自分はだめな母親だと思ってしまう…

自分はだめな母親だと思ってしまう…

ブログをお読みいただきありがとうございます!MIKURU・MIRU代表のまいどん先生こと山下です。

先日、はじめてレッドルビーキウイというものを食べまして、ゴールデンキウイを上回る美味しさにおどろきバクバクとたべてしまいました。

今回は、「子どもに向けて攻撃的になってしまう」ということをテーマに記事を書いてみたいと思います。

 

よく、ショッピングモールなどに行くと、時々お子さんにキレているお母さんを見かけることがあります。

昔はお子さん側の視点で「うわぁ…かわいそう…」なんて思っていたものですが、その頃の自分の頭を蹴り飛ばしたい…と思います… 🙄 

世のお母さんは本当によくがんばっておられますよね(´;ω;`)

 

虐待かもしれない…でも…

時々、子どもに向けて攻撃的になってしまう。暴言をはいてしまう。

 

このような悩みを持っているお母さんは少なくありません。

子どものことを愛しているはずなのに、どうしてこんな酷い言葉がでてきてしまうのか。どうして寄り添うことができないのでしょうか。

 

過去の子育てを振り返ると、虐待をしてきていたんではと不安になる。四六時中言葉の暴力をふるっているわけじゃない。でも、子どもを自分の言葉で傷つけたことがあるのは事実…。

 

実はわたしは、かウンセラーとしてまだ未熟な頃、このような悩みを持たれるお母さんの気持ちに寄り添えませんでした。

むしろ、「お願いだから子どもに暴言をはくのはやめてほしい。萎縮させるだけ」と言い、正直なところ、何度そう伝えても定期的に爆発しては子どもに暴言をはいてしまうお母さんに対して苛立ちすらありました。

全然わかってなかったんですよね。いえ、わかろうとしなかったんです。

 

だめだとわかっているのに暴言をはいてしまう。
愛しているはずなのに子どもを否定してしまう。
自分は子どもに虐待をしてきているんじゃないかって不安がある。

 

そんなことは、母さん自身、自分が一番、子どもを萎縮させていることも、暴言をはいちゃいけないことも、暴言をはいて精神的な虐待をしてしまっていることも、わかってるんですよね。

 

分かっているのに、なぜ?

そんなことはわかってるのにやめられなくて悩んでるのに、「子どもを萎縮させるだけ」と正論を言われたら、そんなのわかってるって思うし、正論を言われる度に自分を責めますよね。

「あぁ、自分はなんてだめな母親なんだ」って。「自分には子育てがむいていないんだ」って。

さらにこれをご主人に話すと、「そんなことを考えることそのものが子どもに失礼」とか言われちゃって…。

 

じゃあ、わたしはどうしたらいいの

ってなりますよね。

 

そうしたら、「いや、だから暴言をはくのをやめたらいいじゃない」って言われちゃう。
「そんなことはわかってる」と返すと、「じゃあそうし続けたら」と言われてしまう。

「そうか、それもそうだな」
と思って、毎日我慢するけど、時々やらかしてしまう。
そして自己嫌悪し、夫にすら『だめな母親』『意思の弱い母親』と思われてしまう。

 

お母さんが暴言をやめられないのは、ロールモデルの不在のせいかもしれません。

私の母は、すぐに感情的になるし、意見がコロコロ変わるし、人格否定するようなことを言うこともよくあったんです。そんな母を軽蔑しているのに、ああはなりたくないって思ってたのに、私もまた、母と同じことを繰り返しています…

泣きながら、そういった話をしてくださる方もいます。感情で子どもを押さえつけるような関わりをされた子にとって、自分が母親になり怒りが込み上げてきた時に、感情をぶつける関わりがモデルになってしまいがちです。感情をおさえて関わるという例を見てきていないから、疲労などでいっぱいいっぱいになった時に感情を爆発させるほか対処がわからなくなっていることがあります。

 

まじめだからこそ反動がうまれてしまう

こういった悩みをもたれるお母さんの多くは、めちゃくちゃまじめなんです。
意外に思われるかもしれませんが、外でもすごく相手のことを気遣うし、相手が何を言われたら嫌か考えるし、謙虚で、明るくて、相手をたてるようにされて、決して相手を不快にさせないように関われることが多いんです。

自分がどう振る舞えばよく見られるかをわかっていて、自分でも気づかないうちにそういう自分を演じてしまっている方がすごく多いんです。

普段がそういう状況で、お家でも感情的でないときは、必死に子どもの話を聴こうとするし、寄り添おうともする。

だけど、外にも内にも、どちらに見せる顔も、いずれも『自分じゃない』『演じてる』『無理してる』ことがあります。

 

これくらいがんばらないと子どもにこれまでしてしまったことはなくならないと思ってしまう。

自分ががんばらなきゃならないんだって思って、すごくがんばってしまう。

がんばった反動で、時々爆発して感情をぶつけてしまう。そして自己嫌悪に陥ってしまう。

 

そんな毎日、しんどいじゃないですか。

どうしてわたしはそれに気づかなかったんだろうって思います。わかろうとしなかったんだろうって思います。

社会的に見てちゃんとしている自分。そういう自分を優先することばかりで、素の自分はどんどん蔑ろになってしまっている。

よそからみてちゃんとしてる自分・母親であろうとしすぎて、自分を見失ってしまっている。
本当は、お母さん自身はすごく傷ついているのに、そこに目を向けることもない。

傷ついている理由は、過去に自分もまた、親にひどいことを言われてきたからかもしれないし、ご主人が自分のつらさをわかろうとしてくれないからかもしれない。

でも、大人になったんだから、親になったんだからって、過去に傷ついてきた自分のことなんて優先されないし、むしろ「そんなの甘えでしょ」って言われちゃう。

そんなふうに、誰にもわかってもらえなかったら、孤独になりますし、孤立します。

どんどん自分が嫌になってしまって、子育ても上手くいかなくて、「私っていったい何なの」とすら思ってしまうかもしれません。

一見ちゃんとしていそうな人でも、心の中はどうかはわからないなと思いますし、実はギリギリの状態だった…ということはあるだろうとも思います。

 

まとめ

これまで、支援を通して色んな親御さんとの出会いがありました。

口でお子さんへの関わり方を伝えたり、応対法を知っていただくのはかんたんです。

でも、こういった心の傷という根っこは、テクニックではなんともなりません。むしろお母さんをより苦しめてしまうことすらあるとさえ感じることもあります。

これまでも「よい母親であろう」と、必死にある意味演じてきたのに、さらにまた「いい母親」を演じることになって、そして肝心のお母さんのケアはまったくできていない。

そんなことでは、たとえお子さんが母子登校や不登校から復学出来て、一時的にご家庭の状況がよくなっても意味がないと思っています。

 

いまならわたしは、言いたくないのに暴言をはいてしまったと言うお母さんの気持ちがわかるような気がします。

今すぐ飛んでいって、「誰にもわかってもらえなくてつらかったよね。言いたくなかったよね。自分だって傷ついてるよね。」「本当の自分はそうじゃないと思いたいよね。でも、もうひとりの自分がいるんだよね。昔に傷ついたままの自分がいなくならなくて、暴言がとまらないんだよね。」って抱きしめて、痛みを分かち合いたいと思います。

そりゃあ、時々重たい内容に「うっ」となります。でも、それを分けてもらうくらいの気持ちでいないと、その人のつらさなんてわかりっこない。表面的な共感なんて、人はすぐ見抜きます。

一緒にきずついて、少し休憩して、また一緒に歩きたい。

そのお母さんがいつか暴言をはかなくてもいいくらい、傷ついた自分の心が癒えるまで。

そういうふうに考えながら、いつもカウンセリングをしています。

 

それでは、今回はこのへんで終わりたいとおもいます。

また次回のブログにてお会いしましょう 🙂

まいどん先生(公認心理師)

 

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