの?甘えなんじゃないの?
親はなにやってんの?
…と考えるかもしれません。
しかし、新たな情報として、
『毎日お母さんと一緒じゃないと学校に行けない小1の男の子は、ある日幼稚園年中の時に誕生日プレゼントでお迎えした、大事なハムスターが亡くなってしまった。その日以降、ひとりで行けなくなってしまった』
…が加えられたらどうでしょう。
あなた
はーはー、なるほど、それは悲しかっただろう。
するとこの子はペットロスでひとりで学校にこれなくなったってわけか?
いやでも、ハムスターでしょ?2年くらいの命でしょ?
ハムスターが亡くなったのはかわいそうだけど、そもそも短命なのわかってて親もプレゼントしたんでしょ。しっかりケアしてやれよ。
生まれたときからずっと一緒だとか、もっと長い間一緒だったとかならわかるけどさ、たかだか2年でしょ?
それでそんなにショックになるもんかねぇ…
…なんて思うこともあるかもしれません。
ペットロスという新たな情報に、『おっ?これが理由か?』と思うかもしれませんが、「いや、それだけで行けなくなる…?」と不十分な感じもするかもしれません。
環境要因以外の情報を付け足して考えてみる
さらに新たな情報として、
『母親はずっと過保護だった。過干渉だった』
…が加えられたらどうでしょうか。
あなた
おー、それやん!
1年でひとりで学校に行けないなんて、甘えてるに違いない。
そんでもって、母親が過保護過干渉してきたんやろ?
ほな、母親の関わりのせいで決まりやんか!!
…となるかもしれません。
さらに、『父親が単身赴任で月に1回帰ってくる』…が加えられるとどうでしょう。
あなた
その子、寂しいんちゃうの?
お父さんにも甘えたい時期だろうに。かわいそう
…なんて思うかもしれません。
ペットロス。
母親の過保護過干渉。
父親の単身赴任。
情報は揃った。
親のかかわりのせいだ。これに決まりや。…なんて思いたくなると思うんですけど、さらに、
『母親はアダルトチルドレン(母親の両親は毒親だった)』
『母親は状況をよくしたいと思うがあまり色んな情報を取り入れすぎて混乱している』 『夫婦仲が悪い』 『担任が年配のベテラン先生でなかなか偏った指導のしかたをする』 『この子の兄が発達障害のグレー』 『クラスでは小1プロブレムが発生していた(クラスに新たな環境に適応出来ない子が多く、授業がままならない状態が数ヶ月続く)』 『母親は義母と仲が悪い』 『母親には子育てについて相談できる場がない』 『学校はやんわり親のかかわりのせいと言いたい雰囲気を醸し出してお母さんを追い詰めてくる』 |
…が加えられたらどうでしょう。
情報量の多さと多角的な視点
最初は、
甘えが強い男の子がお母さんから離れられなくて学校に行けなくなっている。
母親の過保護過干渉がそうさせている。
父親は単身赴任で寂しい思いをさせている。
これらが原因なのだろう。
だったら、母親の過保護過干渉やめるべきやん。
父親も、できるかぎり息子に電話したり、気にかけてやれよ。
そうしたら解決するんじゃないの?なんて思っていたけれど、
母親自身、子育てのロールモデルがいなくて、子育て本などを片っ端から読んでよいとされることは全部試してよくわからなくなっているかも。
夫婦仲不仲だとすると、夫婦喧嘩を見せている可能性がある。
夫婦喧嘩を見せるのは心理的虐待とも言われるほど子どもにとっては衝撃だからそれもあるかも。
担任との相性もあるかもしれない。
お兄ちゃんが発達障害のグレーだとすると、お母さんはお兄ちゃんへの対応に追われてきてたかもしれない。お兄ちゃんにばかり気をとられて弟には寂しい思いをさせてたのではないだろうか。
…などなど、
新たな情報がはいるたび、ミルクボーイのネタのように、
「ほなこれで決まりやないか~」
「ほな違うかぁ」
を繰り返していくうちに、最初の見立ては大はずれしているとか、表面的に見えることが根本的な原因ではないことがわかってくることがあります。
木を見て森を見ず
もしも最初の見立てで、
『親が子どもを甘やかし、干渉のしすぎで年齢相応に自立させられていない。寂しい思いもさせている。だから、母親は過保護過干渉をやめるべき。父親は子どもに目をむけるべき。これで決まりや』と、
「でもなぁ。オカンが言うには…」と続きを聞こう・知ろうとせず、それ以上何かがあるのかもと疑わなかったら、全体の一部分だけをみて答えを出しているので、まったく間違いではないけれど、核心ではない可能性が高いともいえます。
一部分だけを見て、これに違いないと思って、そこだけ変えても、一時的にはよくなっても根本的な改善には至らない。
状況が変わればにたようなことが繰り返されやすいです。
料理のレシピが本当は3ページあるのに、残りの2ページがどこかにいってしまっていて、1ページだけだと思いこんで料理しても、おいしい料理はできません。
木を見て森を見ず。
答えはひとつ。
真実はいつもひとつ。
…とでっかいめがねをかけて麻酔銃で探偵を眠らせて種明かしをするかの如く、
不登校になる理由はある程度決まってるんですよと説明をされると、一部分はあってるのでそうかそうかとそれ以上のことを疑わず、
それさえ解決したらなんとかなるんだと思いこみ、実際それさえなんとかしたら、実際なんとかなることが多いのですが、それはあくまでも表面化した問題を解決しただけであり、その家庭そのものにおける根本的な何かを解決したわけではなかったりします。
それは寛解であって、完治ではない
ともいえます。
まとめ
ただの寛解。完治でない。
「不登校や母子登校は誰にでも起こること」と言われるけれど、たしかに不登校は年々増加しているけれど、それでも我が家は多数派ではない。
通わせている学校に来る子たちの多くは学校に行けている。それなのにうちの子が行けないのは何で?と考えたときに、ついわかりやすい結論に飛びつきたくなると思うのですが、それは木を見ているだけで、森を見れていない…という可能性もあります。
それに気づいて根っこからどうにかしていこうとするかどうか…というのが家族療法の考え方でもあります。
下手に状況を変えようとあがくと、結果的には状況をかき乱してしまうだけのことがある。
そういった視点をもって、ご家庭を分析し、情報をいただくたびに整理をし、妥当な見当をつけていく…この作業は時間がかかります。
もしも今回例にあげたケースを「あの家庭は親が子どもを甘やかしているから子どもは学校にひとりでこれないんだわ」と信じて疑わなかったら、その家庭は「あの家は親が悪いから…」と結論付けられ、親御さんは自分を責め、孤独になっていきやすいでしょう。
しかし、ほかにも理由があるとわかると、環境にどう働きかけるかを考えたり、もっと根っこのところから改善していこうとできますし、周囲もあたたかく見守りやすくなっていきます。
この取り組みは、すぐに決着をつけたい人には向いていないのですが、インスタントにやらないほうがいいケースもある…ということを書かせていただきました。
それでは、今回はこのへんで終わりたいとおもいます。最後までお読みいただきありがとうございます。
また次回のブログにてお会いしましょう 🙂
まいどん先生(公認心理師)
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